★朝方ムーンライトが好き★

動物と音楽&Liveと海が大好きなワケあり主婦の私的ダイアリー。眼と心に留まった日常を写真でメモる。生きてる証しの雑記。

一周忌。

2015-12-17 02:43:31 | いちばん大事な宝もの。ねこ。
愛猫がこの世を去って1年。
はじめて迎える命日。

好きなこと増えたおかげでだんだん元気になって、もう大丈夫と思ってたけど。
命日が近づくたびに心にぽっかり空いた穴がどんどん拡がった。
クリスマスモードで賑わうキラキラの街中にいるとじぶんの心とのギャップがせつなくて。
雨空を見上げては泣けて。
青空を見上げては泣けて。
大好きな相棒と長い間いっしょに見てきた空。
今は手の届かないその空にいるのかと。
撫でたいな。
抱きしめたいな。
ぬくもりが恋しい。
わたしを見つめるやさしい可愛い瞳。
何にも勝るわたしの万能薬。

去年の11月26日も雨だった。
その頃は天気を気にかけなくてはならなかったので、11月中旬から12月にかけての天候は鮮明に憶えてます。
愛猫を病院に連れていくための交通手段や、火葬の予約日。
それらは天気に左右されるから。
愛しい姿が跡形もなく消えてしまうのは胸がえぐりとられるようにつらい。
だけどすこしでもきれいな姿のままで送ることが最後にしてあげられることだから。

去年と違うことは今年はまた暖かさが戻ってきたこと。
去年は11月25日の大雨を境に一気に冬が訪れました。
つい数日前はまだ夜風の気持ちいい晩秋だったから、病院帰りに公園のベンチに愛猫といっしょに座って夜空を眺めた。
時間が残り少ない相棒にできるだけ星や雲や月を見せてあげたかった。
仔猫のときにうちの子になってからは、うちのなかの狭い世界しか知らなかったから。
人間齢にするともう100歳近いポンコツにゃんこで白内障になってたけど、亡くなる数日前は赤ちゃんのような澄みきった瞳になってた。

獣医さんに「今夜でおそらく最期でしょう」と宣告されたけど、それから3ヶ月もいっしょに居てくれた。
亡くなる数日前はすっかり元の可愛い元気な相棒になってた。
自力でトイレができるようになり、大好物のお刺身を毎晩ソワソワ待つようになって。
何気ないこの日常をわたしは1日々々、かみしめるように大切にしました。
1日の終わりに好きな音楽聴きながら、猫たちと家呑みできることのしあわせに心から感謝しました。

あの3ヶ月は天からのプレゼントというよりも、与えてもらった最期のテストだったんだと、今は思います。
介護の日々で疲れていて、「この地獄がいつまで続くんだろう」と一瞬でも思ってしまった。
「どんな姿になっても一生、大事にするからね」と毎日々々、猫たちに云いきかせてきたのに。
でも嘘じゃない。
老いや病気で汚い姿になっても、どんな形になっても、愛しさは変わらない。
守るべきではなく、守りたい存在。

でもそれまでの、あまりにも変わり果てた屍のような相棒を見てるのが辛すぎて、この地獄を終わらせたいと思ってしまった。
云い代えれば、もう死んでもかまわないに等しいと願った、人間の汚いエゴです。
そのまま逝かれてしまってたら後悔と自己嫌悪に苛まれて暮らしてたでしょう。

3匹の愛猫を送ってきたけど慣れることはないです。
出逢ってうちの子になってくれたときにはもう、いつかやってくる別れがこわい。

1年経って、もう大丈夫かなって思ってたんだけどどうにもならなくて。
それでも仕事しなくちゃ生活できないし、人前でムリに笑っていなけりゃならないし。
先月末からかかりつけの病院で漢方薬を処方してもらって、やっと心が落ち着いてきました。
今までストレスがあっても、ぜんぶ猫たちがガードしてくれてた。

ペットロスはつらいです。
とつぜんとてつもない不安に駆られて鼓動が速くなって呼吸が苦しくて。
ひとによって症状がまちまちだろうけど。
いまは1匹だけ残ったチーちゃんががんばってくれてます。
猫らしいツンデレなので癒しになるより、キ~!ってなるけど。
亡くなった相棒は意思の疎通ができるとくべつな仔だった。
チーちゃんもそろそろお婆ちゃん。
別れがこわい。

