磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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戦争と子どもたち-写真・絵画集成-4 小さな戦士といわれて

2009年05月20日 | 読書日記など
『戦争と子どもたち-写真・絵画集成-4 小さな戦士といわれて』
   早乙女勝元、土岐島雄・編/日本図書センター1994年

もはや、戦争とも呼べないのではないか?



朝鮮や台湾からも……。何枚かの写真がありました。
「A : 大阪駅を通過する朝鮮の遺児たち。朝鮮からもはるばる来京したと報じられた(1940年〈昭和15〉3月)。」
「B : 沖縄県の遺児たちの歓声。大阪駅で(1941年〈昭和16〉3月)。」
「C : 台湾の遺児たち。大阪駅で(1940年〈昭15〉)。」

無理につくった笑顔の遺児? の写真がありました。
「下賜された菓子を母に渡す遺児(1944年〈昭和19〉4月)。」

「靖国の遺児」 下「」引用。

「戦時中の「ニュース映画」のなかには、戦没した父親と靖国神社で対面する遺児たちの映像が収録さている。戦争のかなのもっとも悲しいドキュメントの一つである。-略-息子を失った老父母、夫を亡くした妻、遺児たちを、当時の新聞は『靖国神社に合祀されたことを喜ぶ』と報じ、遺児たちの笑顔も紙面に載せた。靖国に合祀されることは、一家の誇りであると信じられていた時代である。-略-映画館の観衆も「現人神」の天皇に対して、まず姿勢を正さなくてはならぬ。非情なナレーションは『今ぞ靖国の神として帰ります感激のひととき……』としながら、『遺族たちはとくに雨傘でのお迎えが許された。皇恩の広大無辺なること真にありがたききわみ…』と、境内で正座し、天皇の親拝を待つ遺族たちの映像をとらえている。-略-」

「少女の憧れは「白衣の天使」」 下「」引用。

「-略-しかし、翌年9月14日、その兄のところに「妹危篤」の知らせが届く。妹の全快を祈り続けたが、兄の願いもむなしく、11月1日、律子さんは患者の腸チフスが感染して死亡した。享年17歳だった。
 従軍看護婦の多くは、戦場で兵士たちと運命を共にし、いざというときのために青酸カリを支給された者もいるし、敵を前にして、患者の兵と刺しちがえて自決した者もいる。ほとんどが痛ましい最後をとげたが、その数は日赤看護婦戦死者1,080人のほか、詳細な資料はない。」

「動員された少女(1944年〈昭和19〉6月)。」









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