12月20日は何の日?

2020-12-16 15:22:24 | イベント
昨日より、ぐっと冷え込んでいる甲府です。
午前中は空気も澄んで、まさに冬晴れ☀
だったのに(!)気が付けば、グレーな雲が立ち込めて☁

師走も後半。クリスマスや大晦日は、12月でも気持ち浮き立つ日ですが、
信玄ミュージアムでは、それ以外にも、節目となる日があります。
それが今週末の12月20日📅

それでは質問です。
1519年12月20日は何の日でしょう?

ヒント
信玄ミュージアムは、2019年、甲府の開府500年の年にオープンしました。
こたえ
武田信玄の父、信虎公(1498-1574)が現在武田神社の建つ、
躑躅が崎館(つつじがさきやかた)に引っ越して来た日🎂
館の名の由来となった、躑躅が崎(写真手前)

年末のこんな忙しい時にお引越し!?
ちょっと驚いてしまいますが、当時は陰暦でしたので11月初旬のころ。

盆地の東部を出て、信虎公が新たな拠点として選んだのは、北部に位置する扇状地の頂でした。
この地は三方を山に囲まれ、東西には川が流れ、まさに天然の要害。
城下と甲府盆地南部を眼下におさめ、
信濃や駿河へ通じる交通の要衝でもありました。
その後、城下町の西に南に支城が、館の背後には詰の城・要害城も築かれていきます。
館跡から甲府盆地を望む。

館は、信虎、信玄、勝頼の武田氏三代とその後を含め、74年間、甲斐の拠点に。
東日本でも最大規模ともいえる、戦国大名の館となっていきますが、
最初のころの館は1町(1町=約109m)四方で、土塁や堀も比較的浅い、
こじんまりとした館であったことが、発掘調査でわかっています。

川田館から躑躅が崎館へ居を移した1519年、信虎、なんと21歳。
家督を継いで10年以上の年月がたっているとはいえ、まだまだ若き当主。
突貫工事で新造の館に敢えて転居したこの時期は、
有力国人との抗争も多く、その内乱に乗じて隣国からも侵攻され、
信虎公も領国統治も厳しい状況だったにちがいありません。
だからこその決断だったのでしょうか。
武田氏は、信虎の指揮の下、新たな拠点で、守護から戦国大名家へと舵をきっていきます・・・。
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信玄ミュージアムの年末年始情報(再掲)

2020-12-14 09:44:24 | イベント
今年も残すところ、あと半月となりました。
信玄ミュージアムの年内開館は、12月28日(月)までとなります。
12月29日(火)から31日までは定休日となり、令和3年1月1日から
3日までは、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、臨時休館いたします。

休館期間:令和2年12月29日~令和3年1月3日

1月4日(月)からは、通常どおり開館いたします。
例年、信玄ミュージアムも武田神社の初詣にいらっしゃる方も大勢来館され、
1月11日(月・祝)までは大変混雑いたします。
初詣も新型コロナ対策とともに、分散をお願いしている寺社も多いようですが、
武田神社でも感染症予防対策を整えて新年をお迎えするようです。
とはいえ、武田神社は山梨県内でも参拝者が多いことで有名です。
4日からも例年には及ばずとも、平時より混雑が予想されますので、
当館へのご来館もなるべく分散いただくようお願い申し上げます。

特別展示室につきましては、令和3年も感染症予防対策のための入館者数の制限を継続します。
そのため、引き続き予約いただいた方からの優先入館となりますので、ご理解ください。
上記の混雑期間にご来館を計画されている方につきましても、
なるべく事前のご予約をお願いします。お知り合いの方にも「行くよ」、
という方がいらしたら、ぜひそのことをお伝えいただけると大変助かります。
ご協力のほど、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
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逸品✨展示 館の絵図にみる、結界の張り方

2020-12-13 09:24:33 | 紹介
当館特別展示室にて展示中の、信玄公の館の絵図

館の北東、鬼門に区画された場所・・・
古来より、鬼・邪気が流れてくる方角として、
町でも城でも、その鬼門には信仰の場が作られるのは定番だったようで。
信玄公の館の絵図にも、その北東部に3つのお堂が記されています。
現在の館跡見取り図と「信玄公屋形之図」(一部)

「山」付きの戦勝の神・飯縄権現(いづなごんげん)をお祀りした「飯縄堂」

そして、上杉謙信だけではありません。信玄公も信仰していた毘沙門天。
この北の方位を守護する神様のために「毘沙門堂」も建てられました。

絵図では、3つの建物の中でも最も大きく描かれた「毘沙門堂」ですが、
信玄公の晩年、とても大切な場所のひとつだったと考えられています。
常日頃より行を行い、ご先祖様の供養や説法に耳を傾けるだけでなく、歌会まで開いたとか。

お堂の中には「金の間」もあったと「甲陽軍鑑」などに記されています。
建物に金✨といえば、安土城や秀吉の黄金の茶室などが思い浮かびますが、
そんな豪華絢爛な様相だったかはわからずとも、
甲斐国には金山もあり、もしかしてもしかすると、いわゆる桃山文化のハシリだったかもしれません!?

