臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今日の清水房雄鑑賞(其の8)

2010年11月17日 | 今日の短歌
○  われ一言も言ふことの無く終りたる会議のさまも記しとどめつ

 『風谷』所収、昭和四十六年作である。
 題材となった場は、結社<アララギ>の編集会議でありましょうか?
 それとも、勤務校の職員会議でありましょうか?
 評者は後者と思っているから、その線に沿って鑑賞を進めたい。
 学校の職員会議ほど愚劣なものは無いと評者は思っている。
 県教委からの通達があったりして、何かを決定しようとしている校長等の学校幹部は、事前に落とし処を決めて置きながら、「直面している事態の解決を計るために、ご聡明なる先生方のお知恵を拝借致したいと存じます」などと芝居がかった猫撫で声で口火を切るのであり、そうした幹部に取り入ろうとする平教員は、頃合いを見計らって、幹部等が<落とし処>と思っているらしい線に添った発言をして、<しゃんしゃんしゃん>という運びとなるのである。
 その結論に至る前に何か爆弾発言めいた発言をする元気な教員が居るが、実のところは彼もまた、学校幹部の追従者であり、会議終了後に校長室に立ち寄って、「あの時は、ああいう発言が何方かから出なければ、何か八百長めいた、白けたような雰囲気になりそうだったので、不本意ながらああいう発言をさせていただいたのです。私の苦しい立場と気持ちを、どうぞご理解下さい」などと釈明している始末なのである。
 そうした会議の場では、<沈黙は金なり>とばかりに、一切「口を閉じるに如かず」と、本作の作者・清水房雄氏はお思いになったのでありましょう。
 そして、「われ一言も言ふことの無く終りたる会議のさま」を、帰宅後に日誌に「記しとどめ」たのでありましょう。
  〔返〕 沈黙は銀<否>銅以下かも知れぬ当たって砕けろ揺さぶりかけろ   鳥羽省三



今週の朝日歌壇から(11月14日掲載・其のⅡ)

2010年11月17日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]
○ 疲れたとスーツが言っているような面接試験二十三回  (東京都) 平井節子

 <草臥れた洋服を着て>という言い方はよくする。
 尾羽打ち枯らしたような感じの勤め人の着古した洋服を見てそう言うのである。
 察するに、本作の作者・平井節子さんは未だ学生かと思われる。
 もしそうならば、彼女は未だ<尾羽打ち枯らした勤め人>などである筈は無く、尾はピーンと反り返っていて、時折り電車の中で痴漢の被害に遭うだろうとも思われるし、羽は<鴉の濡れ羽色>というやつでありましょう。
 その<鴉の濡れ羽色>で思い出しましたが、あの<鴉の濡れ羽色>の<就活服>というやつは、若い人の服装としては、何と溌剌として無く、何と不景気で、何と凛々しくも美しくもない服装なんでしょうね。
 あの全身黒尽くめの服装は、かつては<リクルートルック>と呼ばれていた。
 その<リクルートルック>のリクルート社の創業者などの黒い政治家との関わりか何かの事件が発覚してからは、<リクルート>という言葉には常にダーティーなイメージが纏わり着くようになり、その結果として、今では、あれが<就活服>などという硬直した略語で呼ばれるようになり、楽しい盛りの二十代前半の若者たちを全身真っ黒状態に拘束しているのである。
 あれは、彼ら若人男女の服装では無く、我ら古稀を過ぎた爺や婆が、自分より先にあの世に旅立って行った者の焼香に行く際に着て行く<喪服>なのである。
 人生のスタート未満に在る者の着る服と、人生のゴール直前に在る者が着る服とが、全く<同色・同形>という、この矛盾。
 今の我が国には、その矛盾に気づく若者はいないのだろうか?
 もしも、そんな若者が居たとしたら、彼は<不景気・不況>のシンボルのような、あんな服を着るはずも無く、したがって、「面接試験」に「二十三回」も撥ねられて、「スーツ」に「疲れた」などと言わせるようなことは決して無いでありましょう。
  〔返〕 惹かれたと社長が漏らしてしまうような派手な服着て面接に行け   鳥羽省三


○ 秋空に槍投げの槍のまれたり芝の真中に白旗あがる  (新潟市) 花岡修一

 <2009年・世界陸上競技選手権大会>の<男子槍投げ競技>の決勝は、同年8月23日にベルリンで行われ、我が国の村上幸史選手(スズキ)は二投目に82メートル97をマークして、見事銅メダルを獲得したのであった。
 本作の作者・花岡修一さんは、その競技の村上幸史選手の二投目の場面の一部始終を、必要に応じて時間進行の一部をカットして、ここに一首の短歌としてお示しになったのである。
 そこで、それを当日の時間進行通りに、カット無しで示してみると、以下の通りとなる。
 即ち「村上幸史選手の右手から槍が放たれた→ベルリン国立陸上競技場の上空の「秋空に槍投げの槍」が「のまれ」るようにして飛んで行った→ベルリン国立陸上競技場のトラックの真っ青な芝生の82メートル97の地点に、村上幸史選手が放った槍は見事に突き刺さった→村上幸史選手が放った槍が82メートル97の地点に突き刺さるや否や、青い目の記録審判員の一人が早速飛ぶようにして「芝の真中」に走って行って、<セーフ>を示す「白旗」を高々と上げた」の順序である。
 本作の作者・花岡修一さんという方は、よほど記憶力に勝った方と見受けられ、一年以上前のあの日のあの時間のことを克明にご記憶なさっていて、ここに見事にあの感激の場面を活写して、私たち鑑賞者に示して下さったのである。
 ありがとうございます、花岡修一さん。
 そして、本日の見事なるご入選もおめでとうございます。
 あなたのようなご奇特な方がいらっしゃるから、我が国・日本の陸上競技界も先ずは安泰というところなのです。
  〔返〕 神宮の砂場の砂に印されし花岡麻帆の著き靴跡   鳥羽省三
 往年の女子走り幅跳びの名選手・花岡麻帆さんは、本作の作者・花岡修一さんの親類縁者なのでありましょうか?

