展示中の武田信玄公像

2023-04-17 09:52:12 | 紹介
4月12日から信玄ミュージアム企画展
「戦国大名武田信玄の遺産−ゆかりの品々から語る武田信玄−」
スタートしています。
先週末はテレビ放送の取材撮影があり、善光寺副住職様にもお越しいただき、
信玄公像や出展の経緯につきましてお話をいただきました。
その中で、一般には公開していない像で、しかも普段は厨子に入っていますので、
外に出して、側面や背面まで見られるのは初めてということで、貴重な機会と
お話いただきました。

今回の展示で寺外初公開と言ってはおりますが、近代では外に出したことがないと
いうことで、実は江戸時代には寺外で公開されていた木像です。
善光寺に残る記録を紐解くと、どうやら江戸時代後期の御開帳の出張版の出開帳
によって各地に運ばれて、一般にお姿をご覧いただいていたようなのです。
現在、各善光寺様ではお寺で御本尊と縁を結ぶ御開帳が7年に一度開かれています。
これを居開帳とも言いますが、昔は二つの方法で御開帳の盛儀を行い、
そこで集めた浄財で寺院の修理を行っていました。
いろいろ経緯を説明していると、それだけで解釈が長くなり、宣伝できたいために
寺外初公開としていますが、実際には近代に入って初公開という言い方が正しい
ところです。
紛らわしい宣伝で申し訳ありません。

さて、木像ですが、厨子に収められるサイズということで、高さ46cmほどで小さいものです。
木像の制作年代はわかりませんが、
元文4年(1739)の善光寺の記録には、京都・大坂へ向けて出発した宝物に
「武田信玄公像」があり、今回の展示資料だと思われます。
その時の出開帳は大きなものだったようで、関西で開催した後、江戸へ移動して
増上寺などでも開帳をしています。
江戸ではサツマイモの栽培を広めたことで有名な蘭学者の青木昆陽も訪れ、
昨年信玄ミュージアムでも展示させていただいた善光寺所蔵の武田家朱印状など
武田家ゆかりの品々を見学したことが記録されています。
その時、昆陽もきっと信玄公像を拝んだと思います。

江戸時代に武田信玄公は、神君家康とともに神格化されていきますが、
おそらく木像の制作理由には善光寺信仰とともに、信玄公も信仰の対象とされ、
武田家に関わる文物も御開帳されるたびに需要が高まり、信玄公の姿をご覧いただく
木像が制作されたのではないかと考えています。
ですので、厨子入りの小さなサイズで制作された理由は、まさに出開帳に持ち出せるように
制作されたものだと考えております。
そのために作ったと記録があるわけではないので、あくまで推論ですが・・・
記録と状況証拠を積み上げていった推論ではありますが、今後、もう少し調べて
みたいと思っています。
展示は、6月12日(月)までと、まだまだ時間もありますので、この機会にぜひご覧ください。





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