磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヘレン・ケラー全集 〔5〕 私の宗教-私の詩集闇の歌-

2010年12月07日 | 読書日記など
『ヘレン・ケラー全集 〔5〕 私の宗教-私の詩集闇の歌-』
   ヘレン・ケラー(著)/岩橋武夫、他・訳/三省堂1937年

本は旧字ですが、今の字に直しています。
最近の翻訳とはずいぶん異なる気がします……。
こちらの方が、理性で訳されています。



科学がそうであるならいいですね……。下「」引用。

「科学は実に素晴らしい資源によって、それらの人達の精神に飛躍の翼を与え、高貴なる完成へと導いてくれます。
 日本の友、岩橋氏の精進によてっ、昨年十月闇に住む人々に捧げられたライト・ハウスは盲人達に対する日本人の目覚めた態度の喜ばしい証拠であります。-略-
   一九三六年八月
      於 フォレスト・ヒルズ
          ヘレン・ケラー」

ジョン・ヒッツと金時計……。下「」引用。

「ヘレン・ケラーの一生に於て、恩師サリヴァン先生(後のメイシー夫人)を除いて、最も忘れ難い人はジョン・ヒッツである。彼は永らくワシントンに駐在したスイスの総領事であったが後、ヴァルタ局の局長として、聾唖者の福祉増進に貢献した人であった。ヴォルタ局いとえば、電話発明家として有名なグラハム・ベル博士画発明によって得たヴォルタ賞金を基として設立したものであることも、ベル博士と彼女それにヒッツといった思い出のトリオとなって、我等に懐かしい友愛の消息を物語ってくれるのである。この老いた友ヒッツはヘレン・ケラーを十三歳の時より二十七歳の時まで父のような愛情を以て、書物の点訳に、郊外の散策に或は人生と神との瞑想に彼女を励まし導いたのであった。特に彼女の崇高な人格と豊かな霊性とは、ヘレン・ケラーの上に大きな影響を残したことは、彼女が十四歳の誕生日に貰った記念の金時計を今なお、肌身離さず所持して、こんな美しい追慕の言葉を書き認めているのを見ても容易に窺うことが出来るであろう。
『この時計の表面(おもて)は硝子で、裏には一本の金針がついています。この金針は分針と連絡があって、分針と一緒に動いたり、止まったりするのです。また縁輪(ふちわ)の周囲に金点がついていて、それが時間を示すようになっています。私はいつもこれを胸に提げていますが、チッチッチッと時を刻みながら忠実に働いている様子は私を愛するあの友達が、私のために働いてくれているように思われてなりません。時計はこうして亡き友達の愛をいつも私に思い出させてくれますが、その友達はもう二十年も前に亡くなったのです。併し時計の一刻(ひときざみ)々々が自分を友達の許へ運んで行くことを知っている私は幸福です。ああ、限られた時と永遠を繋ぐ価の知れない貴い宝!』」

スウェーデン・ボルグを点訳したのは、ジョン・ヒッツ。

天使と悪魔。下「」引用。

「それ故、スウェーデンボルグの力説する所によりますと、人間には誰にでも天国から遣わされた天使が少なくとも二人と、地獄から遺された悪霊が二人と都合四人の精霊がいつも付き添っているもので、この味方二人と敵二人の姿が見えないためにそれとは気がつかない、気がつかないから心の平和と生活の秩序とを保つことが出来るというのです。」

天国と地獄……。下「」引用。

「ダーウィンは天国と地獄とを一生に付したのだという説があります。併しスウェーデンボルグの著作中では、天国と地獄が笑い草にはなっていません。人間が罪を犯し、犯した罪を悔いることのある限り、誰の意見にも従っても、天国と地獄が笑い草であろうはずがないのです。」

ケプラー……。下「」引用。

「ケプラーもいったように、神の御意(みこころ)をそのまま自分の心に移そうとするのは人間業では出来ないことです。スウェーデンボルグの困り果てた有様を説明するために、私は自分の知っている唯一の方法として、盲人が同じ不自由に悩む人々を救いたいと願う場合、盲人が同じ不自由に悩む人々を救いたいと願う場合、遭遇しなければならない恐るべき障害を述べて見ようと思います。先ず第一失明者の特別な要求と、次に彼らの損われた障害を友情や、仕事や幸福などによって回復する正しい方法とを、正眼者の脳裡に刻み込むために、効果の多少を問わず、自分の生涯を献げねばならないのです。盲人に関する知識や、盲人の感情、欲求、能力に関する知識が、相当有識者の問題に於てさえも、如何に欠落しているかは、実に驚くばかりであります。-略-」

「神の摂理」 下「」引用。

「「他の人々を愛し、これと一体になろうと望むこと、神の力を得て、その人達を幸福にすること、これが神の愛の真髄である」というのがこの書の著者の言葉であり、また神の摂理の全体なのです。もし私達が神の企て給う魂の復興運動に参加して、自分の持場を果そうと欲するならば、流れに見を委すように、神の摂理に身を委さねばなりません。
 それ故、神の摂理の主眼とする所は、陣瀬いの有為転変に處する私達、現世の恵みばかりでなく、大いなる永遠と幸福とを得させようとする所にあるのです。-略-」







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