 
○ 市街地をじゃれて歩きし二十分後射殺されたる羆の親子  (稚内市) 藤林正則

 「市街地をじゃれて歩きし」の具体性が宜しい。
 我が国最北端の街・稚内の「市街地」の殺伐とした様子が目に見えるようである。
  〔返〕 階段をじゃれて降りたら怪我すると妻は私に説教をする   鳥羽省三


○ 菜園のキャベツ野兎に食べられてスーパーに行くマンガのような  (石岡市) 武石達子

 「野兎」は<のうさぎ>と読むのでしょうか、それとも<やと>と読むのでしょうか?
 「菜園のキャベツ」を食べた犯人(犯獣かも)が<鼠>や<熊>や<鹿>では無くて、「野兎」であったところが、五句目の「マンガのような」という感想を導き出したのでしょう。
 特に、「野兎」の「野」が、この一首を傑作たらしめるに欠かすことの出来ない要素かと思われます。
  〔返〕 ベランダのホウレン草を蛞蝓が食べたとしてもマンガにならぬ   鳥羽省三


○ 廃校の鉄棒に来て小猿めが夕陽を蹴りてくるりとまわる  (宮城県) 須郷 柏

 「廃校の鉄棒に来て」「夕陽を蹴りてくるりとまわる」「小猿め」は、今は亡き春日井建氏の短歌に出て来る跳躍の選手みたいだから、本作の作者・須郷柏さんに嫉妬されるのである。
  〔返〕 春日井の命の如き夕焼けを背中に浴びて我は街行く   鳥羽省三


○ イノシシが処かまわず掘り返すそのひもじさを当たり散らすがに  (西海市) 前田一揆

 韻律を損なっての、五句目末尾の「がに」の使用が悔やまれる。
 そもそも、文語調短歌特有の略語たる<とふ><ごと><がに>の中で、最も特異で、最も現代短歌の中での使用に耐えないのは、この「がに」であろうと思われる。
 したがって、本作の「がに」は、単に韻律を乱すのみならず、一首全体が口語で纏まるはずの作中に、「がに」という<お化け葛籠の底>から這い出して来たような、死語同然の語を混ぜることにもなるのである。
 評者は、本作の如く「がに」を使用した短歌に、<がに短歌>という蔑称を奉っているのである。
 本作の場合は、末尾の「がに」を捨てて「イノシシが処かまわず掘り返すそのひもじさを当たり散らすか」としても、「イノシシが処かまわず掘り返すそのひもじさを当たり散らして」としても、一首の趣きにそれほどの変化が無いと思われるのであるが?
  〔返〕 仲人が処かまわず聞き廻る昭和中期の見合い結婚   鳥羽省三


○ うかうかと博物館に棲みついた狸見たさに博物館へ  (大阪市) 灘本忠功

 「博物館」と名の付く社会教育施設の殆んどは、年から年中暇だから、「狸」のような異類が「棲み」つくことにもなるのである。
 そのうちに、「博物館」の庭園の木の洞には<木霊>の類が「棲み」つくようになるかも知れません。
 でも、そうなればそうなったで、益々「博物館」らしき貫禄がついたと言うべきでありましょう。
 <体験学習>は、現在の<初等中等教育>の<目玉商品>のような優れた学習であるが、それも間も無く、文科省幹部官僚の気紛れな方針変化に伴って廃止されると判断される。
 それを廃止する前に、<木霊>の棲みついた「博物館」を使っての<心霊体験学習>を行ったとしたら、それは時代の最先端を行く<体験学習>となり、既に<体験学習>を<学習指導要領>から追放しようとしているらしい、無定見な文部官僚どもを慌てさせることになるに違いありません。
  〔返〕 木の洞に木霊の類の棲み着いて益々味の出た博物館   鳥羽省三


○ 猿が食い猪が荒らして残したる虫食い栗を食うはせつなし  (四万十市) 島村宣暢

 それは本当にせつないことでありましょう。
 人間より草木や鳥獣を大切にするのが、<自然保護>という考え方でありましょうか?
 だとすれば、<日本最後の清流・四万十川>流域での、動植物と一体となった生活も、なかなか切ないことと拝察申し上げます。
  〔返〕 鳥が飛び獣が走る森林を倒す作業を開発と呼ぶ   鳥羽省三


○ 生きるため街に出てゆく熊に似た父を見送る出稼ぎの朝  (佐倉市) 内山明彦

 「出稼ぎ」に「出ていく」「父」の風貌のみならず、「生きるため街に出てゆく」「父」の行為そのものも、「熊」に似ているのでありましょう。
  〔返〕 熊の仔が熊の母親思ふごと佐倉市の児は父を思へり   鳥羽省三   

今日の清水房雄鑑賞(其の7)

2010年11月16日 | 今日の短歌
○  現実を現実として受入れるまでにこころは年経たるなり

 『風谷』所収、昭和四十七年の作である。
 作者の清水房雄氏は、「現実を現実として受入れ」なければならない、と言っているのでは無い。
 「現実を現実として受入れるまでに」、作者ご自身の「こころは年経たるなり」と言っているのである。
 つまりは、「現実を現実として受け入れる」必要性の自覚を主題にしたと言うよりも、「現実を現実として受入れるまでに」自分の「こころ」がなってしまう程に、自分は「年」を「経た」のである、という自覚を主題にしたのである。
 本作をお詠みになられた当時の作者のご年齢は五十七歳。
 わずか五十七歳にしてこの自覚。
 平成二十二年の今と昭和四十七年当時とは、日本人の平均寿命も違うし、時間の進行速度にも大きな差が在るのかも知れません。
 しかし、今年の夏に古希を迎えた私は、未だに「現実を現実として受入れ」られないで、うろたえて居るのである。
 本作の作者の「受入れ」なければならなかった「現実」とは、漸く命脈の極まりつつある<アララギ>。
 そして職業人として、教育者としての自分の果たすべき役割り。
 そして、渡辺家の家計の担い手としてのご自分のお立場など、色々様々でありましょう。
 作者の清水房雄氏は、五十七歳にしてその全てを「受入れる」ことが出来、それを「受入れる」ことが可能になるまでのご自分のご年齢の積み重なりをご自覚なさって居られるのである。
 さて、古希を過ぎたるこの鳥羽省三の「受入れる」べき「現実」とは何か?
 かつて明眸皓歯を以ってうたわれたわが妻は、額と目元とに無数の皺が寄り、歯と言えば、口中入れ歯だらけとなり、今日の午後、その命の綱の入れ歯の手入れをしていたら、その入れ歯が割れてしまったと言って、只今、妹の車に同乗させていただいて、旧居住地近くの歯科医にお出掛けになっていらっしゃるのである。
 そして、明日・水曜日になれば、私にとってのもう一つの「受入れる」べき「現実」としての次男が、はるばる鷺沼からプジョー(自転車)を飛ばしてやって来るのである。
  〔返〕 現実はかくの如くに重くして我は齢を重ぬるばかり   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(11月14日掲載・其のⅠ)

