『アジア現代女性史5
インドネシア 九・三〇事件と民衆の記憶』
藤目ゆき(監修)/ジョン・ローサ、アユ・ラティ、
ヒルマル・ファリド(編)/亀山恵理子(訳)/
明石書店2009年
Tahun yang tak pernah berakhirの抄訳。
刊行にあたって……。下「」引用。
「「アジア現代女性史」シリーズの刊行にあたって、翻訳・編集を行ったアジア現代史研究会を紹介し、刊行の趣旨を説明しておきたい。
アジア現代女性史研究会は、二○○四年四月に誕生した。創立メンバーは、女性学に共通の関心を抱きつつ、アジア各地の地域研究、歴史学、平和学、文学と、それぞれ専門分野が異なる数名の研究者である。第二次世界大戦終結から現在にいたるまでの約六○年をタイムスパンとし、北はモンゴルから南は東ティモールにいたるまで、東北および東南アジア全域の女性史を協働して研究しようという大きな夢をもって出発した。二○○五年に研究成果を発表するためのジャーナルとして年報『アジア現代女性史』を創刊、日本語版・英語版で刊行している。」
『現代の奴隷制--タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』
「九月三○日運動」下「」引用。
「一九六五年一○月一日未明、陸軍中将アフマド・ヤニを含む六名の陸軍高級将校が自宅から連れ去られ、そして殺害された。陸軍内でヤニに次ぐ地位にあったスハルトは陸軍の指揮権を掌握した。将校らを拉致し殺害した実行犯らは、ジャカルタの国営ラジオ局を占拠し、自分たちは純粋に軍事作戦を実行した軍人であると表明した。ラジオ声明のなかで、彼らはスカルノ大統領の理想に忠実に従う陸軍大佐だと名乗り、国軍指導部内から反スカルノ分子を排除するのが目的だと表明して、自らを「九月三○日運動」と名乗った。」
スハルト独裁下での虐殺。下「」引用。
「三二年間にわたるスハルト独裁の一九六五年の大量殺害は「社会的記憶」には含まれてなかった。つまり人びとの間で伝えられ、儀式などによって追悼され、あるいは書籍や博物館の記憶に記されたり、記念碑がつくられるような形では記憶されなかったのである。虐殺の経験は多くの場合、個人の記憶のなかにとどまり、あるいは一時的な会話のなかに表れるだけだった。スハルト自身、虐殺について語ることはなかった。自伝のなかでも虐殺への言及はない。スハルト体制下の国軍幹部がまれに当時人びとが殺されたことに言及することはあったが、虐殺の性格や国軍の関与についての議論することは決してなかった。」
オーラル・ヒストリー。下「」引用。
「一九六五-六六年のテロを取り巻く秘密や嘘と格闘するなかで、私たちはオーラル・ヒストリーを調査することによってこの問題に取り組む道が開けるのではないかと考えるようになった。だが、オーラル・ヒストリー(インドネシア語でsejarah Iisan)は多くのインドネシア人にとって馴染みのない用語だ。実際、広く認められている歴史とは、文書記録に基づいて研究された過去のことであり、その立場からすればオーラルとヒストリーという二つの用語は矛盾していると思われるかもしれない。-略-」
最初の本。下「」引用。
「私たちが知るかぎり、インドネシア人によって書かれたオーラル・ヒストリーに基づく最初の本は日本の戦争犯罪に関するもので、プラムディヤ・アナンタ・トゥルによる一九四三-四五年の日本軍「慰安婦」に関する名著『日本軍に棄てられた少女たち--インドネシアの慰安婦悲話』である。」
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もくじ
インドネシア 九・三〇事件と民衆の記憶』
藤目ゆき(監修)/ジョン・ローサ、アユ・ラティ、
ヒルマル・ファリド(編)/亀山恵理子(訳)/
明石書店2009年
Tahun yang tak pernah berakhirの抄訳。
刊行にあたって……。下「」引用。
「「アジア現代女性史」シリーズの刊行にあたって、翻訳・編集を行ったアジア現代史研究会を紹介し、刊行の趣旨を説明しておきたい。
アジア現代女性史研究会は、二○○四年四月に誕生した。創立メンバーは、女性学に共通の関心を抱きつつ、アジア各地の地域研究、歴史学、平和学、文学と、それぞれ専門分野が異なる数名の研究者である。第二次世界大戦終結から現在にいたるまでの約六○年をタイムスパンとし、北はモンゴルから南は東ティモールにいたるまで、東北および東南アジア全域の女性史を協働して研究しようという大きな夢をもって出発した。二○○五年に研究成果を発表するためのジャーナルとして年報『アジア現代女性史』を創刊、日本語版・英語版で刊行している。」
『現代の奴隷制--タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』
「九月三○日運動」下「」引用。
「一九六五年一○月一日未明、陸軍中将アフマド・ヤニを含む六名の陸軍高級将校が自宅から連れ去られ、そして殺害された。陸軍内でヤニに次ぐ地位にあったスハルトは陸軍の指揮権を掌握した。将校らを拉致し殺害した実行犯らは、ジャカルタの国営ラジオ局を占拠し、自分たちは純粋に軍事作戦を実行した軍人であると表明した。ラジオ声明のなかで、彼らはスカルノ大統領の理想に忠実に従う陸軍大佐だと名乗り、国軍指導部内から反スカルノ分子を排除するのが目的だと表明して、自らを「九月三○日運動」と名乗った。」
スハルト独裁下での虐殺。下「」引用。
「三二年間にわたるスハルト独裁の一九六五年の大量殺害は「社会的記憶」には含まれてなかった。つまり人びとの間で伝えられ、儀式などによって追悼され、あるいは書籍や博物館の記憶に記されたり、記念碑がつくられるような形では記憶されなかったのである。虐殺の経験は多くの場合、個人の記憶のなかにとどまり、あるいは一時的な会話のなかに表れるだけだった。スハルト自身、虐殺について語ることはなかった。自伝のなかでも虐殺への言及はない。スハルト体制下の国軍幹部がまれに当時人びとが殺されたことに言及することはあったが、虐殺の性格や国軍の関与についての議論することは決してなかった。」
オーラル・ヒストリー。下「」引用。
「一九六五-六六年のテロを取り巻く秘密や嘘と格闘するなかで、私たちはオーラル・ヒストリーを調査することによってこの問題に取り組む道が開けるのではないかと考えるようになった。だが、オーラル・ヒストリー(インドネシア語でsejarah Iisan)は多くのインドネシア人にとって馴染みのない用語だ。実際、広く認められている歴史とは、文書記録に基づいて研究された過去のことであり、その立場からすればオーラルとヒストリーという二つの用語は矛盾していると思われるかもしれない。-略-」
最初の本。下「」引用。
「私たちが知るかぎり、インドネシア人によって書かれたオーラル・ヒストリーに基づく最初の本は日本の戦争犯罪に関するもので、プラムディヤ・アナンタ・トゥルによる一九四三-四五年の日本軍「慰安婦」に関する名著『日本軍に棄てられた少女たち--インドネシアの慰安婦悲話』である。」
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もくじ