ちなみに、永禄12年(1569)~13年(1570)、夜空にでた煙の出る星の吉凶を、
易者に占わせた場所も「毘沙門堂」の「クリ」(庫裡)🏠

占いの結果が、なんと、(近くはないが)日本古来の名族の滅亡😨で、
自らの死後、敵による攻撃を覚悟し、家を守らんと建立したのが「不動堂」
安置されたのが、現在恵林寺にいらっしゃる不動明王像で、
信玄公その人をモデルに、京の仏師に彫らせたもの。
その胸部には、信玄公の毛髪を混ぜた漆が塗られたとも、
頭髪は、信玄公の毛髪を焼いたもので彩色したとも伝えられています。
不動明王の忿怒の相の信玄公
武田二十四将図(一部)

館の絵図には、もう1か所、特別な場所✨が記されています。
それが、主郭の南西に建てられた「御旗屋」🏁


武田家代々の家宝であり、家督相続の証とされた、
日の丸の「御旗」と、「楯無鎧」(たてなしのよろい)を納めるための建物。
「御旗楯無も御照覧あれ」
御旗と楯無鎧に誓ったことは、決して違えてはならない・・!
武田家の方々にとっては、神聖をまさに体現したような存在だったのでしょう。
そんな家宝を守る建物にふさわしい、神の依代=旗を名にかかげた「御旗屋」

鬼門から裏鬼門にかけて結界を張るかのように建てられた建物たち。
家を、領国を守らんとする戦国武将の思い、館の絵図をヒントに感じてみてください。
絵図の前で思い浮かべると、あなただけの武田氏館の姿がよみがえるかもしれません。


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逸品✨展示 ”みっけ!”の続き 館の絵図で「山」を探す

2020-12-10 10:25:29 | 紹介
現在、当館の特別展示室にて展示中の、信玄公の館の絵図。
記されている文言を頼りに、お館さまを捜索中!

けれど、なかなか見つかりません。
それもそのはず。
戦国武将、いつ何時命を狙われるかわかりません。
だから館にはさまざまな工夫があったに違いなく・・・

入浴中や用を足す時だって油断できなかったのでしょう。
忍んできた者を惑わすためにも、信玄公はトイレを「山」と呼んだとか。
しかもこの「山」、狭いところで襲われるとひとたまりもない、という理由で、
広めのお部屋、ちょっとした居間も兼ねていたとか!?
お風呂に併設されたトイレはなんと水洗だった😉 というのも有名な話。
風呂水を使って流すなんて、なかなかな斬新なアイディア✨

現在の館跡見取り図と「信玄公屋形之絵図」一部
「山」はどのあたりでしょう?

この「隠語」、使いだしたきっかけは、ご嫡男との事件※以降とも伝わります。
絵図には、通常の「雪隠」(トイレ)も記されておりますが、
館の隠れトイレ、「草木」の絶えぬ「山」という言葉遊びの影に潜んでいたのは、
信玄公のやむにやまれぬ人間不信だったのかもしれません。
いかに戦国の世とはいえ、いかに実の父を追放した人とはいえ、
わが子に命を狙われたショックはどれほどだったか。

そんな武田家の秘密の物語を、どうぞ探しにいらしてください😊

帰りは西曲輪南の通用門から、明るいうちに

手前の南の枡形虎口から、水堀にかかる引き橋を渡ってお帰りください。
※現在、皆さまがご利用する武田神社参道は、戦国時代にはありませんでした。
神社は今から101年前の創建ですので。

※義信事件
永禄7年(1564)、義信の守役などが信玄の暗殺を計画したとされ、
首謀者とされた者たちは処刑、義信は甲府の東光寺に幽閉され、
永禄10年(1567)、死去した。「甲陽軍鑑」より。

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「要害山築城500年記念散策会~信玄公生誕の地を訪ねる~」を開催しました。

2020-12-08 16:02:28 | イベント
今年は「要害城築城500年」です。
12月5日(土曜日)の午前中、
日本雑草学会会員の五味武彦さんを講師に、
散策会を開催しました。
20年愛用のステッキを片手に、
樹木や野草をご説明いただきました。
登山ルートには植物とともに要害城の主要な
遺構に案内板が設置されています。
歴史文化財課の文化財主事が説明しました。
山頂(主郭部)では、五味さんの研究成果を
図面で学びました。
この日は、富士山がお出迎え。
白雲分ける高峰に参加者の皆さん感動です。
参加者の皆さん、マスク着用にご協力
いただきましてありがとうございました。

★要害山の詳しい内容はこちらをご覧ください。
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