14日放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、その前週に描かれた三方ヶ原の戦いの開戦から
家康討死!??を受けて、「真」の冠のついた三方ヶ原の戦いが局所的に描かれました。
合戦の結果は言うまでもありませんが、戦場ではまさに両軍決死の攻防が繰り広げられ、
数に劣る徳川軍が総崩れになり、家康も必死で浜松城まで退却したのだと思います。
戦いの様子を伝える記録の多くは後世の編纂物であり、さらに言えば、
天下を治めた徳川の世になって回想録的に記録された、歴史の勝者側が描いた合戦記録ですので、
史実の上に脚色された部分も多いことが予想されます。
浜松城の「空城の計」も有名な話ですが、果たして実際はどうだったのでしょう。
大敗であっても徳川軍は三方ヶ原での全滅を免れ、これから体制を立て直して反撃に
転じていく様子が描かれていくのですが、
この戦いは家康を成長させた敗戦とも評価されています。
家康の生涯で最大の敗戦にして、最大のピンチだった三方ヶ原の戦いが終わり、
いよいよ信玄公の体調が・・・。
余談ですが、ドラマの中でかなり消極的な援軍として描かれた佐久間信盛ら織田勢も
林秀貞や水野信元、平手汎秀ら織田家古参の武将らが参陣し、平手氏は討死を遂げます。
その後、佐久間信盛が織田信長から追放処分を受けた際の理由の一つに、
三方ヶ原での信盛の消極性が糾弾されることとなりました。
信長としても三方ヶ原での敗戦は、自身の敗戦とも捉えていたようです。
フィクションとして、開戦前に信長と家康が密会した演出も嘘ではなかったのかもしれませんね。