写真は相棒の大好物のマタタビと、自宅用の点滴。
ずっと処分できないでいました。
亡くなった相棒にエアまたたびして、エア点滴。
そしてまた泣けて。
いつか想い出に変わるだろうと思ってたけど、いつまで経ってもつらい。
もっともっとお世話していたかったよ。

点滴は獣医さんに「延命措置だから、はやく楽にしてあげたほうがいい」と云われました。
でもすこしでも身体を楽にしてあげたいでしょ。
だってまだ生きてるんだよ。
身体がすこしでも楽な状態で旅立ってくれたらと思うから。

病院にできるだけのことをお願いして、点滴とビタミン注射と高カロリーの栄養ドリンクのフルコースを2日間してもらって、翌日の27日、わたしの腕のなかで静かに息をひきとりました。
前夜の大雨が空気を洗ってくれたように真っ青な青空の日でした。
最後に日光浴をさせてあげられたのがうれしい。

先に逝った相棒たちがかならず待っていてくれるように、まじめに正しく生きていきます。


『虹の橋』

この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。
一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。
死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。

(いくつか訳されてるうちから短くまとめられたWikiからのを引用しました)
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姫猫ちこちゃん13歳のお誕生日。

2015-03-15 01:49:00 | いちばん大事な宝もの。ねこ。
2月22日の『猫の日』はうちの猫隊員3号のお誕生日でした。
野良出身だからほんとうの誕生日は不明。
保護した日から逆算するとちょうど『猫の日』あたりだったから。

ママ猫の温かいお乳がどんなにか恋しかったことでしょう。
不憫さもあり、過保護に育ててしまった姫猫さんです。
プリンセスちこちゃん♪
ゴロゴロ甘えながらシャーシャー威嚇して猫パンチを繰り出してくる、竹中直人の『笑いながら怒るひと』みたいな猫です。
わたしの身体は年中、傷だらけ(;o;)
ブログのプロフィール写真はちこちゃんの赤ちゃんのとき。

ちこちゃんは袋と、箱と、獲れそうで獲れないボールのオモチャが大好き。
今年はシャカシャカトンネルをプレゼント(^ω^)


ラグマットはちこちゃんの鋭利な爪でボロボロになってるだけでゴミで汚れてるのではありませんw

トンネル広げたとたん瞳キラーン( Φ ω Φ )
大興奮して出たり入ったりスライディング。
くっついてるポンポンがツボらしい。


買ってあげた甲斐があるよ~w

ママ猫さんに育児放棄され、生後10日くらいで独りぼっちでいた仔。
まだ眼が開きたての、ハムスターよりちいさな手乗りサイズでした。

自力ではまだ排泄できないので、肛門をトントントントン刺激してあげて。
やっと、はじめてのオシッコとうんちしてくれたときは感動でした。

哺乳類は母乳で育っていないと免疫力が弱いと云われているので、「無事に育っておくれ」と云い聞かせながら祈る想いで授乳しました。
やっと哺乳瓶をクチにくわえてチカラ強くミルクを吸い吸いはじめて……どれほど安堵したことか。
そして感動と感謝。

   ↓まさにコレ。
 
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   わしが育てた
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /   
   ノ `ー―i

ちょっと懐かしの2ちゃんaaアートww

ネットでこのaaアート見るたびにブンブン頷いては、ちこちゃんを眺めて感無量。
まじですよww

人間のお母さんもこんな想いで子育てするんでしょうね。
あまりにも酷すぎるイタズラにガマンできず大声で怒ってしまったり、怒ってしまったことに胸を傷めたり。
元気だからこそイタズラができるのだと、また感謝したり。

ちこちゃんが家族になってから13年。
またお誕生日をいっしょに迎えられたことへの感謝日記を幾度か書いてきましたが、今年は喜びと不安が半分々々。

もう歳をとらないでほしい。
もう成長しなくていいよ。
いまの元気なままでずーっといてほしい。
ずっとずっと赤ちゃんのままでいい。

うちの猫たち今まで見てきて、13歳って節目かなって思うから。
ピークなんだよね、たぶん。
これからは老いがスタートするのかな。
いつかくるお別れに堪えられるかな。
家族はもう、ちこちゃんだけ。

猫隊員2号を亡くしたばかりで心がとても弱ってるのもあるのだけど。
しっかりしてちこちゃんを守らないと。

依頼した火葬会社の方から「今まで依頼されたなかで、最高齢は36歳の猫だった」と聞きました。
相棒の火葬を終えたばかりの哀しみのなか、そりゃあビックリしたよ。
信じられない気持ちもあったけど、その飼い主さんのこともお話してくれて創り話しには思えなかった。

