94年6月、米長名人を破って名人・5冠となった羽生善治。ここから夢の七冠ロードがスタートする。
94年度成績
94年度 52勝18敗 .743
→将棋大賞:最優秀棋士賞 最多勝利賞
名人戦 米長名人 ○○○●●○ 奪取(5冠に)
棋聖戦夏谷川王将 ○●○○ 防衛(5冠)
王位戦 郷田五段 ○○●●●○○防衛(5冠)
王座戦 谷川王将 ○○○ 防衛(5冠)
竜王戦 佐藤竜王 ○○○●●○ 奪取(6冠に)
棋聖戦冬島八段 ○○○ 防衛(6冠)
棋王戦 森下八段 ○○○ 防衛(6冠)
そして王将戦の挑戦者となり、七冠をかけた第44期王将戦、対谷川浩司。第一局終了直後に阪神大震災があり、神戸在住の谷川王将は生活にさえ困難を極める中、将棋の神が憑いたような奮闘を見せる。
王将戦 谷川王将 ●●○○●○/千●
最終局は勝てば羽生七冠誕生ということで、通常名人戦・竜王戦しか放送しないNHKBSがカメラ中継を入れる活況(マスコミ総勢150人)の中、最終局は千日手指直しの結果王将戦の終局時刻としては異例の21:18谷川王将が防衛。七冠ならずという結果に終わった。
「羽生でも無理だったのか」 という棋界の落胆は大きく、将棋界的には夢に終わった七冠騒動だったが、マスコミは「来年再度挑戦を」と煽る。 そして、翌95年度それが現実のものとなる。超人的なスケジュールと、それぞれの棋戦での勝ち残りである最強の挑戦者とのタイトル戦を悉く防衛した上で、王将戦のリーグを勝ち抜いて挑戦者になる、気の遠くなるようなことを羽生は実現する。
95年度
名人戦 森下八段 ○○●○○ 防衛
棋聖戦 三浦五段 ○○○ 防衛
王位戦 郷田五段 ●●○○○○ 防衛
王座戦 森 九段 ○○○ 防衛
竜王戦 佐藤七段 ●○●○○○ 防衛
棋王戦 高橋九段 ○○○ 防衛
王将戦挑戦者リーグ○○○○●○ 挑戦者に
そして再び七冠かける王将戦
王将戦 谷川王将 ○○○○ 奪取=七冠達成
時に1996年2月14日、再びのマスコミ150人に囲まれて、さながら報道の集団リンチ状態ではさしもの谷川浩司も力が出せず、空気を読んだ訳ではないだろうがあっさりと土俵を割って、将棋ファン+一般大衆の願望どおり七冠王のヒーローが誕生する。
棋界の制覇、ここに完了。この年NHK杯・早指選手権のTV棋戦二冠も加え、計九冠。朝日オープンの準決勝で屋敷七段に敗れて年度内10タイトル制覇は逃すものの、圧倒的な勝率で1年間を通り過ぎる。
95年度 46勝9敗 .836
→将棋大賞:最優秀棋士賞 特別賞(七冠獲得表彰) 最高勝率賞 最多勝利賞
ちなみに、屋敷に敗れた対局に勝っていれば、歴代最高勝率更新のおまけまでついたのだが、それは逃した。
最後に、TVで生中継された七冠達成の瞬間直後、解説の森下卓八段がコメントを求められて一言。
「他の全棋士にとって最大の屈辱です」
ここまで言い切れる棋士が何人いたことか?当時最強棋士群の一角であった島朗八段でさえ「一度実現を見てみたい」と一ファンのごとくの発言。ちなみに島朗は、佐藤・森内とともに羽生を加えた4人で「島研」という伝説の研究会を主宰。前後10有余年にわたって猖獗(しょうけつ)をきわめることになる、「猖獗」と表現しては島研の皆さんに失礼なのは承知の上だが、他の棋士にとっては凶々しいばかりに強い島研の面々はこの表現が一番ふさわしいと思う。
七冠達成後の目標として、「これからは勝利にこだわる将棋でなく、将棋の真理を究めるような手を指して行きたい」といった羽生。覇権は程なくゆらぎ、次の混沌編につながる。
名実ともに「将棋界で一番強い棋士」となった羽生善治。制覇編ここまで。