2010年11月16日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○ 猿二頭わっさわっさと木を揺らす廃屋なればそれさえうれし  (飯田市) 草田礼子

 佐佐木幸綱選の五席にも選ばれているこの佳作を、選者・馬場あき子氏が二句目の「わっさわっさと」という擬態語の珍しさに惹かれて一席に推した、と私は思いたく無い。
 「わっさわっさと」という擬態語自体はそれほど珍しくは無く、馬場あき子氏がこの作品を推した理由はもっと別のところに在るのだと私は思っているのである。
 「猿二頭わっさわっさと木を揺らす」といった光景は、人間側から見れば、今は「廃屋」となっている家の住人が社会条件や自然条件との戦いに敗れてその場を逃げ去り、その後に人間よりも野性的で逞しい猿どもが現れ、それを戒めたり邪魔したりする者がいない事を<これ幸い>とばかりに、思う存分暴れ回っている無惨な光景であり、作者・草田礼子さんは、その無惨さを十分に解っていらっしゃるのでありましょう。
 しかしながら、作者は、自分の住む周辺の村々が過疎地と化し、若い人が次第に居なくなり、やがては取り残されたようにして其処に細々と暮して居た高齢者の方々も死に絶えてしまい、かつての人間の住居が「廃屋」と化してしまった過程の一部始終を見て来ていらっしゃるから、「猿二頭」が「廃屋」の庭の「木」を「わっさわっさと」「揺らす」風景、「それさえ」もこの場合は「うれし」とお感じになられたのでありましょう。
 そして、選者・馬場あき子氏も亦、本作をお詠みになった草田礼子さんの、そうした微妙な心の動きを見通す事が出来たのでありましょう。
  〔返〕 重機にてがっさがっさと屋根壊す廃屋なれど見るに耐えない   鳥羽省三
 女々しくも再三述べるようではあるが、私たち夫婦は、退職金のほとんどを叩いて建てた田舎の家を、たった八年間住んだだけで、涙さえ流れ出ないような捨て値で人手に渡して来た。
 しかし一時は、その涙金さえも出す人が現れずに、その家ごと所属地の市役所に物納してしまおうとさえ思ったほどであり、それが叶わなかった場合は、原野に還して犬猫や鼬狸などの遊び場になってしまうのかな、などと思ったりもしたのである。
 そんな私にとって、この作品は頗る共感の湧く作品である。
 世間では、「退職後の田舎暮らしの楽しみ方」などという呑気なタイトルの本が売られているが、田舎暮らしの現実は、都会暮らしに慣れた人間を寄せ付けない程に厳しいのである。
 ここ数週間はそういうことも無くなったが、つい先日までは、妻の親友の一人が、その持ち前の無類の親切心から、かつての我が家の顛末について電話して来て、「昨日、あなたの家の前を通ったら葡萄棚が壊されていて、その跡地を二台分の車庫にでもする気なのかしら、コンクリートの基礎工事が行われているみたいだった」とか、「昨日あなたの家の駐車スペースに小型トラックが止まっていて、その荷台には、何に使うのかは知んないけど、木材が積まれていた。二階の上がり口の広間を子供用の小部屋にでも改造するのかしら?」とかという、ホットなニュースを齎して下さって、未だに諦めのつかない私をやきもきさせて下さいました。
 その親切な女性のお名前は<Y・R>さん。
 <Y・R>さん、やきもきさせて下さって本当に有り難うございます。
 離れて住んでみるまでも無く、あなたの無類の人の良さと親切心は、この不人情の権化のような鳥羽省三にも十二分に解ります。
 でも、あなたからのその電話に接する度に、この鳥羽省三は、「ああ、私たちの夢の跡を、田舎の猿どもが、寄ってたかって<わっさわっさと>やってやがるなあ」と、密かに思ったものでした。 
 <Y・R>さん、御地はそろそろ雪模様でしょう。
 お宅の玄関前に、市の除雪車がドカ雪を置いて行ったりはしませんか。
 私の家内が、あなたに内緒で<抱き帰り渓谷>と名付けていた、あの狭い部屋の襖の締め具合が悪くなったりしてはいませんか。
 川崎に単身赴任中のご子息さまから、何かお便りがありますか。
 今年のハタハタのブリコは大きかったですか。
 そのうちに何も持たないで、私たちの新居にお出掛け下さい。
 お出掛けの節は、不肖私からの切なるお願いですから、何卒、お手料理のご披露はご無用に願います。
 それでは、お風邪など召されませんように。
  〔返〕 独り身で夕べ退かした雪の山今朝見てみればまた積もり居つ   鳥羽省三

 
○ 「MRI」異常はあらずわが脳に帽子かぶせて海を見に行く  (尾道市) 山口芳子

 作者の山口芳子さんとしては、「わが脳に帽子かぶせて」という三、四句の特異さを大いに評価して貰いたいところでありましょうか?
 だが、評者としては、其処に格別な目新しさを感じることも出来ず、かえってわざとらしい小細工感じるだけであり、その後の「海を見に行く」という平凡な表現に安らぎと救いを覚えるのである。
  〔返〕 尾道の坂は険しく帽子では脳を守れずメット被れり   鳥羽省三