36歳だよ!
立派だねぇ。

36歳はムリでも20歳越えるまで健康でいさせたい。
じぶんの目標。
ちこちゃん、立派な猫又になるんだよ。
だいじなだいじなだいじなちこちゃん。

コメント (6)
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ペット観音さま。

2015-03-11 00:06:50 | いちばん大事な宝もの。ねこ。
3月はうちの猫隊員の1号と4号の月命日があります。
やっと買ってあげました。


ペット供養の観音さま。

慈悲深いやさしいお顔の観音さま。
足もとにワンコとニャンコとウサギが居て、観音さまを見上げています。
天国のあの仔たちをお見守りください。
この世にいたときもとてもよい仔たちでしたよ、観音さま。

5年前に『ペットロス』で検索したブログでこんな商品あることを知って、ずっと欲しかったのにライヴ代やらじぶんのためにお金使っちゃって、あと回しにしてた。

猫隊員たちの供養のためにだけど、買ってみて気づきました。
じぶんの気持ちが楽になりたいから、なんだと。

浅草寺で購入できるようです。
わたしは販売時間までに行くの間に合いそうにないのでネットでポチっと。
手のひらサイズのちいさな観音さま。
倍のサイズのほうはウサギが居なかったからこちらにしました。
ちいさいほうが引っ越しやいざというときに持ち出しやすいので、結果こちらでよかったかも。
だから骨壺もちいさいのが良いことにも気づいたよ。

3月11日。東日本大震災。
ときの流れで忘れてしまいがちになってしまうけど、いざというときは猫を守れる部屋にしていかなれば。
骨壺はすぐに持ち出せるように。
6年前にフーちゃんが亡くなったとき欲張って大きい骨壺にした。
バカだねぇ。おくりびと初心者だったからね。。。

震災で生き別れになってしまった動物たちと家族さん。。。
逢えるよう祈ってますからね。
もう2度と逢えなくなってしまったひとたちは、どうか心が健やかになれますように。

天災には抗えないけど、原発事故は人災。
海も大地も汚してしまったよ。
罪のない動物と魚と植物たちが犠牲になって、業の深い人間は放射能廃棄物を未だに押し付けあってるよ。
わたしも人間だから連帯責任。
生まれたときから原子力の恩恵を賜り生きてきました。

観音さまの隣に居るのは人造ニャンコの『ハンちゃん』
去年、お正月を過ぎても売れ残っていて、処分価格の半額で買ったから『ハンちゃん』♪
売れずに狭いケージのなかでどんどん成長するペットショップの仔のようで不憫でした。
ハンちゃんはソーラー電池で可愛く首をふり、小槌をたたく、エコ猫です♪
自然の力だけで毎日、笑顔で働いてくれてる♪
ハンちゃんを製造してくれた企業さん、ありがとう。
うちで大切にしてますよ。

いぜん通院したことのある動物病院から今日もキャンペーンお知らせハガキがきた。
宛名は亡くなった相棒。
こんな形で名前を見るのってけっこうつらい。
何度あっても慣れることはない。

今日は晴れているのに空は真っ黒な雲。
災害の前兆かと恐くなり、気をひきしめさせられました。
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お薬さん2号が天国に旅立ちました。

2015-02-27 07:22:34 | いちばん大事な宝もの。ねこ。
2014年は最愛の愛猫が亡くなった哀しい年になりました。

18年以上いっしょに居た相棒。
居なくなってしまったら自分は生きていけないかもとまで思ってた。
大好きでたまらない最愛の存在。

夜中にひとりぼっちで道端で鳴いてた仔猫。
ちいさな身体でわたしのあとを必死に追いかけてきた。
飼うつもりまったくなかったのに、いじらしさに根負けしてしまった。

ありふれた雑種のキジトラ。
『ぶさかわ』でさえない。
なんの特徴もない猫。
だから出逢えたんだと思う。
『残り物に福あり』の仔でした。

出逢ったときは生後、約2ヶ月。
仔猫のときから手足も体高も大きくて、小型犬並みの大猫に成長しました。
体重はマックスで9キロ。
見たひとはみんな大きさにびっくりしてた。

「火葬後は猫用の骨壺に入らないんじゃないだろうか?」

いつかくる別れにそんなこと考えたりしたけど、心配無用でした。
老猫になってからはだんだんと小さくなっていき、亡くなる前日に病院で計ると体重はたったの2,2キロだった。

