磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヘレン=ケラー自伝-三重苦の奇跡の人-

2010年11月22日 | 読書日記など
『ヘレン=ケラー自伝-三重苦の奇跡の人- 講談社火の鳥伝記文庫 4』
   ヘレン・ケラー(著)/今西祐行(訳)/講談社1981年

特別な子ではなく……。下「」引用。

「ヘレンは、とくべつな子としてではなく、ごくふつうの子として教育されました。そこに身障者のたいせつなものがかくされています。」

……ノーマライゼーションとして考えられたとボクは思うのですが……。



小さな家……。下「」引用。

「わたしから目と耳をいちどにうばってしまった、あの病気にかかるまで、わたしは四角な大べやと、やとい人がねる小べやが一つきりの、小さな家にすんでいました。
 アメリカの南部では、おもやの近くに小さなはなれ家をたて、なにかのときにはもちいるならわしになっています。父は南北戦争がすむと、そういうはなれ家をたてて、母とけっこんしから、そこにすんでいたのです。」

祖母の名のヘレン……、ヘレン・アダムス・ケラーに。下「」引用。

「母は、じぶんの母、つまりわたしの母かたの祖母、ヘレン=エベレットの名を、そのままもらうことを主張しました。そして、やっとのことで、それにきまったのでした。
 ところが、父は、わたしをつれて教会へいくとちゅうで、その名をわすれてしまいました。もともと、あまり賛成していなかったのですから、むりもありません。
「名まえは、なんとしますか。」
 牧師さんにたずねられましたが、父は、とにかく、おばあさんの名をもらったということしかおぼえていませんでした。そして、母かたの祖母のエベレットのかわりに、じぶんのほうの祖母のアダムスという名をいってしまいました。-略-」

六カ月で、かたことを話したという。

ウォーター……。下「」引用。

「やがて大病をして、口もきけなくなったのですが、そのころおぼえたことばの中で、病気のあとでも、一つだけおぼえているのがあります。それは「ウォーター(水)」ということばです。わたしはこのことばのつもりで、いつも、「ウォーウォー。」という音を、口から出していました。「ウォーウォー。」というのをやめたのは、このことばが、字でつづれるようになってからのことでした。」

あそび友だち……。下「」引用。

「そのころのわたしのあそびあいては、料理人の子のマーサ=ワシントンという黒人の女の子と、ベルとよぶ、セッター種の老犬でした。
 マーサはわたしの手まねがよくわかりましたので、あそぶのにすこしの不便もありませんでした。そして、たいていわたしののぞみどおり、いいつけどおりにしてくれました。わたしはマーサを、まるでじぶんの家来のようにさしずしました。マーサのほうでも、けんかするよりはと思って、わたしのわがままをとおしてくれたのでしょう。わたしは力が強く、あばれんぼうで、むこうみずで、じぶんがいったんこうだと思ったら、もう、ぜがひでもとおさないと気がすまないたちでした。」

父は新聞の編集をしていたという。

ローラ=ブリッジマンの先生。下「」引用。

「この年の春、ローラ=ブリッジマンの先生で、ちょうどノルウェーやスウェーデンを旅してこられたラムソンという先生が、わたしをたずねてきてくださったのです。そして、ノルウェーの女の子で、わたしとおなじように、耳もきこえなくて、目も見えない見でありながら、勉強して、りっぱに話ができるようになった子どもの話をしてくださったのです。」

「霜の妖精」の作者・キャンビーからの手紙。下「」引用。

「--そのうちに、じぶんの心で考えたりっぱなお話を書いて、多くの人のなぐさめとすくいをもたらす日がくるでしょう。--
 と書いてありました。」

マーク・トウェーン……。下「」引用。

「マーク・トウェーン、ほんとうの名まえは、サムエル=ラングホーン=クレメンスです。わたしがクレメンスさんにはじめておあいしたのは、十四歳のときでした。それいらい、ベル博士とサリバン先生のほかには、これほどわたしを愛し、はげましてくださったかたはありません。」







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