robihei日記(将棋とか、GOLFとか、徒然に)

将棋ファン暦30余年、10年程前のNスペ「対決」を観て将棋ファン熱が更に高じ、以来ずっと棋界ウォッチャーに

現代将棋史(その4-2):混沌、そして新たな台頭の開始(2)

2006-03-20 20:02:46 | 将棋な私

混沌編(そして新たな台頭編)後半、データの整理とエピソードの紹介。

タイトル戦出場獲得、次の6年(98-03年度)版
羽生 30回(獲得22期)
谷川 13回(獲得4期)
佐藤 12回(獲得5期)
丸山 7回(獲得3期)
藤井 5回(獲得3期)
森内 5回(獲得3期)
郷田 4回(獲得2期)
渡邉 1回(獲得0期)

分母は95年度から棋聖戦が年1回になったので、42回がこの6年の開催タイトル戦数。羽生、獲得率過半数は維持。出場率も約々2/3だが、以前のような「いっつも羽生」という状態からは多少後退。

このリスト、知る人ぞ知る「羽生世代一覧」に等しい、羽生丸山藤井森内郷田は同級生、佐藤は1学年上だが奨励会入会が羽生森内郷田らと同期、いやんなるぐらい沢山いる強い連中、それが羽生世代。
「サル山のボス」であることは勝負の世界のトップの構図だが、当節のこの年代の特徴は、「準ボス連中までイヤになるぐらい強くて、さらにその上に羽生がいる」という構図。さしもの十七世谷川もこの分厚い世代間抗争にはたじたじである。

という重層構造の羽生世代なのだが、このような栄華の頂点の最中、台頭勢力の息吹が聞こえてくる。羽生がダースベイダーだったら間違いなく聞きつけた段階でトドメを刺すであろう新星の萌芽。渡邉明登場(正確には登場予告)。

羽生七冠騒動の95-96年頃、当時小学校4年生で小学生名人になり、そのまま秋の奨励会試験に合格して半年で2級まで昇給した渡邉少年の噂を聞きつけ、老師河口七段がある日中原誠十六世にその少年の話題を告げる。
「ホウ」と目の色を変える中原、次の一言が歴史の証言者たる痛烈な一言

「羽生君はその子にやられるんだ」

その昔、15歳プロデビュー直後の羽生四段が当時の王将中村修を鎧袖一触した対局を隣で見ていて、終局後にぼそりと「(当時名人の)谷川君(の第一人者の時代)も長くないね」と言った一言といい、今や色ボケ突撃オヤヂと揶揄される中原将棋連盟前会長だが、その歴史と人物を見る目は誤らないのか・・・?未だ実証はされていないが、歴史のページにはまだ余白が十分ある。

さて羽生善治の業績来歴踏破の最終コーナー。97-99年は四冠を維持するものの挑戦者に3年間もならないという「暗黒の時代」を経て00年ごろから「七冠再び?」という期待感を持たせる対局結果を叩き出す。

この頃からネットの普及に伴いファンサイトが各棋士を応援するためにどんどんと立ち上がる。当時から棋界の第一人者である羽生善治はファンサイトでも質・量両面で他を圧倒する。
主なファンサイト
(migさんの「七冠予祝サイト」)
http://www.otal.osaka-wu.ac.jp/HABU/2005.HTM
(和田さんの「羽生善治の世界」)
http://homepage3.nifty.com/wadakg/habu/habutop.html

この他にも「”念”サイト」と言われる原理主義者集団のサイト(爆)とかあるんだけど、ちょっと怖いので紹介は割愛します。migさん、和田さんあたりの応援スタンスがrobiheiの感覚と親和性が高いです。

しかーし!こうして歴史を辿ってデータを整理みると、インターネットの普及以降の時代は、どんなに羽生が勝っても七冠は再び来たらず(とはファンとしては言ってはいけないのだが・・・^_^;)というのを実感する。

例えば00年度、空前絶後の羽生イヤーといってもいい。
↓migさんのHP、2000年版
http://www.otal.osaka-wu.ac.jp/HABU/2000.HTM

これだけ勝って、将棋大賞:最優秀棋士賞&記録部門4冠SWEEP四たび!・・・とここまで勝っても五冠、ンなんてこったい! しかも、最近の2年に限っては、 、、
04年度 タイトル参加 羽生5(獲得4)森内5(獲得1)谷川2(獲得0)
05年度 タイトル参加 羽生5(獲得2・未定1)佐藤4(獲得1・未定1)森内2(獲得2)

という状況。五胡六国か春秋戦国かという群雄割拠の時代が来るのか?