ちいさくなって、かるーくなって、骨だけになってもっとちいさくなってしまった。

相棒がいない淋しさを紛らすために映画の『E.T.』を観ます。
地球で友だちになった少年との別れがきたとき、E.T.が少年のおでこを指で触れながら云うセリフの、「イツモココニイル」。
このシーン観ると気持ちがちょっと優しくなり、安らかになれる。

ジバニャンみたいにハッキリした姿はないけれど、たしかに自分の心にはずっと居てくれてる。

名前は好きな映画の登場人物からもらいました。
フェリーニの映画で、老いた道化師の名前。
その名のように穏やかで愛嬌たっぷりの優しい猫に育ちました。
わたしをたくさん笑顔にしてくれた。

先輩猫に毛繕いしてあげ、新入り猫に毛繕いしてあげ、自分は誰にも毛繕いしてもらえずにひとりで身体を舐めていた。
いつも3匹ぶんの毛玉を苦しそうに吐いてるから、わたしは心配してました。
面倒見のいい頼もしい猫でした。

意思疎通が図れる猫だった。
揺るぎない信頼感をおたがいにもっていました。

相棒の仔猫時代からの仕事は幾つかあって、そのひとつは、わたしを『加害者』にさせないこと。
泥酔した配偶者からの理不尽な暴言と暴力で、悔しさに配偶者への憎しみと怒りが抑えられなくなったとき。
相棒は全力でわたしを止めにきた。
切羽詰まった声で唸りながら、わたしの身体を何度も甘噛みしながら。

老いてきてからは、そのオシゴトがだんだんできなくなっていました。

「ママをまもりたいのにボクのカラダじょうずにうごかないよ」

そう云いたかったんだろうと思います。
申し訳なさそうに、哀しげな眼でわたしを見守っていました。

ポンコツになっても一生懸命にじぶんの使命を守ろうとしました。


「今夜でもうダメでしょう。」

最期を宣告された動物病院からの帰り道。
不思議なことがありました。

自転車の前カゴに乗せた相棒に話しかけながら公園のわきを通り過ぎようとしたとき。
それまで眼を閉じてグッタリしていたのに、とつぜんカッと眼を見開いてキャリーバッグから飛び出ようとしたんです。
キャリーバッグのファスナーは閉じていませんでした。
閉じる必要がないほどにグッタリしていたから。
見えていないときに死なれるのもすごく怖かったし。

車が1台も走っていなかったのが幸いでした。

「まさか?!」

不安で心臓バクバクになって自転車を停めて様子を見ると、相棒はしっかりと呼吸し、眼を開けていました。

その公園の脇道は、6年前に亡くなった兄ちゃん猫を火葬した場所。
(移動火葬車です。)

「おまえは まだ こっちきちゃ だめだよ。」

先立った兄ちゃん猫が空から呼びかけてくれたのかな?

その夜から回復の兆しがありました。
ほとんど寝たきりだったのが歩けるように。

だけど『心ここに在らず』の虚ろな眼と姿で、意識朦朧としてるようにヨタヨタと徘徊しながらあちこちにオシッコ。
まるで何か得体の知れないものが憑依してるような姿になってしまいました。

前肢で身体を支えられないときには後肢だけでその場でずっと回転し続ける。
その姿の痛ましさに、子どものころに読んだ江戸川乱歩の『芋虫』を思いだし、その残酷な作品を思い出してしまったことに泣きました。

濁った声で大きく鳴き続け、四六時中、徘徊。

わたしがそこに居るのに相棒には見えてないようでした。
ちょっと前までの意思の疎通が図れる、自慢の愛猫の姿はなくなっていました。

ほんとうに辛かった。
先の見えない介護に疲れはて、いっそ死んでしまったら、この疲労や束縛から解放されるとまで思ってしまった。
ごめんね、ごめんね!