○ 日当たりて柿はたわわに風ありてトランペツトの花はぶらぶら  (熊谷市) 内野 修

 猛暑の街・熊谷に秋風が吹き、柔らかい「日」が当たる中を、「柿」の実が枝も「たわわに」実り、「トランペットの花」が「ぶらぶら」と垂れ下がっているのでありましょう。
 真っ赤な「柿」の実も、「トランペットの花」も、<今年の夏の熱さにやられた疲れ>を休める為なのか、みんなみんな下を向いて「ぶらぶら」しているのである。
  〔返〕 熊谷に証城寺の無きが惜しまるるたんたん狸もぶらぶら出来ぬ   鳥羽省三
 馬場あき子氏の選評に「童画性がいい」とあり、一見ふざけ過ぎとも思われるこの返歌は、その選評に応えようとして、一所懸命に熟慮して詠んだ作品でありますから、何卒、ご容赦下さい。


○ 疲れての旅のおわりの大垣に芭蕉に代わり酒少し飲む  (八王子市) 相原法則

 「大垣」は「おくのほそ道」の結びの地であり、「駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曽良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子、荊行父子、其外したしき人々日夜とぶらいて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたわる」とその感激を述べ、それに続いて、「旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の迂宮おがまんと、又舟にのりて、蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と、旅日記を結んでいる。
 「大垣」には十五日間滞在し、地元の俳人たちと俳莚を重ねた後、また新たな目的地・伊勢に向けて出立した。
 「大垣」の酒と言えば、五明酒類醸造の<柿正宗>と三輪酒造の<白川郷>、そして宮脇酒造の<磯波>など、いずれも地酒の域を出ない小規模な酒蔵である。
  〔返〕 みちのくの旅の結びの大垣の菊の膾は少し酸っぱい   鳥羽省三   
 返歌中の「菊の膾」と松尾芭蕉との関わりについては、諸家のご研究成果をご覧下さい。


○ 芋の葉に蜂が来ている芋の葉の芋虫ねらう蜂が来ている  (館林市) 阿部芳夫

 ど素人の私などから見ると、「芋の葉」及び「蜂が来ている」の繰り返しが勿体無いとも思われ、煩わしいとも思われるのだが、阿部芳夫さんというベテラン歌人がこれを佳しとしてご投稿なさり、馬場あき子という超ベテラン選者がこれを傑作として入選作の一首としてお選びになられたのであるから、それはそれで宜しいのでありましょう。
 しかし、短歌歴の浅い者が、語句の重複する、このような作品を傑作だと信じて投稿するような場合は、先ず考えられません。
 思うに、阿部芳夫さんクラスのベテラン歌人ともなれば、「私が佳しとして投稿した短歌は、即傑作なのだ。誰が何と言おうとも、私が熟慮して選んだ表現は、その短歌にいちばん相応しく優れた表現なのだ」といったお気持ちなのでありましょうか?
 と、すると、短歌とは底の知れない文芸様式である。
  〔返〕 パチンコ屋にYが来ているパチンコ屋で小遣い稼ぐとYが来ている   鳥羽省三
      パチンコ屋にYが行かないパチンコ屋の開店日なのにYが行かない     々
 そんな事もありましょうな。
 なお、返歌中の人物「Y」とは、決して私の親戚縁者ではありません。


○ ピッカピカに光ってるひいばあちゃんの新米今日は私がとぐよ   (富山市) 松田わこ

 <米をとぐ>ことを<お米を洗う>などと言う馬鹿ママが居るのだが、<出来過ぎ姉妹>の妹さんともなれば、さすがにそんな馬鹿なことは言わずに、「ひいばあちゃんの新米今日は私がとぐよ」と言う。
 かほど然様に、富山市の<松田家>の教育は行き届いているのである。
  〔返〕 象印の炊飯ジャーも揃えたし後は田舎の新米待つだけ   鳥羽省三
 返歌中の「新米待つだけ」の「待つだけ」は、<松田家>との掛詞である。


○ PTAのママとろう下ですれちがう私のママじゃないママみたい  (富山市) 松田梨子

 高野公彦選にも採られている佳作ではありますが、私が糞真面目なだけが取り得の評者であったならば、「作中の『ママ』に告ぐ。子供たちは見ていないようで、やはり見ているものです。今日の午後、お出掛け先の学校の『ろう下』でご長女の梨子さんとばったり出会ってしまった時の『ママ』は、梨子さんの『ママじゃないママみたい』で『PTAのママ』みたいでありましたよ」などと評してお仕舞いにするところでありましょう。
 だが、私は見てくれ通りの人間でありますから、一言だけご注意申し上げます。
 PTA役員のお仕事を自分の「ママ」が引き受けていらっしゃるという現実は、小学生のお子様にとっては、積極的かつ知性的な「ママ」で誇らしい、という一面もありますが、でしゃばりで恥しらずの「ママ」で恥ずかしい、という一面も必ずあるものです。
 どうぞ、その点をお忘れになりませんように。
 そして亦、何よりもご家庭のお始末を専一に。
  〔返〕 PTAのパパと廊下ですれ違う失業中のパパが会長   鳥羽省三


○ 藻屑蟹捕る地獄籠瀬に漬ける四万十川の秋は寂しく  (四万十市) 島村宣暢

 <四万十川専門桂冠歌人>という称号を奉りたくなるような、島村宣暢さんの昨今のご活躍ぶりでございます。
 島村宣暢さんには、かくして、故郷・「四万十川」の源流から黒潮洗う太平洋に注ぐまでの風景と風俗をお詠みいただきたい。
 さすれば、近い将来、『島村宣暢作の短歌による四万十川風俗絵巻』といったタイトルの書物が現出するに違いありません。
 島村宣暢さんを措いて、他にその役目を果たせる人間はこの日本に存在しません。
 何卒宜しく。
 この作品に接した当初、「四万十川の秋は寂しく」という下の句を、私は、何か取って付けたような感じで受け取っていたのである。
 だが、よくよく考えてみると、この下の句は「藻屑蟹捕る地獄籠瀬に漬ける」という上の句と呼応して、上の句の中でも特に「地獄籠瀬に漬ける」という語句と呼応して、ただ単に「四万十川の秋」という季節の「寂しさ」を表わすだけでは無く、「藻屑蟹」というぼろぼろで哀れな「蟹」を捕らえたら最後死んでも出られないようにする仕掛けの、「地獄籠」なる非情の「籠」を「瀬に漬ける」ことを生業として生きなければならない川漁師を初めとした、四万十川畔に生きる人々全体の人生の寂しさを表わしているものと解釈するに至ったのである。
  〔返〕 違反車をとっ掴まえるを生業にする警官の暮らし侘しき   鳥羽省三
 <ネズミ捕り>にはよくやられますからね。
 「北東北のある県に往くと、<他県ナンバー>の自動車は、スピードの低速如何に関わらず必ず掴まえてやると、その機会を虎視眈々と狙っている警察官が居る」と、私の知人のMさんが仰って居られました。
 Mさん、その後、<ネズミ捕り>の被害に遭われましたか?
 貴方も私と同じように、還暦を過ぎましたから、無茶はやらないで下さい。
 そろそろ、佐賀蜜柑の最盛期ですね。
 お身体と奥様をご大切に。


