クルスの冒険です。
また、TV番組に出ていたそうで。立体プリンター。
まぁ、注目を集めるということは、ありがたいことです。
以前からずーっとずーっと書いて来ましたけれども、この先も挫けないでずーっと書いて行きます(笑)、同じ事を。
TVで放送しているその見せ方は、つまらない(あーぁ言ったよオレ…笑)。
つまらないだけじゃなく、あまり意味がない。
そりゃ一般のヒトに「おおお!スゲー」って言ってもらう分にはそれでもいいでしょう。で、それこそがTVの使命だ… というのも、そのとおりなんでしょう。
でもね、今目の前に現存する「メロン」やら「トウモロコシ」を3Dスキャンして、それを立体プリンターで出力しても、何にもならない…
「いや、まずは知って、驚いてもらわないことにはしょうがない」
…それは、分る。もっともだ。うん、すごーく良く分かる!
…でも、もういいでしょう?そろそろ視聴者にも飽きられちゃうよ…
ワタシの自論なので、誰にも合意されなくても全くかまわないのだけれど…
「3Dスキャナ と 立体プリンタ の組合せはちっとも面白くない」
「面白くない」とは感情の表現だけれども、これは理屈としての裏付けがきちんとあって、それでつまらない。その話をします。
なぜならば、その一連の行為は
「今、すでに目の前に存在するモノの、すごく劣化したコピー」
に過ぎないからだ。これはどこまで行ってもそうだ。きっとどんなに技術が進歩しても、劣化(=コピー元よりも情報量が減少した状態)の具合はそう変わらないだろう。
メロンやトウモロコシを3Dスキャンして出力している限り、その見せ方は立体プリンターではなく、相当に劣化が激しい「立体コピー機」になっちゃうのだよね。
わかる?わかるよね。
「おぅおぅ挑発的に言ってやがんな…」と、お思いの方は、幸いです(ニコニコ)。
いや、本当に。そういった所から、本質の理解は始まるんだからさ。
結局このテの立体プリンタは、「今あるモノ」なんて作ってもほとんど意味がないんですよ。うん、ないよ、全然。特にマスプロダクションのモノをやったら本当に無意味だし、つまらない。スキャンしたモノをちょっと変えればいいんでしょ?と言う向きは、よもやチャイナのデッドコピー品を非難したりしてはいまいね?同じ事だ。ナニ?社内でやる分のは良いだろう…って? 社内の以前の製品だったら、大抵は3Dのデータが残ってるからそれを使えばいい。スキャンする必要があるのは設計が3D化される以前のふるーぃ製品だけだ・・・とか、色々条件が付いちゃって、すごく例外的な適用に止まっちゃうんだよね。
この手法が以前から伝統的に採用されて効果を上げて来たモノには、クルマの意匠面がある。
クレイモデラーが丹念に粘土を使って手で立体化したモックアップを測定して、3Dのデータとして取り込むという方法ね。
間違っちゃいけないのは、クルマはマスプロダクションされて初めてクルマになるから、クレイモデラーさんが仕上げたモックはクルマではない(クルマの形をした粘土だ)。そういった意味ではまだ世の中に存在していないモノと言える。
これは、こうしたデジタルツールが出来る遥か以前に造形された歴史的工芸品などから造形モチーフを取り入れたり、手工芸品などの造形モチーフをデジタルに取り込むための手法と同じだ。これはアリ。なぜデジタルに取り込むのか?それはマスプロダクションするからですね。マスプロを前提としないならデジタルにする意味はあまりない。
工芸品をマスプロに持って行くのはアリって事だ。逆にマスプロダクションされたモノを取り込むのは意味がないし、あってもかなり限定的な状況なのは間違いない。生産が中止されて相当な時が経ち、3Dデータはおろか図面も残っていないような製品を再生産(リプロダクション)する、っていうのもこちらに分類されるだろうから、まぁアリでしょう。
でも・・・こうやって考えるとどれもこれも機会としてはレアだよね。
つまり立体プリンタは、
「今、物体としては存在しないモノ」
「今、物体として手に取れないモノ」
を、出力して初めて本来的な意味が発揮されるんです。あったり前です。
だってもともと、製造する前に「試作」しましょう…って道具だものさ。
だって、考えてもみてくださいよ。
メロンやトウモロコシを3Dスキャンして立体プリンタで出力しているのは、デジカメと紙のプリンタでやっているのと本質的に全く同じなんですよ(笑)
目の前にある野菜や果物をデジカメで撮影して紙で出して、「ハイ、本物そっくり~」ってやっても意味ないよね。目の前の本物見りゃ済むから。
それも、デジカメ→紙プリンタ で実現されている視覚的な精密度よりも、3Dスキャナ→立体プリンタは、全然質が落ちる劣化コピーなんだから。
でも、今回のTV放送ではイイところもあった。
人体という題材を取り上げて新しいモノを出力対象としたのは凄く良かった。
ほら、人体の一部というのは、
「今、物体として手に取れないモノ」
だから。
「じゃあオマエは何をすんだよ?」
という問いかけは、幸いでして。やることは決まってるし、それをずーっと言ってやり続けて来た。
「今、物体としては存在しないモノ」を対象とすることだ。
詳しく言うと、
「3Dの形状データがすでに存在していながら、物体としては存在していないモノをまずは対象としましょう」
これだ。この状況でこそ、立体プリンタはその本質的な価値を発揮する。
これはもう、理屈からしてそう。現在すでにモノとして存在している対象の劣化コピーなんてほとんど必要ない。
さらに推し進めると、
「今存在していないモノを物体として存在させる(=立体プリントする)ために、3Dの形状データを作りましょう」
と、なる。
感情の話は一切抜いて、これは必然なんですってば。
人体の一部を立体プリントするにしたって、MRIが測定したDICOMデータをSTLなどの3D形状フォーマットに変換する必要があるんだから(ま、難しかないけどね、道具も必要で手間はそれなりにかかるけど)。これにしたって、要は立体プリントするための3Dデータはどうする?って話だ。
もぅね、TV番組制作の皆さんも次のフェーズに行きましょうよ。
立体プリンタは、元となる3Dのデータ以上のことは絶対に出来ない。
大事なのは、立体プリントの対象となる3Dのデータなんです。
これはDTPのチラシづくりと何ら変わらないんだよね。
一体何の3Dデータを(立体プリンターにかける)対象とするか?
そして、その3Dデータは誰がどう作るか?
こっちにこそ、本質的な面白み(=ビジネスも)が、あるんです。
その目の前の技術は素晴らしい。
だけどその見せ方は、ちょっと違う。
だから、本質を見ましょうよ。
だって・・・“プリンターだ”って言ってるじゃん(笑)
そこが、本質です。
それが分かれば、自ずと
「何を、誰が、どうやって3Dデータにしてるか?」
が一番大事だ、ってことが分かると思う。
最後は「人」に返ってくる…って話だよ。
詳しくは、秋葉原で。 →
ココね
写真のZ Printerも置いてあります。
人も、居ますよ。 →
ココね