磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

広島巡礼 亀沢深雪

2006年11月25日 | 読書日記など
『広島巡礼』
    亀沢深雪・作/新地書房1984年

被爆体験をお持ちの亀沢深雪さんの小説です。
『広島巡礼』『流灯』『長崎望郷』『遠い道』
が収録されています。



ぼくも母からきいたことがあるのですが、
この本にも書かれていました。
『小説を読むヤツは不良』。
時代によって価値観もかわるものですね。

広島巡礼のなかで碑について書かれています。下「」引用。

「碑には、『殉国学徒之碑』という麗麗しい辞句が刻まれている。『殉国』、なんと白白しく映ることか。そんな美句で飾られても、どうにもなりはしない。死ほどむなしいものはない。どんなに飾っても、死は死で、決してそれからいのちなど芽ばえはしない。わたしはただ額ずくだけで、言葉もなかった。」

妹さんが亡くなられている遺族の方の言葉を
誰も否定できないだろうと思う。

灯籠流し昔はなかったと書かれてありました。
盆灯籠というのはあったそうですが、
灯籠流しはなかったそうです。

遺族の方が自発的にはじめられて、
あっちこっちの川であったそうです。
今では、元安川で主におこなわれているそうです。

医者も碑の中……。下「」引用。

「妹の治療を頼みに行ったとき、〈三分の二以上やけどをしたものには手当てはできん〉と、わたしを追いかえしたあの白衣の男も、この慰霊碑の中に眠っているのではないだろうか。あの当時、あの人たちも被爆していたとは思いもよらなかった。わたしの頭の中は、瀕死の妹のことでいっぱいで、自分の怪我さえ気にならなかった。」


被爆者売物という非難についても書かれています。
僕はそんなことをいえば、恋愛(不倫)を売物にしているはどうなのかなあーとかアホなことを思います。下「」引用。

「〈被爆者を売物にしている〉と。
 この言葉は、ひどくわたしを悲しませた。前のように胸のうちで苦笑いをしているだけでは、とうてい収まらなかった。被爆者が被爆者の苦悩を訴えることが、どうして売り物になるのか、訊きたい。そんなものが売り物になるなら、わたしはもっとましな暮らしをしている。〈言いたいことを言うものには言わせておけばいい〉という友人の言葉で、ようやく気をとり直したが、それからしばらくは、原爆とかかわりのないものを書いた。」

この著者は栗原貞子という友人を得たことが
書かれてあります。
ホッとしますね。


原爆関連慰霊碑


作品集 傷む八月



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京都祗園 藤村屋さん やきそば

2006年11月25日 | 読書日記など
京都祗園 藤村屋さん

やきそば
京都風!?


中華料理のやきそばではありません。

ソース味です。


麺が太くって、けっこうおいしい。

天かすとか入っているのだから、お好み焼き屋さんかな?

小さなえびや、いかが入っているのが、うれしかった。

これで、京都風お好み焼きがたべたいと思いました。

ボクは京都にいるときは、いか玉でした……。

それか、いか玉そばのせでした……。


京風「お好み焼き」も発売して欲しいものです。


やはり、京都と大阪は違うような気がします。

できたら、一銭焼きから進化していく過程の、さくらえびや、

広島焼きのように「もやし」も入ったのがいいです。


広島風は素人には焼くのは難しいので、焼き方は関西ふうで……。(-_-;)

やきそば、くわしくは、ここをクリックしてください。









藤村屋


ラストメッセージ第3集 愛と怒りと 木下恵介監督

2006年11月25日 | 読書日記など
NHK総合2006年11月7日
ラストメッセージ第3集

愛と怒りと
木下恵介監督


いつもヒーロではなく普通の庶民を描いた監督!

「愛の美しさ、悲しさ」

幸せに生きている人間の生活や命が大きな力によって壊されていくのに、憤りを感じていたという。

代表作『二十四の瞳』

49作品、ほとんどが弱い人を描いてきたという。

8年前、弟子「山田太一」は葬儀でうったえる。
「人間の弱さ 弱さが持つ美しさ
運命や宿命への畏怖(いふ)
権力への理不尽さに対する怒り。
いつまでも、日本人が無関心でいられるわけがありません」

『二十四の瞳』の大石先生のクラスなら、
いじめなんて、おこらないのではないでしょうか?
偏差値教育、机上の論理でなくせるわけがないと思う!