○ 牛小屋の牛一斉に吼え出して主の運ぶ新藁を待つ  (前橋市) 兵藤宇亮

 「新藁」は、香しくて柔らかくて、いかにも美味しそうですからね。
 この作中の「牛」の気持ちは、本当に「新藁」を手に持って、その香りを嗅いでみた者で無ければ解りません。
  〔返〕 一頭が吼えれば牛みな吼え出して牛小屋たちまち猛猛と鳴る   鳥羽省三


○ ばりばりと毟るがごとく草を食む老いたる馬に秋静かなり  (岡山市) 奥西健次郎

 辺りの静寂と程よく調和して、「老いたる馬」の「毟るがごとく草を食む」音だけが聞こえるのである
  〔返〕 ばりばりと毟るが如き音のして<あねこ床屋>に額剃られる   鳥羽省三
 返歌中の「あねこ床屋」とは、北東北地方の田舎で、<中年以下の女性の経営する床屋>を指して言う言葉である。
 同じ女性の経営する床屋でも、還暦に達した女性の経営する床屋は、<ばばこ床屋>と軽蔑して言って、ほとんど客が寄り付かないのである。
 <あねこ床屋>の中でも特に、若くて亭主に生き別れか死に別れをした女性理髪師の経営する<あねこ床屋>の人気は異常に高く、その種の床屋に限って腕前が最悪で、彼女らは碌々研ぎもしない剃刀で恐れ気も無く、男客の額や顎などを剃るのである。
 しかしながら、今どき、わざわざ三千円以上もの料金を支払って<あねこ床屋>に出入りしている者の多くは、<あわよくば>との果敢ない望みを抱いているのであるから、例え彼の顎や額から血がだくだくと流れ出るようなことがあっても、彼の血は<あねこ床屋>の唇で一舐めして貰えばたちまち止まり、其処には何の問題も生じないのである。
  〔返〕 今頃はあねこ床屋で居眠りか母の生家の助平婿は   鳥羽省三    

今日の清水房雄鑑賞(其の6)

