夜泣き屋_ブログ店

僕がいなくなったときに、ウチのチビたちが楽しめるような、「ウチのチビたちのためだけの千夜物語」を目指します

ep182 言われた通りにする馬鹿

2008-10-11 11:35:15 | Weblog
小さい頃に大人たちから叱られたことは、1度や2度じゃないと思います。
「オマエ、誰かに『死ね』って言われたら死ぬとか!!」
って。

【思考が停止している今の子ども】にこういう言い方をしてもきっと伝わらないでしょうね。
「誰かに『死ね』って言われても死んじゃダメよ。」
って。言わないとわかってもらえないでしょうか。

友達に死ねって言われて自らの命を絶った子に、同情するような話をするのは、残った子たちに「死の希望」を見せてしまうようで、心配です。
「自分の命を粗末にするやつは馬鹿だ。」と言ってあげないといけない気がします。
私の仲のよかった友達が、高校生の頃、自ら命を絶ったとき、その友達の家族がどれだけ苦しんで、悲しんだか、アイツにはわからなかったのでしょう。

あんないいヤツが。

高校生の頃は、そんな友達の死が理解できなくて、
「これは、きっと【淘汰(とうた)】なんだ。」
って思うことにしました。
「アイツは生きていくには、弱すぎたんだ。」
と。

そんな私も、中高生の頃、「死にたい」と思ったことは1度や2度ではありません。
いや、厳密にいうと、「死にたい」ではなく「死んでみたい」程度の気持ちだったのかもしれません。
それにしても、【生と死の境目】が一瞬っていうのは、もったいない気がします。
高い場所から飛び降りれば、足が離れる瞬間の向こう側
紐でぶら下がれば、首に体重がかかった瞬間の向こう側
一酸化炭素なんか考える前に先に体の自由が奪われてしまう。

生と死の境目は、もっと広くていいと思います。じっくり考えながら死を迎える。
飲まず食わずで果てしなく遠くまで歩くなんてどうでしょう。死までの間にいろいろなことをたっぷり考えることができそうです。
時々リセットしたくなる気持ち。
遠くに行くことで、解放された気持ちになれるかもしれません。
足の痛みや堪えきれない喉の渇きが、【生】を実感させてくれるかもしれません。
とにかく、そんな追い詰められた気持ちになったときは、ひたすら歩く。
信号を守って、すれ違う人をよけて、日に当たったり、風に吹かれたりしながら、
歩いて歩いて歩いて。
もっともっともっと歩いて。

【死】ってそれくらいたいへんなことだと思うんです。
簡単に死んでしまってはいけません。

【夜泣き屋】
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