覚悟を決めました。
ソファにペットシーツを敷き詰め、タオルにくるんだ相棒を抱っこしながらソファで仮眠の日々になりました。
ケージを買うことも考えました。
ケージにいれておけば粗相の心配もなく、じぶんの外出が楽になるから。

だけどやっぱりケージ閉じ込めはできなかった。
高齢者マンションの『拘束』と同じだもの。
わたしが相棒のトイレになればいいと考えました。

夏場だったからできたのかもしれない。
身体にオシッコされるたびにすぐにシャワーで洗い流せて着替えられたから。
安い部屋着をたくさん買いました。

あたりまえだけどオシッコは温かくて。
わたしの肌に沁みわたる温もりが相棒の生きてる証しなんだと愛しくて。
グッタリとした身体から肌で感じる鼓動のリズム。
ポンコツの心臓はがんばってる。

奇跡はほんとうに訪れました。
相棒の視点は徐々にハッキリとしてきて、わたしの眼を見返すようになりました。
そして、とうとう食べてくれるようになったのです。
強制給餌をまったく受け付けなかったのが、じぶんのクチで食べるようになりました。
食べる意思さえあればきっともう大丈夫。
あの日の喜びは一生ものの喜び。

買えるかぎりの種類の流動食を試みて、食べてくれたのは『15才からの健康缶』だけでした。
療法食の他のはまったく食べなかった。
だから、命の缶詰でした。
この缶詰には感謝でいっぱい。

介護用ベッドにじぶんで行き来するまでになりました。
ちょっとイタズラしてベッドの置場所を変えてみると、どこに置いてもベッドに行くのがいじらしくてね。
買ってあげてよかったな。

また意思の疎通が図れる、もとの可愛い相棒に戻ってくれたのです。
名前を呼んだら必ず返事する律儀な相棒に。
数年前から嗄れた大声で鳴いていたのに(老化現象と思います)、不思議なことに声が赤ちゃん時代のように可愛らしくなっていました。

近所で新しい動物病院が開院してたのを知り、そこへ通院しました。
以前のかかりつけには「もううちでは治療しようがない」と云われたのと、希望をかけてです。

ごはんの催促もしてくれるようにまでなりました。
おみやげに買ってきたお刺身をソワソワ待つ食いしん坊の相棒に戻りました。

美味しそうにお刺身を食べる姿を眺めながら、わたしは深夜の遅い呑みながらの夕食。
至福のひととき。
あたりまえだと思っていた毎日がどれだけありがたく、しあわせなことかとしみじみ噛み締めました。

今まで贅沢させてなかったことを申し訳なく思い、ちょっと高めの食器に買い換えたり、毎日お刺身を買ってあげたり。
できる限りのことをして、甘えさせてあげたかった。
それがじぶんの幸せだから。。。

さいしょにかかりつけに見放された夜から3ヶ月と数日。
奇跡はふたたび起こりませんでした。
食欲が嘘のようになくなって、流動食もひとくちも受け付けなくなりました。

シリンジでの強制給餌もやめました。
相棒の意思を受けとるときが来たんだと思いました。

「ママ ごめんね ボクもう がんばれない」って。

今度はちゃんと意識がしっかりとしててのことなので、わたしも覚悟できました。

とり憑かれたように『心ここに在らず』の相棒のままでお別れだったら辛すぎるから。

近くのかかりつけは休診日でした。
すこしでも楽な身体で天国に行けることを願い、以前に診てもらったことのある信頼していた病院につれて行きました。

初冬が一気にきたような強風と強雨の底冷えする日でした。
うちの前はタクシーがひんぱんに通るけど、寒い思いさせたくないので迎車にしました。
相棒の最後の贅沢です。
わたしは心で号泣しながら相棒との雨のドライブを楽しみました。

2日間の雨のドライブ通院の翌日。
大好きな相棒は亡くなりました。

仔猫のころからタイミングの悪い猫でした。
すぐ立たなければならないときに限って、いつも膝に乗ってきてコトンと寝ようとする。

「ママのおひざ もうあいた?」

そんな瞳でわたしを見上げたあとに安心した顔で眠ろうとするのだけど、ほんとうにすぐに立たなければならないときばっかりで。。。
ゆっくり座っていられるときは、いつも他の仔が膝の上を独占。
3人兄弟の真ん中って、こんな損な感じなのかな。
他の仔たちに譲って自分はいつもあとまわし。

最後までタイミング悪い猫でした。
抱いていたのに、亡くなる瞬間をわたしは見逃してしまった。

相棒の生きた証しを最後まで残したくて、すぐ撮影できるようにテーブルにタブレットを置いていました。
痙攣がはじまり、慌ててタオルにくるんで抱っこして、「大丈夫だからね!ママいるから!」と呼びかけながらタブレットをタップするため眼を放した……わずか一瞬でした。

あっけなかった。
あっというまでした。
この世での最後のオシッコをしたのち、彼の心臓は動かなくなりました。
わたしの身体を濡らすオシッコはまだ温かくて、その温もりがこれでほんとうに最後なんだと哀しくてさびしくて。