2010年11月15日 | 今日の短歌
○  どのベッドか嗚咽する如く読む聖書夜深くさめて吾の聞くゐる

 何処で何時、身に付けた<芸>なのかは忘れてしまったが、私も世間の例に見習って、「今日の清水房雄鑑賞」の稿を草するに当たって、それが短歌鑑賞の文の約束と言わんばかりに、毎回毎回、「『風谷』所収」などと言うことを、前置き的かつ形式的に書いてしまっているが、ふと立ち止まって考えてみると、清水房雄氏の第三歌集たるこの歌集のタイトル『風谷』が、何とその内容に相応しいタイトルであることかと思い、思わず嘆息してしまうのである。
 そのうちにブックオフの<105円棚>に並べられる運命に曝されているに違いない歌集の多くは、それをほんの思いつきで命名したと思しく、集中の一首、それもその歌集を上梓するに当たって、師匠格の風袋絡みの人物の覚え目出度き一首に出て来るだけで、その歌集に盛られているその他大勢の作品内容とも、歌集全体の主題(らしきものが在ればの話であるが?)とも何ら関わりの無いタイトルを、その表紙に、そのカバーに、その扉に、その奥付けに、でかでかと印刷しているのである。
 だが、私が、この五日間の「今日の清水房雄鑑賞」に採り上げさせていただいた六首、即ち「金持たせ帰ししあとに押黙りしばしありたる妻たちゆきぬ」、「酒屋の角まがれば雨あとの路地くらき押上三丁目君すでに亡き家」、「いつ逢ひても威勢よかりし頃の君先生をかこみわれら若かりき」、「救急車に横たへられ寒きしばしの間いたく遊離せしこと思ひゐき」、「この世代の斯かる団結の意味するもの怖れて思ふときも過ぎたり」、「金ですむ事も多いと言ひしのみ向きあひてゐて暑きまひるを」及び、今日採り上げる「東京警察病院四首」のいずれもが、それらを納めた歌集のタイトル『風谷』に相応しい内容なのである。
 救急車に乗せられて身体の底からぞくぞくと湧き上がって来る寒さを堪えながら、当面している事態から遊離している事を考えている作者。
 同士と頼み、ライバルとも思ってきた年下の歌人たちに裏切られ、自分は身動きもならない状態に置かれていたことを思って悩み、それでも、この頃はやっとその苦しい束縛状態から解放されたかな、などと甘いことを思っている作者。
 誰とも名を言えない人物からの無心を断り切れずに、なけなしの金を与えてしまい、最愛の妻からだんまりを決め込まれてしまった作者及び、だんまりを決め込んだ結果、気の弱い夫を心理的に追い込んでしまった妻。
 そして首尾よく金をせしめた招かれざる来客。
 自分は女房子供に泣いてせがまれても、そんなことは決して出来ないのに、「この世の中の事は金で済む場合もあるさ」などと嘯いて言う教育者と、例によって、そうしたご亭主の態度に不満を感じながらも、相変わらず一言も発しない細君。
 清水房雄氏の苦心の作品を掴まえて、年下の後輩でありながら、「君の短歌はつぎはぎだらけ」だなどと威張って言った友を懐かしみ、その友がかって住んでいた東京の下町中の下町<押上三丁目>の酒屋の角を曲がった所に在り、雨の後には蛞蝓だらけになってしまう路地裏の家を思い起す清水房雄氏と、その口の悪い年下の友の<小宮欽明君>とその<小宮欽治君>がかつて住んでいた湿っぽい家。
 これらの歌に登場する人も事も物も何もかもが、「風谷」の世界に住む者であり、「風谷」の中の出来事であり物である。
 これら六首の中で唯一例外的なのは、「いつ逢ひても威勢よかりし頃の君先生をかこみわれら若かりき」という作品に登場する三人の人物なのであるが、彼ら三人とて、その周りには、轟々と音を立てて寒い風が吹いていたのでありましょう。
 要するに、彼らの生きていた時代そのものが「風谷」の世界なのである。
 前置きがやたらに長くなってしまったが、そろそろ本題に戻そう。
 ここに亦、「風谷」の住人とも言うべき二人の人物が登場する。
 その住人とは、言うまでも無く、深夜の「東京警察病院」の「ベット」で「嗚咽する如く」「聖書」を「読む」患者と、自分も同じ立場にありながら、その「嗚咽する如く」「読む」「聖書」を「さめて」「聞きゐる」作者の二人である。
 「東京警察病院」とは、まさか、何か犯罪を犯したと疑わしき人物ばかりを収容する、二重ロック付きの特殊な病院では無いだろう。
 恐らくは、警察関係者の互助会か福利厚生団体が経営する病院であり、ごく善良な警察関係職員や、場合によっては、評者や作者のようなごく善良な一般市民も治療を受けに訪れたり、入院することが出来たりする病院に違いない。
 だが、この四首連作が「東京警察病院」という言葉で統括されていたりすると、そこに登場する人物の全てが、真夜中に暗いベッドの上で「嗚咽する如く」「聖書」を「読む」迷える子羊的な人物も、それに耳を傾ける教育者兼歌人も、「泣くごとき声の北京語」で自分の「病状」を「電話」で「告げいるらしき」謎の人物も、「個室にうつされてゆく」に当たって、療養の友の「ひとりひとりにあいさつ」をしている「老いびと」も、登場する者の全てが、何か残忍な犯罪を犯して、その罰として、地獄の入り口の三途の河原で不毛の<石積み>をさせられている人物のように思われてならないのである。
 またまた、脱線してしまったが、この一首について述べると、四句目の「夜深くさめて」という表現が要注意である。
 「嗚咽する如く読む聖書」は、本作の作者たる「吾」が、単に痛みに堪えきれずに「夜深く」目覚めて聴いているだけのことであったならば、この作品の下の句は、おそらくは「夜深く覚めて吾の聞くゐる」であったに違いない。
 それがそうならずに、「夜深くさめて吾の聞くゐる」となったのは、「嗚咽する如く」「聖書」を読んでいる人物と同じ立場にある作者には、「人の弱みに付け込んで、イエス・キリストの廻し者の奴らは、可哀想な迷える子羊を騙しおって」といった穏やかならぬ気持ちが在ったのかも知れません。
 もう少し駄弁を弄しますが、私はかつて<横浜警友病院>という警察関係の総合病院で健康診断を受診したことがある。
 その時は、私は必ずしも<教員不適格者>とか<犯罪者>としてその病院に連れて行かれたのでは無く、私の雇い主の神奈川県教育委員会からの指示によって、私以外の大勢の善良かつ良識ある先生方と一緒に、<横浜警友病院>で健診を受診したのでありましたが、実を申し上げますと、その時の私には、心中穏やかならぬものが在ったことを、此処に包み隠さず報告させていただきます。
  〔返〕 祈るとも恨むとも無く呟ける聖書読む声深夜に響く   鳥羽省三


○  泣くごとき声の北京語病状を告げゐるらしき長き電話に

 ここにも「風谷」からの冷たい風が轟々と音を立てて吹いているのである。
 あの「北京語」は、本当は、産業スバイや麻薬取引の暗号なのでは無いかしら、などとも思ったりしてしまいます。
 私も亦、深夜の院内の公衆電話で、あと幾許も無い自分の命や病状について、細々とした声で告げていた声を聞いたことが何回かありました。
  〔返〕 入り婿で<おべこ>の名ある彼がせし真夜の病舎のケータイの声   鳥羽省三
 作中の「おべこ」とは、<知ったか振りをする者>を蔑視して言う東北方言である。 彼の博識振りに嫉妬心を抱き、彼が某家の「入り婿」であることを密かに軽蔑していた周囲の者から「おべこ」という在り難く無いあだ名を奉られていたS氏は、私のかつての知人でありましたが、私が郷里の病院に入院していた時期に、彼も三回目の癌摘出手術とかで入院中で、彼が真夜中に病廊の片隅で何処かに電話をしている声を耳にしたことが何回かありました。
 私が退院した後間も無く、彼はあの世に旅立ちましたが、あの時の彼の切々たるケータイの話し声は今でもまだ、私の耳底にこびり着いているような気がします。
 その後、たまたま聴いたところに拠ると、彼はその病気とそれが原因の失業ゆえに、婚家の家付き娘の奥さんとの仲が必ずしもすっきりと行っていなかったとのことでした。
 されば、彼があの入院中の、あの真夜中に掛けていたケータイ電話の話し相手は、いったい何処の何方だったのでありましょうか?


○  西の窓におこる讃美歌八月の十五日今日は日曜日にて

 本作が詠まれたのは、昭和四十六年の真夏と思われる。
 あれから二十六年後の暑い夏の盛りに、あの日のことを、本作の作者は、「西の窓に」突如「おこる讃美歌」によってまざまざと思い知らされたのである。
 詠い出しの「西の窓に」という表現は、真夏の西日の暑さを思わせると同時に、突如「讃美歌」が起こるに相応しい環境としての<西方>を意味するものでありましょうか?
 それはそれとして、その「讃美歌」に耳を傾けている作者は戦争体験者であるから、その「讃美歌」の歌い声を耳にすると同時に、彼の心はあの「八月の十五日」の世界に運ばれて行ってしまい、自分がやはり「風谷」の住人であることを意識せざるを得なかったのでありましょう。
  〔返〕 ナースらも唄っているか讃美歌を聖母の如き淡き胸して   鳥羽省三 