実家は漬物屋。
昔は人がやさしかったという。
家族は信頼しあって住んでいたという。
平和な家族だったという。

ふるさとには、「浜松文芸館分館 木下恵介記念館」がある。

戦時中国策映画『陸軍』を撮る。
映画のラスト、わずか1ページのシーンを10分に。
陸軍の協力。陸軍は勇壮な場面となるだろう。
しかし、母の愛情を描いた木下監督。
内部での試写会は成功したという。
軍国の母らしくなく、反戦的だといわれる……。

そして、思うように撮れぬならと、
松竹に辞表をだす。

昭和19年、空襲中、母は脳卒中で倒れる。
戦争は木下の家庭も破壊した。

戦後、松竹に復帰。

社会のひずみが家族をこわす映画をとる
『日本の悲劇』(昭和28年)。
木下は怒りをぶつけたラストシーン。

「警察予備隊」が「保安隊」になる。
木下は反戦の意味をこめて、『二十四の瞳』(昭和29年)をとる。
ラストシーンが涙をさそう……。

『楢山節考』は他の監督もとっています。

『戦場の固き約束』を木下監督は撮ろうとしますが、反対にあう。
中国で日本軍が中国の一般の無抵抗の人を殺したことを撮ろうとした。
ロケハンにも行ったのに、松竹から反対されたという。
結局、この映画は幻の作品となる……。

松竹と絶縁する。良い映画をとるためには信念を曲げない。

暴力や性を売る映画が流行り出す。
庶民を描く映画ははやらなくなったという。
「強い者を賛美する」

テレビドラマの世界に木下はうつる。
映画界からは過去の人とされる。

田中角栄のロッキード事件など、殺伐とした事件。
「悪(あく)強くやれば勝てる」と思っている社会。
TBSが松竹と協同で映画製作『衝動殺人 息子よ』(昭和54年)
通り魔殺人の被害家族を描く。

父は全国の被害者家族をまわる。
弱い人たちが手をつなぎあう。
国に対して補償制度をつくれ!と運動する。
父はやがて視力を失う。やがて死亡。
その運動は「全国犯罪被害者の会」へ。

『この子を残して』
永井隆博士をもとに作られた。
最期まで戦争が繰り返されないことを望んでいた博士。

永井博士の肉声とモノクロの画面がうつされた。



当時、東西両陣営は核戦争にむかっていた。
そして、核兵器反対の市民の声。

原爆投下後、三か月の永井博士の杖をつき歩く映像。
これを見て、木下監督は感動した。

弟子の山田太一が脚本をかく。

永井博士は最期まで平和の本をかき、疲れると子供の絵をかいた。

木下監督がラスト変更、くっきりしたメッセージに。
永井博士のメッセージをすべてのヒトに贈った。

『この子を残して』木下惠介監督作品

この映画がつくられてから23年。

この映画のリバイバルが長崎で。

5年前から「高校生一万人署名活動」が行われています。

被爆二世の方も参加されています。

父は入退院を繰り返していた。

女子高生「最後の被爆地にしたい」













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034それで!50年後の私……

2006年11月25日 | ライト小説
アカネさんシリーズ001
恋のタイムマシーン

四、ロウジン茜



034それで!50年後の私……


「さっさっとこのヂャージを着てよ。これ、わたしがパジャマがわりにしていたものなのよ。ここのお嬢様は人使いが荒いから、夜中でも突然、おこされることがあるんですよ。だから、パジャマとか、ましてやネグリジェーなんかで寝ることはできないのよ」

茜は使い古されたヂャージの下を着た。わたしがその茜お嬢様じゃないのと、茜は心の中で思った。どうして、こんなことがおこったのだろう。

「あんたも何かいってくれたらいいのに……、その歳で刑務所はつらいだろうし、警備の人たちも、こんなことがわかったら、解雇されてしまうからね。ないしょにしておいてあげるけどね……。今度だけだよ、許してあげるのなんか! わたしって何って、お人好しなのかしら」

中根は傲慢にもいった。

茜は思う。

そうか、わたしは未来にいった。

50と入力したから、五十年後の未来にいったのだろう。

そして、五十年後のわたし、七〇歳のわたしになってしまった。

つまり、あのタイム・マシンは未来にいくと未来の肉体にしてしまったというわけだ。

それから、現在にもどっても、肉体はもどらなかったというわけだわ。








閑話休題

すべての人は老い、すべての人は死ぬ。

こんな当たり前のことも
理解していない人もいる。

「戦争はなくならない」
「いじめはなくならない」

人は死も逃れることはできない。
だからといって、すぐ死のうとする
人をどう思いますか?

「戦争はなくならない」
「いじめはなくならない」

だからこそ、貴重な人生、命を
大切にしたいと思わないのでしょうか?

不思議な人たちがいっぱいいます。











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