茶の湯にみる、信玄公のおもてなし(その3)

2022-01-20 14:49:06 | 紹介
京の都からも多くの客を迎えられた信玄公。
武田氏館跡からは、本主殿などを飾った装飾品が出土しています。
いずれも戦国よりも古い鎌倉時代の製品で骨董品として収集されていたものです。

中国製磁器(一部)(特別展示室にて常時展示中)

でも、館跡からはこんなものまで出土しているんです。

表面がつぶつぶしていて、割れ目は少し粉っぽい。
信楽焼の破片です。(当館特別展示室にて常時展示中)

これは何の破片かと言えば、茶の湯で使用された道具。
写真上は、おそらく建水と呼ばれる水捨て用の器の口縁。
下は、茶葉を入れてあった茶壺の胴体部なのです。
今のところ、はっきりとした資料は見つかっていませんが、おそらく水指などもあったはず。
信楽は、焼き物とともにお茶の産地でもありましたので、良質な茶葉を保管・運搬する
ために茶壺が焼かれました。
そして、茶の湯が広がると、道具類も多様化し、それに合わせて様々な茶器も生産されたのです。
Made In 信楽の製品は、最初は畿内周辺の狭い範囲で流通していたようですが、
戦国時代も終わり頃には各地に運ばれたようです。
その一部が山深い甲斐国にも届いたわけですが、壺だけ買い付けたわけではないと思うので、
中には高級なお茶の葉が詰まっていたのでしょう。

出土した茶道具の年代は、戦国時代の終わり頃になります。
勝頼公が甲州征伐の末に亡くなった後、武田氏が拠点とした躑躅が崎館には、
織田氏、徳川氏、豊臣氏の勢力が入り、甲斐統治の拠点として再び活用されました。
武田氏から最後に館を廃城とした浅野氏にいたるまで、どなたの茶道具でもあり得るのですが、
・・・どうなんでしょう!?

出土品ひとつとっても、中世・戦国期から近世にかけて、時代の変遷が見て取れる武田氏館跡。
感染の再拡大で普段の行動も気を使いますが、武田神社参拝の折には、神社を囲む館跡を巡るのはいかがでしょう。
それに、お住まいの地域の地図を眺めてみたら、「○○跡」を発見!
訪れてみたら、なかなか良いところだった~ということもあるかもしれません。
この際ですので、郷土発見もおすすめです。

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