磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ロスアラモスからヒロシマへ 米原爆開発科学者の妻の手記

2007年05月09日 | 読書日記など
『ロスアラモスからヒロシマへ
   米原爆開発科学者の妻の手記』
     フィリス・K・フィッシャー(著)/
       橘まみ(訳)/時事通信社s61年

著者はユダヤ系アメリカ人で、夫が原爆開発のメンバーであり、彼女はソーシャルワーカーであり、心理療法士です。



当たり前のことですが、アメリカも戦時体制だったことがわかります。

ロスアラモスでは検閲があったという。下「」引用。

「ロスアラモス発の手紙は軍の検閲を受けていました。」


靴を買うのには配給切符が必要だったという。

「戦争をなくすための戦争」という表現がありました。下「」引用。

「私はユダヤ系の子供だったので、ユダヤ教会や家庭では「彼らはその剣を鋤(すき)に、その槍を鎌に打ち直し(国は国に向って剣を上げず、二度と戦いのことを習わない)」と教えられ、私の好きな祈りの一節は、「平和をお与えください。それこそ最高にして完全なる贈り物」「すべての人々が兄弟であると知る日が来ますように。その時人々は魂と友情とにおいて主のみ前のみ前にに永遠に一つに結ばれよう」と結んでいました。一方、学校では「戦争をなくすための戦争」(第一次世界大戦)が戦われて勝利した、と教えられていました。これは、私が育てられてきた価値観、世界観とぴったり一致していました。」



1944年初め、カリフォルニア大学バークレー校の天文学教授C・D・シェイン博士の手紙がレオンに届く。その内容は「技術者集団」として働くようにという誘い。

夫の上司であるオッペンハイマー博士のことや、ボーアのことも書かれてありました。

多くの文献に書かれているように、末端の人たちは何をしていたか知らなかったようです。下「」引用。

「初めに正直に書くことを心に決めたので、ハッキリ書くことにします。一九四四年の秋のころは、私は巣作りに夢中の若い主婦で、戦争が続いていることを努めて忘れようとしていました。考えてみればおかしなことですが、まるでなじみのないこの秘密の土地で、恐ろしい武器が造られていることなど何も知らずに、他の主婦と同じように結構居心地よく幸せに暮していたのです。知らないということに大方満足していたと言えるかもしれません。何も知らされず取り残された気分でいた私などには全く想像もつかなったこのプロジェクトの現実の姿は、メサを取り巻く辺りの美しさとはおよそそぐわないものでした。」


長崎原爆について、必要なかった以上の気持ちをもっておられたようです。下「」引用。

「もうわけがわからない! 昨日のナガサキ爆撃はショックでした! なぜ二回も落とすの? 日本が戦争をやめたがっていて、その条件を検討していることもわかっているというのに。なぜまた別の都市とその住人を破滅させなければならないの? 原爆は二つとも、どこか無人島に落としてみせてもよかったんじやないの?」

原爆のおかげで、未来は恐ろしいものにかわった……。
--その通りだと思います。

ナチス・ドイツに加担していた友人。
ヒロシマ・ナガサキを思う時、
--その友人と変わらないと思う著者。

しかし、日本もまた同様の側面をもっていますね。
辛いとことでもありますが、このことを忘れて平和を語ることはできませんね。










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