robihei日記(将棋とか、GOLFとか、徒然に)

将棋ファン暦30余年、10年程前のNスペ「対決」を観て将棋ファン熱が更に高じ、以来ずっと棋界ウォッチャーに

現代将棋史(その2-2):簒奪編(2)

2006-03-13 12:56:54 | 将棋な私

将棋界の歴史の転換点、1993年のA級順位戦から翌94年春の52期名人戦までの1年間について、簒奪編2としてまとめておく。

まずは搦め手からスタート、皆さん週刊文春に現在の将棋界一の口八丁手八丁棋士、先崎学が1Pもののコラム「先ちゃんの浮いたり沈んだり」を書いているのはご存知?

 実はあのコラム、前任者がいてそれが先崎の師匠、日本将棋連盟会長でもある米長邦雄の「さわやか流 将棋日記」。毎週棋界のあれこれや将棋に関係のない交友関係まであれこれ面白おかしくコラムを書いていた。これがあとから出てきます。

羽生善治、B1組リーグを11勝1敗の成績でトップ抜けしてA級9位として参加した初のA級順位戦、6月スタートから飛ばす。
6月 一回戦高橋 道雄 122手○ 矢倉
7月 二回戦 南 芳一 107手 ○ 矢倉
8月 三回戦小林 健二 124手○ 対振り飛車
10月 四回戦有吉 道夫 107手○ 矢倉
11月 五回戦加藤一二三 126手○ 横歩取り
12月 六回戦塚田    泰明 90手○ 矢倉

と年内無敗の快進撃、1月に田中寅彦相手に角換わりの後手番を落として6勝1敗。この時点で
1位 中原 誠 6勝1敗
4位 谷川浩司5勝2敗
9位 羽生善治6勝1敗

が上位3名、そして2/9「ラス前」と言われるA級順位戦八回戦中原誠永世十段戦。

羽生はこの日の対局の際に床の間を背負う「上座」に陣取って中原を待つ。中原が入場時「おや」という表情をするものの、そのまま下座に座り対局。結果は横歩取りの激戦を109手までで制した羽生が7-1の単独トップに。中原は谷川とともに6-2となり最終局を迎えることに。

さてここで騒いだのは控室の棋士たち。控室というのは、順位戦の大詰めやタイトル戦の挑戦者決定戦等の重要棋戦になると特に人数の増える非番の棋士たちの現在進行形での対局の手順検討ルームの棋士連中(+将棋紙誌の記者)である。 要は「年長の大棋士である中原先生を下座に座らせるとはなんたる不遜」という配慮不足を詰る不満の声である。

そして更に、3/1のA級順位戦最終局「一番長い日」谷川浩司との直接対局の際に、再び羽生は上座に着座。控室の「羽生不遜では」の声は再び高まった。

この時羽生善治は23歳で棋聖王位王座棋王の四冠、谷川浩司31歳王将一冠。ちなみに中原誠46歳無冠、但し中原は名人15期在位の実績のある十六世永世名人有資格者。文句なしに一番強くてタイトル一杯持っている羽生でも、先輩に上座を譲って謙虚に振舞うことを求めるのが将棋界の「美徳」という名の相場観。

一番長い日は谷川○-●羽生でともに7-2、中原は何と有吉の粘りに屈して敗戦、6-3で脱落。名人挑戦者は3/18、関西将棋会館(谷川の本拠)でプレーオフとなる。

ここで登場するのが米長コラム。「上座事件」と称してこの間の順位戦での騒ぎの顛末を面白おかしく伝える。更に棋界序列(タイトル保持者は上座に座るのは本来正しい)についての将棋連盟内の内規まで取り上げて、「順位戦に関しては、前年度順位(要はA級内の順位序列)をもって上座下座の序列とする」という文言まで紹介。要は「こいつが出てくるとやばい」とばかりに揺さぶりをかける米長名人、場外乱闘の紙爆弾炸裂というわけである。

そしてそのプレーオフ当日。定刻10分前に対局室に入室する谷川浩司の前に、端然と和服の正装で上座に座る羽生善治がいた。 あらかじめ先手後手が決まっている順位戦だが、プレーオフに関しては改めて先後を振りゴマ(上座側の歩を5枚取って、絹布の上に投げて歩が多ければ上座、”と”=裏側が多ければ下座の先手)で決する。結果は谷川の先手。「意地を張らずに下座に座っておけば先手番が来たのに」という声もあったらしい※。

対局は角換わりの後手番ながら、中盤気合負けした谷川が銀を歩の上から打たずに下から打ってそのままズルズルと負け、122手完。23:42終局と大一番にしては淡白な結果。終局後の感想第一声は羽生「銀を上に受けられたら難しかったと思いますが・・・」それを盤側で聞いていた棋界の稗田阿礼こと河口俊彦六段「そこで勝負は終わり、あとは指しただけ」と言わんばかりの口ぶりに聞こえたらしい。

 ※うろ覚えだが「羽生が後手なら先手の君は勝てるのかね?」と突っ込まれたとか・・・

このままの勢いで名人戦は米長名人に対し○○○●●○で奪取。名人初戴冠とともに再び五冠王となる。 ちなみに、その後出た「名人 羽生善治」という将棋連盟特別号のmookで羽生自身が「上座下座について、自分が勘違いをしていた」という弁明をしているが、んなこたあない。あとからの取り繕いであることは皆理解している。

後の著書での河口老師の総括「事件の顛末を今から考えれば、羽生は自分のやりたいことを通したのである。意図してか無意識かは知りようもないが、結果的にはここで棋界の第一人者になっていたのだった」(対局日誌第七巻前文より)

当時の記事だの雑誌だの、書庫の底を浚えば出て来そうな気もするが、そこまでしていないのでちょとうろ覚えの点もある。最後にうろ覚えついでに関係者の証言(どっかの雑誌で読んだ記憶)、プレーオフでの羽生谷川を称して。
「カッコよかったですよ、びしっと和服で上座に座ってね。谷川さんだってまさか上座に座られるとは思わないからびっくりした様子だったけど、関西なんだし「オレが上座に座るからどけ」と言えばよかったんだ、そんなにいやなら1時間以上先に来て座りゃよかったんだし。上座に座った羽生を退かせられなかったところで勝負はついていたようなもの」

最後に、93年度の羽生の戦績

93年度 44勝19敗 .698
→将棋大賞:最優秀棋士賞受賞

タイトル戦の戦績
棋聖戦 夏季 谷川棋聖・王将 ●○○○奪取
→四冠に
王位戦      郷田王位      ○○○○奪取
→五冠に
王座戦      谷川王将      ○●○○防衛
→五冠維持
竜王戦      佐藤七段      ○●○●●●失冠 
→四冠に
棋聖戦 冬季 谷川王将      ○○千千●●○防衛(千=千日手指直し)
→四冠維持

これだけでも十二分に強い羽生善治、次年度以降いよいよスーパーマリオモードに突入、棋界騒然の七冠王騒動に連なっていく。またしても相手は谷川浩司。次回はこのあとの2年間を制覇編としてまとめます。