○  個室にうつされてゆく老いびとが一人一人にあいさつしたり
 病状が好転して「個室にうつされてゆく」などということは先ず在り得ない。
 入院患者が相部屋から個室に移されて行く場合は、その人が大金持ちであるとか、身辺を警護しなければならない大物政治家であるなどの特殊な場合を除いては、手術後で特殊な加療を要する場合とか、もはや手の施しようが無いほどに病状が悪化している場合などでありましょう。
 したがって、その「老いびと」は自分の残り少ない命を知って、今生の別れのつもりで、それまでの病床仲間の「一人一人にあいさつ」しているのでありましょう。
 「あいさつ」をする「老いびと」とそれを受ける同室の患者仲間。
 そして彼ら患者に同じ立場でその様を熟視している作者の心の中には、一様に「風谷」からの激しく冷たい風が轟々と吹き荒れているのでありましょう。
  〔返〕 握りたる力の弱き掌に残り少なき命感じる   鳥羽省三

今日の清水房雄鑑賞(其の5)

2010年11月14日 | 今日の短歌
○  金ですむ事も多いと言ひしのみ向きあひてゐて暑きまひるを

 『風谷』所収、昭和四十六年の作品である。
 「金ですむ事も多い」とあるが、清水房雄氏がこの作品を詠んだ昭和四十六年の夏は、昭和四十年の歳末頃から昭和四十五年の夏頃まで続いた、いわゆる<いざなぎ景気>も一段落を遂げ、長期安定期と呼ばれる時期の入り口に差し掛かった頃ではあるが、やがてやって来る<バブル景気>を前にして、私たち日本人の間に<世の中のことは万事金任せ>といった風潮が兆し始めた頃であるから、教育者としての清水房雄氏の心中にそうした思いがあったとしても不思議とは言えない。
 「金ですむ事も多い」とは、何か早急に対応しなければならない事態に直面して、例によってだんまりを決め込んでいる奥様に対して、清水房雄氏自身が仰った言葉でありましょう。
 その事態は、どんな事態であったのでありましょうか?
 格別親密な間柄でも無かった知人がお金を借りに訪れたのかも知れない。
 親戚や姻戚などの親しい間柄の者が何か事故でも起して、被害者たる相手側から現金での補償を要求されたのかも知れない。
 もっと大胆に言えば、清水房雄氏ご自身の女性問題であったかも知れない。
 作者ご自身が、それ以上の何事も仰って居られないのだから、作者をして「金ですむ事も多い」と言わしめた原因の何たるかは、この評者には知りようも無い。
 只でさえ暑い夏の「まひるを」、本作の作者・清水房雄氏とその奥様の二人は、会話と言えば、只一言「金ですむ事も多い」と言っただけで、それっきりご夫妻とも黙したままで「向きあひて」座っているだけだったのである。
 私たち鑑賞者からすれば、その当時の清水房雄氏は教育者であり、一応は名の知れた歌人でもあったから、その彼の口から、田舎政治家や渡世人の口からでも出るような「金ですむ事も多い」などという不謹慎な言葉が出ようとは、到底信じられない。
 しかし、その言葉は間違いも無く、世間に名の知れた歌人にして教育者の清水房雄氏の口から発せられたものである。
  〔返〕 金で済む事ばかりではない世の中は例えば自作の歌集の評価   鳥羽省三




今週の朝日歌壇から(11月8日掲載・其のⅢ)

2010年11月13日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]
○ 待ち並ぶ列の乱れて渦の中一目ナダルを見んと背伸びす  (安城市) 藤井啓子

 作中の「ナダル」とは、先般来日したテニスの世界ナンバーワンプレーヤーとか?
 その彼を「一目」「見ん」とて「待ち並ぶ」人の「列の乱れて」、その「渦の中」に在った本作の作者・藤井啓子さんも亦、世間並みの物好きであるから、「一目」「見んと背伸びす」るのである。
 語句の運びがなかなか効率的である。
  〔返〕 待ち並ぶ列の乱れてその隙に開店初日の<ブックオフ>に入る   鳥羽省三
 という訳で、本日の収穫は「セレクション歌人・高橋みすず集」、「同・佐々木六戈集」などの五冊、締めて五百十五円でした。


○ 田舎に住み「田舎暮らし」の本を買ふ夫の田舎は山のあなたに  (埼玉県) 小林淳子

 そういうことはよくありますよ。
 私も「田舎暮らし」をしていた当時は、「本を買ふ」まではしませんでしたが、図書館から借り出して来て、「田舎暮らし」を題材にした「本」をよく読んでいたものでした。
 「田舎」に住んで居ながら、もっともっと奥の方の「田舎」で暮らすので無ければ、本当の「田舎暮らし」をしているのでは無い、と感じていたからなのでしょうか?
 故に、本作の作者・小林淳子さんのお察しの通り、小林淳子さんのご「夫」君の場合に限らず何方にとっても、「田舎」とは常に「山のあなた」の空遠くに在るものなのでしょう。
  〔返〕 駅に五里イオンに三里豆腐屋に二分で行ける田舎暮らしか   鳥羽省三


○ 背広着る堅苦しさは嫌だったでも守られていたと知る今  (佐倉市) 内山明彦
○ 定時制高校卒の経歴が食い込んでくるもう歩けない    (姫路市) 波来谷史代

 世知辛いこの世の中に在っては、「背広」で「守られ」たり、出身校で「守られ」なかったりすることも、間々在り得ましょう。
 しかし、本当の意味で自分を守るのは、裸一貫のご自身の身体だけです。
 したがって、今更、「背広」がどうの、「定時制高校卒の経歴」がどうの、と難しいことは仰らずに、今在る自分と、今在る自分の環境と、自分の身体だけは大事にしましょう。
  〔返〕 紳士服「アオキ」の臨時店員が定時制卒の履歴で悩むか?   鳥羽省三

 
○ オオタカの雛はサシバの餌を食べ親の教える弱肉の味  (鳥取市) 山本憲二郎

 作中の「サシバ(差羽)」は、<タカ目タカ科サシバ属>に分類される鳥であり、中国北部や朝鮮半島や日本などで繁殖し、秋には沖縄・南西諸島を経由して東南アジアやニューギニアで冬を越す。
 日本では四月頃夏鳥として本州、四国、九州に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。
 全長は、雄はおよそ47cmで雌はおよそ51cm。
 両翼を全開すると105cmから115cmにもなるから、決して小型とは言えない猛禽類であるが、その「サシバ」を更に大型の猛禽類・「オオタカ」の親鳥が捕まえて来て、<生き餌>として雛鳥に食べさせるのであろうか?
 それならば、まさしく「親の教える弱肉の味」である。
 本作の表現について申せば、「サシバの餌を食べ」という辺りが舌足らずと言うか、説明不足であり、「親の教える弱肉の味」というのも硬直した表現である。
  〔返〕 <白魚の踊り食ひ>また生き餌にて我ら人類オオタカしずる?   鳥羽省三 


