robihei日記(将棋とか、GOLFとか、徒然に)

将棋ファン暦30余年、10年程前のNスペ「対決」を観て将棋ファン熱が更に高じ、以来ずっと棋界ウォッチャーに

3/16 A級順位戦プレーオフ

2006-03-17 08:36:45 | 将棋な私
自分でもアホやなあと思いつつ、昨晩会社の近くで食事をして意外に早く終わったのでそのままタクシーで千駄ヶ谷将棋会館に行き解説会を観戦。佳境の11時ごろから1時過ぎまで観戦。

藤井近藤の漫才コンビの解説+棋譜伝達係の田中誠初段(田中寅彦九段の子息、お父さん瓜二つの棋界の人気者)のコメントとか満喫。

「え、え、え、だめですかこの線は、じゃあ”待った”(爆)」(藤井)
「千日手、絶対なりません!だってこの二人ですよ」(田中君)
「上でも「名局だ」といってます、皆さんと同じですよ、指し手を見てワーとかギャーとかいってるだけですから(笑)」(田中君)

とまあこんな感じ、光速の寄せ対羽生マジックな対局を満喫。

結果は残念ながら、156手までで後手番谷川九段の勝ち。A級を8-1でも挑戦できない羽生善治、とことん名人位は遠い。奇しくも12年前と同じ後手番が勝ち。大勝負では先手後手の有利不利は関係ない。

帰りしなはblogを上げる気力もないほど落胆していたが、一晩明けて若干持ち直した。

こう考えることにした。
将棋界の歴史は、正統な伝達経路で覇者交代がなされるべき。実際歴史上はそうなっている。

以前に木村→大山の名人禅譲のような奪取劇について触れたが、その大山十五世は中原十六世に名人位を奪取され、以後中原時代に。中原のあとの谷川十七世は、歴史の気まぐれで加藤一二三から名人位を奪取したが、その後中原に奪還されて、再度奪還しなおす形式で中原から名人を奪った。

で、谷川の後を襲うべき羽生は最初の名人位戴冠は米長から奪取、4期目は森内から奪取となっている。谷川から奪取していないのだ。

「羽生の歴史の節目には、かならず盤の向こうに谷川が座っている」

といわれるこの両者の関係。そうすると谷川が4月からの名人戦で森内に勝たなくては歴史上の辻褄が合わない。そして十八世誕生は来期以降に(きっと来期に)ここしばらくの「羽生の”気”の悪い流れ」がどこかで転換点を迎えてから、彼の棋士人生のハイライトの1つである永世名人獲得劇を待ちたい。

そういう目で、この春からの名人戦を見て行きたい。タニー、頼むわ。
じゃないと昨晩の棋譜の最後の10数手の羽生の無念の受け取り先が居ないことになる。将棋が多少わかる方は、並べてみていただきたい。▲3五龍△同玉以降は、多分羽生も詰みがないことは百も二百も承知していたはず。そこからしばし「投げるに投げられずに、秒読みに追われてただ指した数手」という感想をrobiheiはもちました。

PS.それにしても、ことしは最優秀棋士、だれにするのかなあ?
   robiheiの気分としては「該当なし」なんですが、このままじゃ。