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武田氏館の堀の調査を始めました

2024-03-04 19:11:05 | 紹介
国史跡武田氏館跡の武田神社境内になっている主郭と、隣の西曲輪を結ぶ橋の北側の
堀を発掘調査しています。
近年、地球温暖化など気候変動が著しく、台風意外にもゲリラ豪雨などが頻発し、
そうした際に堀の水が橋を越えて道路まで流れ出してしまう事態となっています。
原因はいくつかあるのですが、一番の要因は、橋の北側に土砂が堆積して排水機能の不全があります。
おまけに、戦国時代に築かれた石垣も崩れそうな状況もあり、今後の保護対策と
土橋そのものの構造確認ということで、文化庁、武田神社様とも協議の上、調査に入りました。
短期決戦で危険な場所での作業ですので、調査中をご覧いただくことは難しいと思いますが、
調査後にもう少し石垣の姿が見える形での見学の場をご案内しますので、ぜひご参加ください。
余談ですが、調査中の堀の脇に咲いていた花ですが、名前がわかりませんでした。

葉が菜の花のような形や姿でしたが、以前はなかったような気がします。
どなたか蒔いたのか、鳥が落としていったのかわかりませんが、名前が分かる方は、ご教示ください。

それから、長野市様の続報と言いますか、お知らせの際に付け忘れていましたARなどの
デジタルコンテンツの事業案内のパンフになります。

信玄ミュージアム設置のものも含め、ぜひ現地で体感してみてください。
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続ゾク ワクワク 川中島の戦い

2024-03-01 20:11:30 | 紹介
3月に入り、暖かで春を感じさせる一日になりました。
さて、長野市観光振興課で展開を開始しました新事業の続編です。
ご紹介するのは、甲府市でも信玄ミュージアムに設置しましたAR解説板です。
同じものは長野市内の各所に設置済みで、そのうちの1基が甲府に来ています。

各所に設置されている掲示板にあるQRコードをスマートフォンで読み取り、アクセスすると、
様々な形でデジタルコンテンツが飛び出してきますが、長野市立博物館では、川中島の戦いを
紹介しています特設の展示室内に、2基の解説板が設置されています。

それぞれ読み取ると、下のような形で信玄公由来の不動明王像や謙信由来の毘沙門天像が
3Dで表示されます。

グリグリと回すと仏像の背面も含めてぐるっと全体を見ることも可能。
室内を展示動画を背景に記念撮影しましたが、こんな感じで楽しめます。
3D ARというのだそうです。
この他にもAR動画のパターン。現地を背景に一騎打ちのシーンが動きます。
そして、ARフォトフレームのパターン。
こんな感じで撮影できます。
写真中央下のスマホの撮影ボタンを押すと、パシャッと取れますよ。
そのほかにもおみくじ形式やホラー版もその他の場所に配置されているとか・・・。
バリエーション豊富で全部回って見たくなりますが、甲府に届いているのは動画版です。
29日閉館後に設置し、本日スタートしましたので、ぜひ読み取ってお楽しみください。
場所は総合案内の入口脇にあります。

ただ、誠に申し訳ないことに、2・3年前に急に電波が届き難い環境になってしまい、
作動までに時間を要します。エラーも出たりしますが、根気よくトライいただけると
見られると思います。



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武田氏館跡の春

2024-02-16 14:09:08 | 紹介
つい先日は、久々にしっかりと雪が積もって冬らしい寒さとなっていましたが、
昨日辺りから急に暖かくなってきました。
関東では春一番も吹いたとのことで、甲府でも昨夜は猛烈な強風が吹き荒れました。
先日の雪や大風の後ですので、館跡の北曲輪群の巡視に行ったのですが、
梅の花が8分咲きくらいでした。
ちなみに信玄公は、和歌にも精通していて、いくつも歌を遺していますが、その中に梅の花を
題材にしたものがあります。
「たつねつる 梅の立枝は しらねとも 袖にそにほへ 軒の春かせ] 信玄
歌の意味は、皆様でお考えくださいませ。

