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のぎくの道-精薄者と生きて十三年の記録-

2009年04月25日 | 読書日記など
『のぎくの道-精薄者と生きて十三年の記録-』
   近藤原理・著/あすなろ書房1965年

「まえがき」の一部。下「」引用。

近藤益雄は、二十年長崎に投下された原子爆弾で、最愛の長男を失っている。-略-著者原理君は悲しくも父親の自殺を、わたしたちに報告する記事でうずめなければならなかった。-略-その前書きは詩人であり、真しな人間教師であり、生活つづり方の徒であり、心身障害児教育のベテランである近藤益雄氏自身が書くべきであるのに、それをわたしのようなものに頼んでこなければならない。-略-
  一九六五年八月二十三日
     国分一太郎」

祖母の葬儀のあと父(近藤益雄)が「寮があればもっと精薄児を救えるのだが」といっていたという。

■目 次■
まえがき 国分一太郎
第一章 のぎくちる  7
1. 父、近藤益雄の死  8
 付〈近藤益雄の歩いた道〉  38
第二章 道を求めて  43
1. 原子野の中を  44
2. 父はなぜ校長のイスを去ったか  58
3. 道を同じくして
第三章 「のぎく」から「なずな」へ  76
1. 風の中の出発  80
2. たすけあい学級  88
3. のぎくの子どもたち(三十七年の記録)
4. 精薄のおとなたち
5. あゆみをふりかえって  126
第四章 風雪を耐えて  140
1. この灯を消すな  140
2. 「なずな」の一日  149
3. 「なずな」の生きる道  169
4. わたしたちの研究活動  179
5. 特殊学級の学級づくり  201
6. この教育にとり組むわたしの姿勢  216


兄の死……。下「」引用。

「兄の原爆死をぬきにして、わたしどもの戦後は語られない。父がおくれた子どもと生きるようになった動機のひとつにも、兄の死があったように思う。
 この二十年、苦しいときも楽しいときも兄のことをわたしは思い出した。あの地獄絵図のようななかで死んでいった兄のことを考えると、どんな苦労もできるような気がしたし、また楽しいことがあると、それが死んでいった兄たちのギセイによって生まれた平和のおかげだと、兄に感謝したい気持ちさえして、あまりぜいたくもできないと思ったりした。」

母が長崎原爆の記録を残す……。下「」引用。

「昭和二十六年に青銅社から「われら母なれば」と題して「平和を祈る母たちの手記」が出て。それに、わたしの母は、わたしといっしょに原爆投下直後の長崎に行って兄をさがす模様などかなりくわしくかいている。-略-」

著者はその時、中学二年だったという……。

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