昨日より、ぐっと冷え込んでいる甲府です。
午前中は空気も澄んで、まさに冬晴れ☀
だったのに(!)気が付けば、グレーな雲が立ち込めて☁
師走も後半。クリスマスや大晦日は、12月でも気持ち浮き立つ日ですが、
信玄ミュージアムでは、それ以外にも、節目となる日があります。
それが今週末の12月20日📅
それでは質問です。
1519年12月20日は何の日でしょう?
ヒント
信玄ミュージアムは、2019年、甲府の開府500年の年にオープンしました。
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こたえ
武田信玄の父、信虎公(1498-1574)が現在武田神社の建つ、
躑躅が崎館(つつじがさきやかた)に引っ越して来た日🎂
館の名の由来となった、躑躅が崎(写真手前)
年末のこんな忙しい時にお引越し!?
ちょっと驚いてしまいますが、当時は陰暦でしたので11月初旬のころ。
盆地の東部を出て、信虎公が新たな拠点として選んだのは、北部に位置する扇状地の頂でした。
この地は三方を山に囲まれ、東西には川が流れ、まさに天然の要害。
城下と甲府盆地南部を眼下におさめ、
城下と甲府盆地南部を眼下におさめ、
信濃や駿河へ通じる交通の要衝でもありました。
その後、城下町の西に南に支城が、館の背後には詰の城・要害城も築かれていきます。
その後、城下町の西に南に支城が、館の背後には詰の城・要害城も築かれていきます。
館跡から甲府盆地を望む。
館は、信虎、信玄、勝頼の武田氏三代とその後を含め、74年間、甲斐の拠点に。
東日本でも最大規模ともいえる、戦国大名の館となっていきますが、
最初のころの館は1町(1町=約109m)四方で、土塁や堀も比較的浅い、
こじんまりとした館であったことが、発掘調査でわかっています。
川田館から躑躅が崎館へ居を移した1519年、信虎、なんと21歳。
家督を継いで10年以上の年月がたっているとはいえ、まだまだ若き当主。
突貫工事で新造の館に敢えて転居したこの時期は、
有力国人との抗争も多く、その内乱に乗じて隣国からも侵攻され、
信虎公も領国統治も厳しい状況だったにちがいありません。
だからこその決断だったのでしょうか。
武田氏は、信虎の指揮の下、新たな拠点で、守護から戦国大名家へと舵をきっていきます・・・。