ただ、先日の雪が水を含んだ重い雪だったので、かなり枝が折れたり、中には根本から
折れてしまった梅の木もありましたが、今回の強風でさらに被害が拡大してしまいました。
上の写真の梅の木も右側が根元近くから折れて、今にも倒れそうです。
付近を散策される方は、近づかないようにしてくださいませ。
武田神社隣の西曲輪内もずいぶん落枝がありまして、少し危ないところもありますので、
通行時は十分注意してください。
ただ、ずっと上を見て歩いていると、今度は足元注意なので、お気をつけて(笑)

そして、ミュージアムの居心地が気に入ったのか、すっかり定着した姫ニャンはというと、
暖かな日差しを浴びつつ、黒色の椅子が蓄熱となって温かいらしく、来館者の皆様の
通行をのんびりと椅子から眺めておりました。

まるで姫様気分。
居場所の全体写真はこれ。
なんと、椅子は椅子でも何段も重ねた椅子の上。
笑点なら山田くん座布団、でいったいどれだけ笑いを取ったのか、というほど
山積みの椅子の上で寝そべっていました。
ちなみに椅子の数17脚。師匠たちでもこれほどは積まれてないですよ。
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バレンタインデーから武田攻めが始まりました

2024-02-14 14:39:54 | 紹介
2月14日といえば、すっかりバレンタインデーが定着し、いろいろな想いでチョコを渡したり、
渡されたり、最近では自分へのご褒美で購入されたりということで、今日は一日
そわそわしている方も多いのではないでしょうか。

気分も上がる14日ですが、戦国時代の同日には勢力図が変わる大きな動きがありました。
それが甲州崩れとも言われる、織田信長と徳川家康による武田領への侵攻が始まった日です。
『信長公記』には、その一連の動向が詳細に記録されていまして、武田攻めの様子がわかります。
武田攻めの総大将となった織田信忠率いる軍勢が、現在の恵那市になる
岩村城に集結し、滝川一益や後に甲斐国を賜る河尻秀隆らを主力として侵攻を開始しました。
この動きに先立って、2月6日には武田領国境の滝ヶ沢要害を守備していた下条氏の家中で
織田方へ内通する動きがあり、河尻秀隆の軍が入城して橋頭堡を確保していました。
そして、武田方の松尾城主小笠原信嶺も織田氏への帰属を申し出たため、抵抗勢力は皆無と言った状態となっていました。

信忠は、配下の団平八や森可成ら若手武将らを先陣とし、木曽郡側の妻子口(妻籠)
から晴南寺口(清内路)を通って下伊那へ侵入させました。
信忠本軍も岩村城を出て、三州街道から侵攻し、先陣と合流したものと見られます。
合流地点は、信玄公が亡くなったとされる駒場が街道の合流地点となっていますので、
おそらくその辺りが織田軍の集結地点になっていたのではないかと思われます。

難なく国境を突破され、動揺した武田方では組織的な抵抗もできないまま、武田信廉を始め、
各地の城郭を任されていた武将らが相次いで逃亡し、織田軍は無傷で武田領に侵攻を果たし、
空き城を占拠していきました。
そのまま、武田氏の滅亡が加速していきましたので、武田氏にとっては悪夢の14日と
いうことになるのではないかと思います。

姫は、誰かにプレゼントはしたのでしょうか?




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昨日は甲府でも久々の大雪警報でした。

2024-02-06 20:44:57 | 紹介
山梨県でも甲府盆地は比較的降雪量は少ない方なのですが、昨日は久しぶりに雪が積もり、
交通網にも影響が出ました。
夕方頃には多少小降りにはなりましたが、一夜明けた今朝は一面銀世界でした。

信玄ミュージアムは、本日火曜は休館日でしたが、武田神社周辺は市街地に比べて
標高が高いこともあり、夕方までにはそれなりの積雪に。
そして、残雪もあり、すっかり雪景色です。

昨年2月のようにかまくらが作れるほどではないですが、それなりに雪も積もり、
通行に支障も出ましたので、昨日は1時間早くに臨時休館とさせていただきました。


旧堀田古城園側でも庭や通路は真っ白になりまして、生まれて初めて見る雪に
姫ニャンも戸惑っていたようです。
が、それよりも寒さには勝てずに日中はほとんどデッキの下に潜り込んでいたそうです。
何だこの白くて冷たいものは?という感じでしょうか。
気温も下がって寒い一日でしたが、もう少しの我慢でまた多少は温かくなるので、
それまで元気に頑張って欲しいものです。
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