秋の古城園に忍者発見、そして戦国の忍び🌙

2022-11-25 18:22:39 | 紹介
秋が深まってきましたが、これまで旧堀田古城園の庭で活動していた
生き物たちもそろそろ冬の準備に入っているはず。
そんな古城園では、見学者の傍らでひっそりと息を潜めて生活している忍者
たちがいます。
今月上旬の暖かな頃まではお見かけしたいつものカエル君1号。
これはすぐにわかりますよね。

竹筒に同化しているので、本人的には隠れているつもりでしょうけど、
丸見えですよ。
姿が見えないため、寒くなってきたので一足早く冬眠かな。

ではこちらはいかがでしょうか?
下の写真の中に忍者のように潜む昆虫が1匹います。わかりますか?
晴れて暖かな日差しが降り注ぐ樹木に同化して獲物を狙っているようですが、
よく見ないと気が付きませんでした。


写真の中央をよく見てくださいね。
緑色のアラカシの葉と同化して、身を隠しています。
忍法隠れ蓑の術、を使ったカマキリ君です。
カマキリの寿命は短いようですし、寒さが増してきましたので、
最後のハンティングでしょうか。


そして、夕方には小さなカエル君が冷たいタイル貼りの上にじっとしていました。
竹筒のカエル君1号は早々に姿を見せなくなりましたが、この子はどうした?
寒さで身動きも鈍く、すぐに捕獲。
さすがに寒さが気になったので、落ち葉の陰に避難させましたが、
明日の暖かい時間には、冬眠場所を見つけて次の春に備えて欲しいところです。

さてさて、古城園に生きる小さな忍びたちの写真をご覧頂きましたが、
こちらは戦国の世を生きた、本物の忍びの話。

よろしければ、こちら↓もご覧ください🙇

超人的身体能力、また主から受けた密命を少数精鋭で、冷静沈着に実行していく忍び・・・
そんなイメージとは、少し違った、戦国の忍びたち。

忍びは、多くの場合、忍び戦術担当の足軽で、
その内訳は、町人・百姓の出身だったり、元・悪党だったり。
また、戦国の世は、飢饉や災害の多い時代でもあり、
故郷を捨てた流浪の人たちも、忍びとして雇われていたと言われています。

任務は情報収集、略奪、放火、殺人など、危険で非情なものばかり。
彼らの多くが非正規・臨時雇用で、
お給料は当座の契約金や支度金、寄親からの同心給、
罪人であれば、その罪の免除または軽減が約束されました。
任務が完了すれば、金銭による成果報酬と、略奪物があれば、それは本人所有に。
どんな成果を上げても、知行地を与えられることはなかった・・・ようです。

でも、信頼関係がなければ難しいのでは(!?)という任務の記録も残っていて。
たとえば、上杉謙信から北条氏に乗り換えた「本田どの」は、
北条氏による葛西(かさい)城(現在の東京都葛飾区)忍び取り作戦において、
素性を明かさずに後方支援を担当。
陣営トップは、忍びが潜入していることを、
さすがに知ってはいるけれど、それが誰だかわからない。
「本田どの」がその気になれば、北条氏を裏切って、陣営を撹乱することも簡単。
そう考えれば、大将と忍びの頭領との信頼関係があってこその機密作戦。

また、「身の丈七尺二寸(2m16cm)」の伝説の「風魔」率いる一党は、
伊勢宗端(北条早雲)の代より、およそ100年北条氏に仕えたと言われる忍び。
北条氏の文書にもその名が登場する、「風魔」のモデルの一人「風間出羽守」は、
武装集団を組織し、岩付城(現在の埼玉県さいたま市)前線警護をまかされ、
夜になれば、加勢もされたという記録も残っています。

甲斐を混乱に陥れた天正壬午の乱(1582年)において、
「その身の処しようは、まるでスッパ」と批判されたのは、
徳川家康を、富士山麓の中道往還を通って甲府に案内し、
おそらく、それがきっかけで、徳川の旗本に取り立てられた、本栖湖のほとりの小領主。
その名は渡辺囚獄佑(ひとやのすけ)、本名、守。

「囚獄佑」とは聞き慣れない名前ですが、
これは律令制下、獄舎の管理と刑の執行を担当した役職のこと。
その名のごとく、渡辺氏は、甲駿の境、本栖の関所において、
駿河の情勢を見張り、不審者あらば捕縛し、関所の牢屋に投獄。
塩の運搬人もしていたようですが、同時に富士講の御師(おし)(※)でもあり、
自然、諸国の情報にも通じていたはずで、その仕事は確かに忍びそのもの。
(※)御師は、富士講の指導者であり、信者の案内役、宿舎の提供者でもありました。

忍びに課された非情な任務は、戦の命運を時に握る。と同時に、
忍びへの軽蔑の種となり。
それがどうやら戦国の忍びが置かれた立場であり、
忍び自身がそれをどのように捉えていたのか知るよしもありませんが・・・
武田軍が上野厩橋(現在の群馬県前橋市)を侵攻した時、
投入された200人の忍びが全滅したという記録もあって、
忍び戦術の成功率もどの程度だったのか。
それでも、結果的に、武士さながら、命がけで任務に取り組んだ忍び。

そして、戦続きの世において、戦国大名は敵将との全面対決をなるべく避け、
戦力を温存、飢饉や災害に悩む領国の負担の軽減にも努めたワケですが、
そのための戦略・調略も、忍びの働きあってこそ・・・!

闇の中にも一筋何か光ってる。
そんな彼らの姿が、泰平の世、庶民が憧れる影のヒーロー、忍者🌙を生んだのかもしれません。
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