磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

にんげんをかえせ-原爆症裁判傍聴日誌-

2010年04月03日 | 読書日記など
『にんげんをかえせ-原爆症裁判傍聴日誌-』
   長谷川千秋・著/
     京都原爆訴訟支援ネット・編/かもがわ出版2010年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「近畿訴訟の6年半
全ての裁判を傍聴
首相と確認書、原爆症基金法を実現した力とは何か、核兵器廃絶へと動き出した時代へと動き出した時代に何をすべきかを伝える。」



意味ある一冊です。社会は生き物だということが実感できる一冊でもあるかもしれません……。

たんなる傍聴日誌ではないという。
元新聞記者の鋭い分析がある……。

厳しい生活、そして認定基準の理不尽さを訴える被爆者。

『なんやあんなもの』ビデオ上映の感想。下「」引用。

「私らのように、人間が丸焼け、炭のようになって死んでいく中をかいくぐってきた者にとっては『なんや、あんなもの』といった気持ちだ。映像にはにおいもない。色もない。もっとひどい、ひどい残酷なものだった。弁護団の人たちにも分かってほしい」。「投下直後の写真といっても三時間後のものだ(広島・爆心地から二・二キロの御幸橋付近で午前一一時すぎ撮影された被災者の人々を指していると思われる)。逃げていく途中の道の両側に何キロとなく死体が続くんですよ。ビデオには本当の姿は出ていない」。「今日、ビデオを見ていて『あなたには分からない』と裁判官に言いたかった。あの状況だけはいたものじゃないと分からない」-略-」

ボクらには、その映像だけでも、驚異としかいえないものなんですがね……。
さらに、文献など読んでみますと、証言が事実だと理解できる……。

被告側の証人、小佐古敏荘(こさことしそう)東大原子力研究総合センター助教授。DS86を擁護。

--内部被曝を考えていない……。

復員軍人への補償法(米)。下「」引用。

「一九八○年代の後半、アメリカで放射線被曝した復員軍人への補償法ができ、対象疾患の中に多発性骨髄腫も入ったので、あるいは自分の研究もいくばくか役にたったのかもしれないが、はっきりしたことは分からない-などと説明。この研究から言えることとして、▽放射線被曝には、体の外から放射線を浴びる「外部被曝」と、体内に取り込まれた放射性物質が体内で放出する放射線を浴びる「内部被曝」があるが、実際に海兵隊員の被曝状況を検証しようとすると、誘導放射能による被曝、放射性物質の降下による被曝、放射線汚染された飲食物の摂取による被曝、さらに汚染地区にどれほど滞在したかなど様々な角度から検討しなければならず、多くの不確定要因があると言わざるをえない。-略-」

合わせ技……。下「」引用。

「安斎氏は、放射線被曝は「内部被曝と外部被曝の合わせ技で起こる」のだと説明。-略-」

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当時、小泉純一郎は戦争をすすめた。
小泉純一郎を許せない。下「」引用。

「いまも核兵器を持つアメリカについていく小泉首相を許せない。」

【一部のみ】

石破長官の問題発言……。

「11、沢田証人「科学者はきのこ雲の下からの目で」

厚生労働省の冷たい仕打ち。下「」引用。

「私たちが『控訴するな』と訴えに上京しても、門の中にも入れない。やっと厚生労働省の建物の中に入ったが、役人が出てきて、小さな狭い部屋に押し込み、私たちを座らせもせず、訴えの書類を受けとった。厚労省のあまりの冷たい仕打ちに、あらためて腹が立った」


「29、安倍首相の「基準見直し」表明後も国は告訴」

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もくじ 原爆・裁判関連

2010年04月03日 | TOP【もくじ】
もくじ 原爆・裁判関連


にんげんをかえせ-原爆症裁判傍聴日誌-

原爆症認定訴訟が明らかにしたこと-被爆者とともに何を勝ち取ったか-

証言-ヒロシマ・ナガサキの声-第19集(2005)

核軍縮・平和-イアブック 市民と自治体のために-2005

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【核兵器と法】

裁かれる核

原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法

三省堂新書33 戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ

NHKスペシャル・セレクション 核兵器裁判

世界の非核法・非核宣言集 第一集

思想-水爆-1954年8月号第362号












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キャパになれなかったカメラマン-ベトナム戦争の語り部たち-

2010年04月03日 | 読書日記など
--表紙が著者でカメラマン。

『キャパになれなかったカメラマン-ベトナム戦争の語り部たち-上』
   平敷安常・著/講談社2008年

若者たちが集まったベトナム戦争……。下「」引用。

「ベトナムには世界中から若者たちが集まっていた。
 私は一九六五年から七五年にかけて、多くの若者たちに出会い、競い、励まし合いながら16ミリテレビカメラでベトナム戦争を記録した。-略-」

「ドンパチ、バンバン」を求めた大衆……。下「」引用。

「とにかくニューヨークは、ベトナムからの「ドンパチ、バンバン」のリポートをいつも欲しがっていたのは事実だった。-略-」

「水俣病を報道したユージン・スミスも有名だった。」

「「写真展に出せるような写真」をたくさん撮った沢田教一」

「炎天下の強行軍は水だけの五食抜きになった」


『キャパになれなかったカメラマン-ベトナム戦争の語り部たち-下』
   平敷安常・著/講談社2008年

「米軍の引き揚げは特別なこともなく静かなものだった」

「敗走する軍を撮影するのは意外に難しかった」 下「」引用。

「難民の中に混じって敗走する兵士たちの姿を撮影するときに、移されているのに気が付いたベトナム兵の一人が、我々に突っかかってきた。下級将校のようだ。片言の英語で銃を手に我々に怒りをぶちまける。-略-」

「難民の写真がどうしてないのだ」と叱られた守田弘一郎」

「多くの人たちの関心が戦闘ものより難民に移ってきた」

「終戦の日でも前線では戦闘が続いた」

「女性部隊を取材中に奇襲爆撃」 下「」引用。

「ジムがその旅でやりたい企画の一つに、「イスラエルの女性部隊」があった。-略-」

「トニィ、命を救ってくれてありがとう」

門戸を開いていたベトナム戦争……。下「」引用。

「ベトナム戦争は、ジャーナリストに大きく門戸を開いた戦争だったと言われている。あれだけ自由に取材できた戦争は初めてで最後だったとも言う。ジャーナリストのせいであの戦争は負けたのだと言う軍人もいる。-略-」







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【絵本】げんまんげんまん えほんひろば

2010年04月03日 | 読書日記など
『げんまんげんまん えほんひろば』
   あまんきみこ・文/いしいつとむ・絵/小峰書店2008年

図書館の説明文。下「」引用。

「春です。春です。春が、来ました。こぎつねと、こうさぎと、こりすと、「げんまん」したあかりちゃん。約束の場所で待ちますが…。心の中にも、春がほんわか感じられる絵本。」



春がほんわか……。

--花粉症の人にはきついですね。

でも、絵本では、春を楽しめますよね。








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【絵本】そよそよさん

2010年04月03日 | 読書日記など
『そよそよさん』
   仁科幸子・作絵/徳間書店2006年

図書館の説明文。下「」引用。

「眠っている森を起こしにやってきたのは、不思議な不思議なそよそよさん。ハーフゥ、ハーフゥ、そよそよさんが息を吹きかけると…。春の息吹が感じられる、あたたかく楽しい絵本。」



そよそよさんは、表紙の中央にいますね。

メルヘン作品でしょうね……。







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