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磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ローレンスとオッペンハイマー その乖離の軌跡

2007年12月26日 | 読書日記など
『ローレンスとオッペンハイマー その乖離の軌跡』
    N・ファール・デイビス(著)/菊池正士(訳)/
       タイムライフブックス1971年

オッペンハイマーは理論物理学者で、アーネスト・オーランド・ローレンスは実験物理学者であり、ローレンスはオッペンハイマーのことを「私の理論物理学者」と話していたという。



ローレンスの方がアメリカを代表する科学者だったという。下「」引用。

「博士、少なくとも一九四三年から最近まで、あなたがこの国の原子物理学の分野で、もっとも有力な科学者であったというのは事実ですか。」
 政府づきの弁護士が、一九五四年四月一四日、ロバート・オッペンハイマーにたずねた。
 オッペンハイマーは、表情をくずさなかった。彼は反逆の罪で告発されていたのである。宣誓をしたうえで、オッペンハイマーはためらいがちに答えた。
「ローレンスのほうが、多くの点で、わたくしより有力だったと思います。」」

放射性元素製造の先頭に立っていたローレンス。下「」引用。

「初期のころの放射線研究所にいたほとんどの人たちには、ジョリオ・キューリー夫妻の人工放射能発見につづく一時期、とりわけ輝かしい思い出となっている。「ローレンス教授は西半球における放射性元素製造の先頭に立っていた」と、スプロールはカリフォルニア州政府に提出する年次報告の中で書いている。」

1939年11月、ローレンスは、サイロクトンの発明および発展の功績により、ノーベル賞を受賞したという。


コロンビア大学では原子炉の開発。下「」引用。

「コロンビア大学では、フェルミが前者のグループをひきいて、連鎖反応炉(原子炉)を開発していた。」
原子炉でプルトニウムが得られるという。それは原子爆弾の材料になる……。下「」引用。

「ローレンスはフェルミと話しあってみて、公式筋では無視されているけれども、プルトニウムと原子爆弾とのつながりは明白だと確信した。」

ジラードのことも書かれてありました。下「」引用。

「いつものように、反対派のジラードは、ひどく短気なところが欠点であった。指導者としてのジラードは、ひどく短気なところが欠点だった。オークリッジでジラードと保安将校がくりひろげたやりとりがたまたまある者の耳にはいったのだが、仲間たちはこの会話に彼の性格が象徴されているとしていた。
「どうして、あなたは良いアメリカ人になれないのですか?」と将校は半ばいらつき、半ば訴えるようにたずねた。
「だれのような?」
「そう、わたしのような。」
「ふん、ごめんだ。」」

原爆開発により、オッペンハイマーは有名になったという。下「」引用。

「広島以前は大衆にとって科学の指導者は彼でしたし、彼の研究所が一番有名でした。戦後はオッペンハイマーが科学界における偉大なヒューマニスト、聖人、鬼才として印刷物の上でも話の中でも歓迎されました。彼の名前には魔力があったのです。彼がサンフランシスコに姿を見せたときなど、群集が彼のまわりをとりまいたものです」

そして、オッペンハイマーはローレンスとの仕事をやめた……。








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