ミュージアムがオアシス化!?

2020-03-13 19:09:33 | 日記
新型コロナウイルス蔓延防止のため、
臨時休館してから2週間になります。

今が辛抱のしどころ、ということで、
武田神社、信玄ミュージアム付近も
平日はとても静かな毎日です。

そんな中
だからこそ!?
「旧堀田古城園」の庭が
ちょっとしたオアシスになっています😊 

ミュージアムと
「旧堀田古城園」の境にある
きんもくせいの木につくられた
鳥の巣が見えますか?

つがいのはとが巣を作っています。
下から見ると、まだちょっとすかすか。
もうちょっとがんばって!

写真の右下に巣があり、そこにも1羽🐦


一方、
はとの夫妻にとって
気になる存在がこちら・・・
朝はまだ冷えますが
確かにひなたぼっこが心地よい季節。
ぐでんと寝そべっているのは母猫
2匹の子猫は、カメラが気になってそわそわ。
でも、逃げません😊 

はともねこも
それぞれに・・・
くれぐれもそれぞれに!
しずかな初春を満喫してね。







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疫病への恐れ

2020-03-13 15:51:18 | イベント
現在、新型コロナウイルスが
各地で猛威をふるっています。

歴史を振り返ると過去にも
こうした疫病が広がったことがありました。

命にかかわる疫病に、
甲府の人々はどのように対応したのでしょうか。

こうふ開府500年記念誌
『甲府歴史ものがたり』に
288ページに
「疫病への恐れ」が書かれています。


疫病除けの神である牛頭天王(ごずてんのう)に
病気回復を託し、神輿を渡御(とぎょ)しました。

明治時代に「石灰酸(フェノール)による消毒」という
新しい方法もとります。


歴史を振り返り
現代にいかしていきたいです。

また、未来のために
現在の記録や日記を書いてみるのも
良いかもしれませんね。

この記念誌は、信玄ミュージアムをはじめ
市内の書店等で販売しています😁 

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3月11日は武田勝頼の命日です

2020-03-11 17:06:32 | イベント
3月11日といえば
平成23年(2011年)の東日本大震災が起きた日。
死者、約1万6千人、重軽傷者、約6千人で
未だ多くの方々が行方不明になり、
また、避難生活を続ける方々も多数。
頭の片隅から未だ離れることのない出来事です。

この3月11日は
武田勝頼、最期の日でもあります。
韮崎の新府城に火をかけ
小山田信茂の岩殿城を目指すも
途中で小山田信茂の謀反にあい
勝頼は妻子とともに
天目山で最期を迎えました。

勝頼の最期には二説あることをご存知ですか?

①「甲陽軍鑑」・「武田三代記」の討ち死に説
最後まで敵と斬り合い、
槍(3本!?)に突かれて討ち死に。

②「甲乱記」(*)の切腹説では
先に自害した北条夫人の枕元に寄り、
夫人の血で染まった脇差を衣でぬぐい
自ら、腹十文字にかき切り
はらわたを四方に投げ捨て
北条夫人と同じ枕で伏して絶えた。

いずれにしても壮絶な最期😨

勝頼と言えば
信玄と諏訪御料人との間に生まれた
本来なら、
武田家を継ぐはずではなかった四男です。

嫡男・義信の死がなければ
諏訪家を継いで、諏訪大社の神事を司る、
武田家の軍神、でした。
人生180度以上!?変わってます。

そんな勝頼の兜
特徴は前立て。
山の形はご神体、
その下には雲の形の前立てもあったと伝えられています。
神が雲上に現れる情景✨
ここに込められた思いはなんだったのでしょう。

富士山本宮浅間大社で所蔵する「勝頼奉納兜」のミニチュア版です🎶

どんな気持ちで戦ったのか?
どんな気持ちで息絶えていったのか?
438年前のことを想像するのは難しいけれど
残された品々が、ヒントを与えてくれそうです。

甲斐の国では、まだお雛様を飾っています。

*「甲乱記」
武田家宗家の滅亡を描いた軍記物語
成立年代と著者不明
勝頼が自害した1582年8月に書かれたという説もある。
勝頼に対する義理の弟、木曽義昌による謀反から
信玄の菩提寺・恵林寺の焼失と
織田信長の甲府入りまでが書かれている。

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信玄ミュージアム、特別展示室がリニューアル!

2020-03-08 09:09:47 | イベント
信玄ミュージアムの特別展示室には
武田氏館跡から出土したものが
主に展示されています。

その中で、一番の大物は
なんといっても
馬の全身骨格🐴
どこが珍しいの?
とは言わないでください😭 
戦国時代の馬として全身の骨が出土しているのは
全国でも武田氏館跡だけ!
テレビ出演もしています!

知恵泉(Eテレ)

「きょうりゅう!?」と
時に、言われてしまう馬ですが・・・
全身の骨が出土しているには訳がある。
骨からわかることもたくさんある。
なぞも生まれる。
だからもっと知ってもらおう!
とパネルが新たに設置されました。
これでもう、「きょうりゅう」とは言わせない!?

当館はただいま臨時休館中。
再オープンのあかつきには
馬を目当てに、遊びに来てください。

~ここから先は番外編~
馬のパネル準備の様子をちょっとだけ📷
パネルって、その場で作っていくんですね。

壁の確認もろもろ終わって、さあ、設置!
ありがとうございました!

ちなみに、パネル左横のPC画像もリニューアル。
これまでの「館跡の発掘」から
もっと歴史にフォーカスした内容に
なるとかならないとか。

パネル以外にも
新たな展示品が加わります✨

いろいろと
お楽しみです😉 

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旧堀田古城園、山梨県建築文化奨励賞受賞!

2020-03-07 17:03:07 | イベント

信玄ミュージアム内
昭和初期の割烹料亭「旧堀田古城園」が
令和元年度の山梨県建築文化奨励賞を
昨年末に受賞いたしました!

つい先日、「旧堀田古城園」の入口に
受賞記念のプレートが設置されました。

設置中✨

こちらがそのプレート
「旧堀田古城園」側の木戸門の手前です。

この建築文化賞の部門は
住宅、一般建物、町並の景観に一役買っているものなど。

その中で、「旧堀田古城園」は
【公共建築物などの部門】で奨励賞です!

ご評価いただいた点✨
☆彡文化の再発見ができる場所
昭和初期の和風近代建築の特徴として
壁紙、ガラスなど、残されたものを
可能な限り、再利用して復元している点。
ちなみに、なぜ「近代」かというと、
基礎がコンクリートだから。
関東大震災以降、普及し始めたそうです。


更紗多色刷りの襖紙
アールデコ風🎶
「旧堀田古城園」玄関からのぞけます。


金唐革紙(きんからかわし)
江戸末期、欧米の金唐革から発想を得て
和紙に金属箔をのせ、
木をあてて打ち出した凹凸文様に
彩色した高級壁紙
もはや金はほとんど見えませんが・・・
時代を経て残った実物です。
旧堀田古城園の離れでご見学いただけます。

☆彡見学施設+もう一つの使い方
当時の面影を残しながら
現代建築に不可欠な耐震機能などを考慮し改修。
その建物を
歴史講座やイベント会場など
ミュージアム内の施設としても活用している点。
いかに保存するか、だけでなく
いかに使うか!?も大切なんですね。

建物もそうですが、
いつも見慣れたものを
別の角度から見てみるのも
新鮮です😊 












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