磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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無きが如き

2008年11月03日 | 読書日記など
『無きが如き』
   林京子・著/講談社1981年

原爆小文庫で、原爆文学があまり読まれないというのも理解できる。
一般の人の平和に対する熱い思いもなく、被爆者の苦悩をきちんと表現しているものでもない。
何を伝えたいのか、さっぱり理解できない。
--流されて生きているわりには、その流されている川のことを理解されていない……。そんな感じがボクにはする……。



今までより著者の作品としては少しは理解できる作品とボクには思えますが……。
思想というのは、ウインドウ・ショッピングできるものではない!
--誰かがそう書いていたのを思い出します。

夢か何かわからない……。つまり朦朧としていたのか? 下「」引用。

「浦上から、母たちが疎開している諌早に帰って、十日ほど経っていた。私は原爆症で死ぬことばかり怖れて、八月九日に金縛りになっていた。金縛りにあいながら、私は九日の夢をみなかった。夢はみないのに、朝目が覚めると、原爆の夢をみた、と思う。みたと感じる夢は、煙か霧か脳膜の内に一杯たちこめている、物の形をとらない夢である。眠っていながら、いま夢をみている、と感じ、目を覚まして、原爆の夢をみていたと思う夢である。思いだけが九日につながる夢だった。」

あまりよくわからない表現だとボクは思います。
簡単に表現できるものを、難しくするのが、純文学のようなので、さっぱりわかりません。

--でも、そんなことするのは、無意味ですから……。
たぶん、朦朧ではないのでしよう……。
意識がクリアーで、きちんと把握できるのに、こんな状態があったとしたら、厳しいでしょうね……。ボクにはよくわかりませんが……。

奇形があったという……。下「」引用。

「そのころ、浦上の焼け跡ではじめて収穫されたかぼちゃ、きゅうり、トマト、なすなどの野菜の実の奇形が、新聞やラジオで報道されはじめていた。お化けかぼちゃ、双児なす、色か抜けたトマト。人間の胎内被爆児に次いだ異状が、浦上の土から育った野菜の実である。同時に、被爆者たちに白血病患者が出はじめていた。」

DDTもかけられたという。下「」引用。

「大人も子供も、MPにD・D・Tを頭からかけられた時代がある。」

ラッセルとアインシュタイン……。下「」引用。

「いまから二十数年も前の昭和三十年、西暦一九五五年七月九日に発表された、ラッセル=アインシュタイン声明のなかで、両教授は戦争の回避と核戦争について、「われわれの誰もが消滅をねがうはずがないこの (人類という)種の一員として反省していただきたい」と前置きして、次のように発言している。
 左右の主義の、巨大な闘争回避について、「一つの集団よりも他の集団のほうに訴えるようなことは、一語もいわないようにこころがけよう」と自らを戒めて、「すべての人がひとしく危険であるのであって、もしこの危険が理解されるならば、協力して回避できる望みがあるのである。-略-」核爆弾は以前に想定されたよりはるかに広い地域にわたって徐々に破壊力をひろげうるのである。」と声明している。声明文の一言一言を、女たちは体験として知らされてきた。声明文には一言半句の誇張もない。」

意味がある難解な二人です。
--もし、理解されていたら、こんな小説はお書きにならなかったとボクは思います。

ボクはラッセル・アインシュタインともに、理解できたとは思っていませんが……。

二人は大きな山で、まだまだ登山が楽しめます。

そして、著者には彼等二人の悲鳴さえが届かなかったように思えてなりませんで……。

教養や理性で彼等は語ったわけではない。
--獄中にも入ったラッセルは、そんな優柔不断な男ではないとボクは思う……。

ある種のイデオロギーはよくないと彼らは書いているのであって、スルーしろとは書いておられないとボクは思います。

許しては平和など作れないイデオロギーが当然ある。
両陣営ともとっているクラウゼヴィッツです。

これではチキンレースになって当たり前!

チキンレースという意味では、イデオロギーをしてほしくないとは思うが……。

それを無きが如しにされては、平和はこない!

二人とも、名前はぼかしていますが、あきらかに共産党の共産党になれば平和がくるというのは危険と書いておられたのではないか?

それに、一億総懺悔で、「平和を望まない人はいない」なんて詐欺はもうやめていただきたいものですね。

金儲けのために進めている人たちもいる……。

差別があるという……。下「」引用。

「長崎で就職する場合には、八月九日はあまり問題にならないが、よその土地では障害になる。履歴書に八月九日を記入しなくても、面接に立ち合った大人たちは、出身地を読んで、原爆のときはどちらに、と訊く。-略-」

長崎の人だからと聞いたところで、差別とは100パーセントはいえないだろう。
その人のことを気づかっていた人もいるだろうとボクは思う……。
ケースバイケースをかきわけるのが、小説だと思うのだが……。
固定観念で世の中をみれば、小説はおもしろくなくなる……。

しかし、ボクは純文学というのがさっぱりわからない。

芥川竜之介作品は大衆文学というので、彼の作品は少しは理解できたが……。

わけのわからない純文学……。

非人道的と思える作品さえある……。

それで平和とはいえないだろう!







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