ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

15年かけてわかったこと

2005-12-27 23:20:41 | Weblog
私たちが結婚して約15年がたった。
結婚しても私がずっと学生をしていたこともあったので、あまり既婚者という自覚がなくて、同じ年ということもあり、夫とはいいルームメイトと言う感じだった。
娘が出来て初めて「家族」や「結婚」という重みを感じている。

それとは別に15年の月日を経てやっとわかり始めたことがある。

それは本当の意味での「フェアの精神」である。
今年初めて理解した、いやわかりかけてきた、っていうところか。

スポーツの世界や一般社会でもよく言われることだけど、本当の本当の本当にわかってきたのは、つい最近のことだ。

夫は、結婚してからも私が独身時代と変わりなく大学に通い続ける事に関しては一切反対しなかった。逆に励ましてくれたり、勝手にご飯を食べていてくれたりと理解は深かった。

しかし、仕事をするようになって自分も稼ぎ始めると、そういう協力的だった夫の姿を忘れるのに時間はかからなかった。

生活費やその他もろもろの出費は折半。
夫だけが払うということは我が家ではない。
出費が半々かどうかだってわからない。
だって彼がどれくらいの収入があるか私はさっぱり知らないからだ。
銀行口座も別。
出費も別。
外食をした時は、真剣勝負のじゃんけんで決めることもある。
負けた方が全額払う。
といっても洋食やとかラーメン屋程度の外食だけど。
だいたい誘った方が払っている。

お互い会社を持っているのに経費で落とすのは私の会社からだけ。
なんだか自分が身を粉にして働いているのに、いとも簡単に取られるようで「この人わかってんのかな?」っていう意識が抜けなかった。

実はずっとずっとずっっっとそういう経済的な面でどうして私がこんなに負担しなければならないんだろうという疑問を抱いていた。

私が育って来た一般的な日本の家庭では、父親が働き一家を養っていた。専業主婦のお母さんが子供や家庭の面倒を全部みていた。
途中から母も働き始めて収入を得ていたが、大黒柱はやっぱり父親だった。
多分それが一般的な日本の家庭だったと思う。

そういうごく当たり前の家庭で育って来た私としては、大の男が女に払わせるということが理解できなかった。
夫は甲斐性なしの男だとずっと思っていた。
根っこにその疑問があったので、じゅぶじゅぶの地面にコンクリートを無理矢理しいたような感じは否めなかった。

私が勝手に「男とはこういうものだ」とか「こうあるべき」という鋳型を作っていて、それに当てはまらない部分を理解出来ずにいた、ということがわかったのは今年になってからだ。

一方で彼にも彼なりの言い分はあるらしく、彼の考え方はアメリカでは普通であるという。

「誰それも誰それも皆これが普通だよって言うよ」

それは全部夫のアメリカ人の友達。

私の友達や知り合いでそんな人一人もいない。

つまり夫はアメリカ人の立場で物事を判断し実行する。
私は日本人の立場で行動し判断する。
彼は日本人だけどアメリカ育ち。
私は日本育ちの日本人だけどアメリカに住んでいる。

思想が食い違って当然である。

こんな些細な意識の違いが積み重なって、言い合いになることが何度もあった。

小さなトラブルがあるごとに友達に話して、少しずつわかってきたことがある。

それは、アメリカ育ちの人はフェアの精神が浸透しているということだ。
スポーツだけじゃなくて、家計や家族という点でも例外ではない。

つまり、アメリカ人の夫(アメリカ育ちの夫)の場合、

「君はなんでも好きな事をしてもいいよ。家にいてもいいし働いてもいい。その代わり、その分の責任は全部自分でとってね。」

こういう感じかな。

日本人の夫の場合、

「広い広い草原を好きに飛び回っていいよ。その代わり草原には柵があってそこは絶対乗り越えては行けないよ」

こういう優しさかな。

友達が最初にアメリカ人と結婚して、離婚後裕福な日本人と結婚して、私が思っていたことと似たような事を言ったときは、今までの謎がすべて解けたような気さえした。
私だけが思っていたことじゃないんだ。
そして、夫が変なんじゃなくて、それがアメリカ人として普通の感覚なんだ。