個人的な見立てとしては98年前後の3年間に次ぐ「低迷期第二時代」といえるのではないかと考えている。復調の鍵はやはりタイトル戦、それも挑戦者になる頻度が問題である。今期進行中で言うと名人戦は叶わなかった(T_T)ので、以降は棋聖戦と竜王戦、この2つとも挑戦可能なポジショニングであり、これをしっかり勝ちきってタイトル戦登場という形になれば本格復調と言っていいと思う。

そして来期、名人戦で勝つことで王将(07年永世資格取得予定)・竜王(06年初代永世竜王資格取得予定)・名人(07年十八世名人位取得予定)とつづいて、「永世七冠王」になる予定。

そこから先?羽生ファンではあるがあえて言っておこう「緩やかな時間をかけて歴史は繰り返す」台頭から簒奪にかけて、短くて5年、長ければ15年ぐらいかけて、次の覇者との世代間競争が寄せては返すことになるのではないか。

これで現代将棋史についての記事を一旦完結します。近日中に2年半前にライブで見た観戦記、「王者の震え 棋界の覇権が揺らいだ日」を上げるようにしたいと思います。03年10月、横浜での王座戦最終局のことです。ご清聴感謝、robiheiでした。

PS.王将戦最終局、佐藤先手番で矢倉戦。とってもうれしい。望むらくはA級プレーオフも矢倉が見たかった・・・


現代将棋史(その4-1):混沌、そして新たな台頭の開始(1)

2006-03-20 19:05:02 | 将棋な私
明日の年度末最後の大勝負、王将戦最終局前に最後のコメントをアップ。ここからは七冠制覇後の10年を駆け足で辿る。

まずはデータの整理から、承前の話になりますが、6年間のタイトル戦参加者リストとタイトル獲得数について以前調べたものを出したが、それを再掲しつつ歴史を辿る。

86-91の6年間の主要棋士のタイトル戦出場回数(獲得数)
谷川 17回(獲得12期)
中原 16回(獲得10期)
南   14回(獲得9期)
米長  9回(獲得1期)
高橋  5回(獲得3期)
桐山  5回(獲得3期)
羽生  4回(獲得3期)

これの同じバージョン、次の6年(92-97年度)版

羽生 36回(獲得31期)
谷川 18回(獲得8期)
郷田 7回(獲得1期)
佐藤 5回(獲得1期)
中原 3回(獲得1期)
三浦 3回(獲得1期)
森下 3回(獲得0期)

分母は途中95年度から棋聖戦が年1回になったので、45回が6年の開催タイトル戦数。羽生、実に登場率80%、獲得率でも2/3超である。まさに羽生時代のピークとはいえる。

なのだが、この最中にも小さな逆転劇が含まれている、谷川浩司の反撃である。王将位を奪われ、無冠になった谷川九段が翌年の竜王戦に挑戦者で登場。

何戦目か忘れたが確か後手番の矢倉戦の終盤の叩きあいで△7七桂打という鬼手を放って当時猛威を振るっていた終盤のうっちゃり「羽生マジック」を粉砕。

ちなみに歴史に残る手は大棋士には符号とともに語られるという傾向がある、羽生なら▲5二銀、大山は▲6七金打ち(確か晩年の谷川との順位戦)、中原なら▲5七銀(対米長、名人戦)というように。

これで積年の(確かタイトル戦で羽生に7連敗してた)「負け下」状態を脱却して、余勢を駆って翌年の名人線挑戦者に、この名人竜王の頂上対決を制して谷川二冠(但し竜王名人の二大タイトル)対羽生四冠という形になった。

この時点では、タイトル数こそ羽生優勢だが、実質的に棋界の頂点たる名人竜王を共に戴冠する谷川が実質的に棋界のリーダーとして復活。現にこの年度の将棋大賞:最優秀棋士賞を谷川が久しぶりに獲得。

この時代(96-7年)が羽生低迷の第一期。ここからが長くなりそうなので、一旦これでアップして、混沌編第二弾を続いてあげます。ではでは。