当館特別展示室にて展示中の、信玄公の館の絵図
館の北東、鬼門に区画された場所・・・
古来より、鬼・邪気が流れてくる方角として、
町でも城でも、その鬼門には信仰の場が作られるのは定番だったようで。
信玄公の館の絵図にも、その北東部に3つのお堂が記されています。
現在の館跡見取り図と「信玄公屋形之図」(一部)
「山」付きの戦勝の神・飯縄権現(いづなごんげん)をお祀りした「飯縄堂」
そして、上杉謙信だけではありません。信玄公も信仰していた毘沙門天。
この北の方位を守護する神様のために「毘沙門堂」も建てられました。
絵図では、3つの建物の中でも最も大きく描かれた「毘沙門堂」ですが、
信玄公の晩年、とても大切な場所のひとつだったと考えられています。
常日頃より行を行い、ご先祖様の供養や説法に耳を傾けるだけでなく、歌会まで開いたとか。
お堂の中には「金の間」もあったと「甲陽軍鑑」などに記されています。
建物に金✨といえば、安土城や秀吉の黄金の茶室などが思い浮かびますが、
そんな豪華絢爛な様相だったかはわからずとも、
甲斐国には金山もあり、もしかしてもしかすると、いわゆる桃山文化のハシリだったかもしれません!?
ちなみに、永禄12年(1569)~13年(1570)、夜空にでた煙の出る星の吉凶を、
易者に占わせた場所も「毘沙門堂」の「クリ」(庫裡)🏠
占いの結果が、なんと、(近くはないが)日本古来の名族の滅亡😨で、
自らの死後、敵による攻撃を覚悟し、家を守らんと建立したのが「不動堂」
安置されたのが、現在恵林寺にいらっしゃる不動明王像で、
信玄公その人をモデルに、京の仏師に彫らせたもの。
その胸部には、信玄公の毛髪を混ぜた漆が塗られたとも、
頭髪は、信玄公の毛髪を焼いたもので彩色したとも伝えられています。
不動明王の忿怒の相の信玄公
武田二十四将図(一部)
館の絵図には、もう1か所、特別な場所✨が記されています。
それが、主郭の南西に建てられた「御旗屋」🏁
武田家代々の家宝であり、家督相続の証とされた、
日の丸の「御旗」と、「楯無鎧」(たてなしのよろい)を納めるための建物。
「御旗楯無も御照覧あれ」
御旗と楯無鎧に誓ったことは、決して違えてはならない・・!
武田家の方々にとっては、神聖をまさに体現したような存在だったのでしょう。
そんな家宝を守る建物にふさわしい、神の依代=旗を名にかかげた「御旗屋」
鬼門から裏鬼門にかけて結界を張るかのように建てられた建物たち。
家を、領国を守らんとする戦国武将の思い、館の絵図をヒントに感じてみてください。
絵図の前で思い浮かべると、あなただけの武田氏館の姿がよみがえるかもしれません。