一方で、その態度というか考え方が男らしくないとずっと思っていたのも事実。

もうこうなってくると好みの問題で、広い草原を管理されながら放牧される生活と、自己責任で生きる生活のどっちを好むか、という話になる。

私は結果的に後者を選んだ訳だ。

だけど、長年染み付いた考え方や習慣をおいそれと変えることは出来ない。
やっとわかったのが結婚15年目の今年。
やっと周りが見えて来たからだろうか。

これを読んでくださる方は日本人だろうから、感覚とか考え方が私よりになると思う。そんでもってアメリカ人側の考えで書いてないから、ある意味フェアではないかもしれぬ。

しかし、私が「普通だ」「当たり前だ」と思っていたことを覆すのがどれだけ大変かわかってくださるだろうか。

私に取っては思想革命にも近い発見であった。

不思議なもので「フェア」であることを念頭に置くと、都合のいいとこだけ男尊女卑の考えがいかに甘かったか思い知らされる。

「私は女の子だから男の人が守ってくれなきゃいけないのよ」みたいな。

其の考えを一切捨てて生きて行くことに責任を負うというのは大変なことだ。

それを自覚し始めて(自分の中ではやけくそ、かつ、かなり開き直ったって感覚だったが)仕事が飛躍的に順調になり、今年は本当に忙しかった。

考え方を変えるのは本当に大変なことだ。

それに気がついて咀嚼し始めたのが今年だった。

アメリカって本当に自由な国だ。そして本当に厳しい国だ。






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2 コメント

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Unknown (K子)
2006-01-21 14:45:28
日記の日付から何日も経ってからの投稿になってしまいましたが。。。ちょっと感動しました。

私は独身なので「優しい枠」を持っていない一方で、「優しい枠」に対して憧れのようなものを持っています。結婚されている方は皆「優しい枠」を持っているのだと思っていましたが、そうとは限らないのですね。

私はサラリーマン(ウーマン)ですが、職場でも枠のないフェアな雰囲気で、かえって私は、もっと男尊女卑でもいいのにと思ってしましいます。生活全般的に「枠」を感じることのない私は、心のどこかで、本当はもっと女性的に生きたかったのではないだろうかと思いつつも、今更仕方のない話だとあきらめ半分でした。

それぞれの生き方や人生ですから、枠がなければそれはそれで頑張るしかないのですが、私だけではないと思えて心強かったです。というか、満足できる優しい枠をもっている人なんて少ないのかもしれませんね。枠を持ってても、意外と狭くて窮屈なものかもしれませんし。。。

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優しい枠 (ぞな)
2006-01-23 14:28:57
「優しい枠」が存在するのは、きっとつきあい始めたときと、新婚の時期だけではないかなあと思います。

そのときくらいしか、お互いを思いやる気持ちがないですもん(超現実的ですいません)。



女性的に生きたとしても(それは専業主婦ということと仮定して)、仮にご主人の会社が倒産したとかリストラにあったりしたら、果たして幸せな結婚生活が送れるだろうか?という疑問はあります。

そのとき、妻がキャリアを持っていたらどれだけ強いか。それは人間としても、です。



最近,身近に熟年離婚をした方がいて、彼女は60まで仕事をしていたので、経済的な心配がありませんでした。

これまた最近知り合った弁護士さん(女性)は、「女性が経済的に自立してなくてかなり不利になる」とおっしゃっていました。



既婚者の私も「優しい枠」に未だ憧れていますけど、やっぱりそれでも生きる力は備えておいた方が良さそうです。これは絶対そう。

キャリアがあれば世界中どこでも生きて行けますもん。



完璧な夫婦や家族なんてぜーったいありえないし、一人だから不利ということもぜーったいありません。幸せの基準なんて、その人によって違うと思いますもんね。



私からみてK子さんは本当に素敵な女性に見えます。
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