磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原発斗争情報100号 原発黒書 原子力開発の残したもの

2006年04月28日 | 読書日記など
『原発斗争情報100号 原発黒書
   原子力開発の残したもの』
        原子力資料情報室1983年

死者をだした原子力関連の事故。
それ以前にも事故を起こしていたこと。
そして反省しない企業体質が書かれてあります。



美浜第1号炉はろくに電力もつくらないのに、
廃炉されないのは不思議だと書く方もいます。

〔美浜第1号炉燃料棒大破損〕が起きたことも、
隠蔽体質なので、よくわからなかったという。
しかし、実際に起きたことには確信があるようだ。

京大原子炉の調査グループでは、
“学問的”でないがゆえに、
意識的にとりあげられなかった
重大な問題をとりあげている。

それは国側の無責任である。
1. 定期検査では国側の役人が立合っていたが、
事故を国側は全く知らないという?
2. ピーニング工事など事前届出なのに、
国側は知らないという。
3. 折損燃料棒のとりかえ、これを国の
安全審査会が見過ごす等、考えられない。

2004年8月の死傷事故が、
この美浜原発でおこったという。

危険なことを指摘されていたのです。
この時、問題に真摯な対応をしておられたら、
もしかしたら、事故は起きなかったかもしれない。
残念で仕方がない。下「」引用。

「おざなりの事故原因の究明
 もしこれが本当だとすれば、国の原子力行政そのものが考えられない程ずさんなものであることになる。一方これらの矛盾を説明する最も筋のとおった解釈は、戦慄すべきことではあるが、国と関電が一緒になって事故の隠蔽を図ったと考えることである。
 いずれにしても関電のとった一連の処置から、原子炉を設置運転、管理する能力も資格も関電にないことは明白であり、場合によっては国側にも原子炉規制の能力資格が問われることになろう。この辺の事情と符合するかの如く、国の関電にも原子炉規制の能力資格が問われることになろう。この辺の事情と符合するかの如く、国の関電に対する処分は軽微なもので、あまつさえ事故原因の徹底究明をなおざりにして運転再開を急ぎ強硬したのである。
 美浜一号炉は穴だらけの蒸気細管をかかえた半身不随の欠陥炉である。電力需要が逼迫しているわけでもない。この強行処置は、反対派をだまらせるデモンストレーションという意味の他に、ピーニングの効果を実炉で確かめるという、おそるべき住民モルモット視のあらわれという他ないであろう。」


美浜町長も「もはや廃炉に」と発言したと、
この本には書かれてあった。


福島1号は世界最大のヒビだったという。
これも、外国の企業であるGEから発表された。

index

このような方々が日本の原子力を運営されているから、
スリーマイル島事故の教訓も生かされていないという。


東海再処理工場のことも書かれてありました。
ここも大事故が起きる前に指摘されていました。


「恐るべき動燃・再処理工場の実態」高木仁三郎。
この論文で、東海再処理工場が事故・トラブル続発で
操業20日にして全面的に運転を中止したと書かれてあります。

その企業理念も書かれてあります。下「」引用。

「動燃側の態度は、説明に一貫性がなく、追求していくと、すぐに前言をひるがえす。これは可能な限り真相をぼかそうとしてという態度であろう。また、工場の図面やマニュアル、保安規定など、事故の原因を具体的に究明する手がかりとなる資料の提出要求はすべて拒否された。その理由は、ひと口に言えば、再処理の技術を公開しないのが“国益”にかなう、というものだった。その非に憤る前に、こんなところにも“国益”が顔を出すいやな時代になった、という印象を強くした。
 すでに述べたところからも明らかなように、動燃側を支配するのは、ずさんな運転管理と安易な心構えである。それを支えているのは尻ぬけの科学庁や安全委の“監督”や“検査”である。運転側も規制側も、広島原爆のばらまいた死の灰の何千倍もの放射性物質や、長崎原爆に用いられた量の何百倍ものプルトニウムを取り扱っているという気持はなく、とにかく再処理工場を運転することが、“国益”であるという妄想にみとりつかれているのである。」


僕は政治的に片寄りたくありません、が……。

どちらが信用できるかは、これで
ご理解いただけると思います。



もくじ・高木仁三郎

もくじ[エネルギー問題・原発など]




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