つらくてすぐには観られず、数日後になって再生しました。
ムービーで残せてよかったって、ほんとうに思った。
呼吸は速くも荒くもならず、静かに「ふっ」と息をひきとっていました。
苦しまずに逝ってくれたと思う。

最期の一瞬を見逃したことはきっと相棒にバレてないと思います。

自分の最期を感じとったのか、亡くなる数秒前にとつぜん、掛けていたタオルを必死にクチにくわえて振り払い、手を伸ばしてきました。
最後のチカラを振り絞ってわたしに触れようとしたんだと思います。
すぐに手をつかむと、ぎゅっと指を握ってきました。

最後まで、わたしを必要としてくれた。


前日までとうって変わってすこし暑い日になりました。
別れは辛いけれど、すこしでも傷まない身体で天国へ送り出せるように翌日に火葬を終えました。
5年ぶりのペット火葬車は進化していて、煙が出ないようになっていました。
あの煙を見るのはほんとうに辛いので、進化バンザイです。
火葬屋さんは優しいかたで、相棒の遺体を撫でてくださいました。
ありがたかったです。

奇跡と思える回復をしてからの3か月間。
天からのプレゼントだったのだと思います。
あの3か月間がなかったら後悔ばかりで苦しんでた。

「今日が最後の1日。」

そう心に刻みながら、相棒との残りすくない時間をたいせつに生きることができました。


昨夏の記憶がだんだんとスローモーションになっていきます。
時間薬が効いてきて、記憶から想い出になりつつあるのかもしれないです。

新しい動物病院へふたりで自転車で通った道。
途中に大きな神社があったのでいっしょにお参りしたかったけれど、デング熱が流行していたときだったのでけっきょく連れていってあげられなかった。

「蚊がいなくなったら、ママとあちこちデートしようね。」

その約束は果たせなかったけど。
元気になったら海を見せてあげたかったけど、そのころにはもう寒くなってきてたから心配でね。ほんとだよ。

自転車の前カゴにちょこんと乗り、キャリーバッグのフタから顔をくるくるさせて景色を見ていた相棒。
信号待ちから「しゅっぱーつしまーす♪」と声をかけるたびに、「にゃー」と返事していた相棒。
けっこう楽しい記憶。

相棒が生きていた去年の夏に戻りたいなぁって思う。

先に逝った仔たちに迎えられて、天国でみんなで猫団子になっているかな。
毎夜、星と月を見上げてはあの仔たちのしあわせを願っている。

逢いたいなぁ。
いっしょに年越ししたかった。

こうしてあげたらよかった。ああしてあげたらよかった。
怒らなければよかった。
食べさせてあげればよかった。
目やに取ってあげればよかった。
もっとたくさん誉めてあげればよかった。

キリがないって解ってるけど、もう、してあげられないのが苦しい。


賑やかだった猫たちとの暮らしが、とうとう、1匹だけになってしまいました。
愛猫たちはわたしの『お薬さん隊』です。
6年前に1号が亡くなり、5年前に4号が亡くなり、昨年に特効薬さん2号が亡くなり、いまはお薬さん3号だけでがんばってくれてます。

増税前に駆け込みで買いだめした『複数猫用』のトイレシーツとトイレ砂が哀しい。
複数猫の字がすごく哀しい。
隊員3号だけでは使いきれないよ。

隊員たちが大好きだった円い形の爪磨きも箱買いしちゃってたくさん残ってる。
バカみたいに買い込んでいたのは、猫たちがいつまでも傍に居るものだと思いたかったからなんだ。
3号は好物じゃないマタタビをどうしよう。
捨てられずにいる。


日記書いてると、どんどん相棒への想いがあふれてきてキリないです。


亡くなる日に残せた、わたしを見上げてくれる最後の1枚になりました。


18年間、ありがとう。


いつも愛猫たちの名前は伏せてなかったのですが、お世話になった動物病院がもしも目にされたら不快な思いされるかもしれないので今回は伏せました。
最後に診ていただいた病院でそれまで見落とされていた症状が判明され、もう手遅れでした。
それまでのかかりつけへの複雑な思いはありましたが、恨みなどの感情はありません。
ほんとうに動物が好きで獣医をされてるのが伝わる良心的な獣医さんだからです。
心の綺麗な獣医さんに診てもらったこと。
わが家で、膝の上で看取れたこと。
猫の平均寿命より長生きしてくれたこと。
出逢ってくれたこと。
ほんとうにありがとう。


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