○ 本年度税制改正聞き終えてシャッター通りを自転車で帰る  (静岡市) 堀田 孝

 適切な言い方をすれば、「税制改悪」と言うべきところを、政府は「税制改正」などと言って問題の本質を糊塗するのである。
 その「本年度」の「税制改正」説明会帰りの「シャッター通り」での、「自転車」のペダルの踏み心地は、一体如何なものでございましたでしょうか?
 <自転車操業>などという言葉を思い出しながら、評者はこの一首を鑑賞させていただきました。
 私は、首都圏生活を再開する前には、「シャッター通り」は、北東北の田舎町にだけ現出するものだとばかり思って居りましたが、今や、日本全国至る所に存在しているのですね。
  〔返〕 シャッターが在るだけ幾分増しでせうそれが無ければ風邪引くでせう   鳥羽省三


○ F1の熱戦終わり町静か鈴鹿の空を渡り鳥ゆく  (鈴鹿市) 辻 順子

 鈴鹿サーキットは一時期閉鎖の方針であったのだが、いつの間にか亦、その方針が撤回され、毎年その時期になると、「F1」などの自動車レースで賑わうのでありましょう。
 その「F1の熱戦」が「終わり」、「町」が「静か」になると、「鈴鹿の空を渡り鳥」が飛んで「ゆく」のでありましょうか?
 「F1」レースの騒音と賑わいが静まった「鈴鹿」の「町」の「空を渡り鳥」が飛んで「ゆく」光景は、まさに晩秋そのものである。
 「渡り鳥」たちは、一体何処に飛んで行くのでしょうか?
 鳥たちが渡って行く先は、案外、「F1」の次の開催地なのかも知れません。 
 「F1」の騒音で賑わう「鈴鹿」を選ぶか、「渡り鳥」が飛んで行く静かな「鈴鹿」を選ぶか、鈴鹿市住民としては、正にその本音を問われる場面でありましょうが、その本音は、
  〔返〕 渡り鳥飛び行く時もF1で賑わう時もどっちも素敵   鳥羽省三


○ 百十七人かまれし中に我もいてかみつきザルの捕まりホッとす  (沼津市) 岩城英雄

 題して、『百十七の安堵』乃至は『百十七人の間抜け』というタイトルの安直なドラマが出来そうである。
  〔返〕 噛まれざる二十万余に妻も居てその笑ふこと笑はるること   鳥羽省三



[高野公彦選]
○ 母ガ逝ッタ 私ノ中ノ火ガ消エタ 気ガツカナカッタ 赤イ火ニ  (埼玉県) 今泉由利子

 <カナ書き>や<一字空き>や五句目の<一字欠落>に、どんな意味が在るのでしょうか。
 亦、選者の高野公彦氏は、それにどんな意味を認めて、入選作首席となさったのでありましょうか?
 ここは、作者および選者のご意見を、とっくりと承りたい場面ではある。
  〔返〕 母が逝く母の焔が燃え上がる子たる私の消すすべも無し   鳥羽省三


○ 地底より三十三人生還す硫黄島には無数の遺骨  (岡山市) 光畑勝弘

 ニュース性だけに頼った作品の生命は、せいぜい二週間が限度と知るべし。
 それに、「硫黄島には無数の遺骨」という下の句は、いかにも取って付けたような感じであり、何処として見所の無い駄作と思われる。
  (返) 地底より三十三人生還しさしもの話題も下火となりぬ   鳥羽省三
     作業員三十三人閉じ込めし件の穴は観光コースに       々   


○ 鹿の目は一体どこを見ているの? ぽーっとしてるだけなのね(笑)  (北見市) 平川なつみ

 北見北斗高校からの大挙してのご投稿であれば、選者としても、さすがに無視し難かったのでありましょうか?
 初心者の作品は、先ず、<五句三十一音>の定型を遵守することが第一である。
 <句割れ・句跨り>といった破調や<字余り・字足らず>といった高等技術は、<五句三十一音>の定型を身につけてからのことなのである。
 したがって、それを無視した高校生などの投稿作品は、発想がどんなに優れていても、潔く<没>にするべきである。
 それが選者としての唯一無二の務めと、高野公彦氏は知るべきである。
  〔返〕 エゾシカの空ろなる眼に見惚れ居て期末考査の予習忘れぬ   鳥羽省三


○ 朝の来てひらきて夜のきて閉じる花のようなるまなぶた二枚  (福島市) 美原凍子

 これ亦、評するに足らない駄作と思われる。
 閉じた瞼を花びらに例えた作品は枚挙に暇が無いし、瞼を「まなぶた」と言い変えてもそれは同じことである。
 敢えてそれを題材にするなら、<誰のまなぶた>といったような具体性が欲しいところである。
 最近の美原凍子さん作の低調ぶりは目に余るものがある。
 美原凍子さんは、今や<朝日歌壇>に欠かすことの出来ない詠み手であるが、そうであればこそ、選者は、その快心作ばかりを選んで入選作とするべきである。
 美原凍子さんに限らず、常連クラスの投稿者の斯かる駄作を掲載するくらいなら、初心の投稿者の未完成の作品を、それとことわって掲載する方が、短歌芸術の裾野を広げることにもなり、新聞歌壇存在の趣旨にも合致していると思われる。
  〔返〕 この頃はリラの蕾の如くにていつも閉じてるバーバのまぶた   鳥羽省三


○ 異国にて会話の増えし夕餉なり家族四人で巡る上海  (愛媛県) 河野けいこ

 「異国にて会話の増えし夕餉なり」という上の句には、非日常としての旅先らしい心の弾みが感じられてやや新味が感じられるが、「家族四人で巡る上海」という下の句の存在が、それを台無しにしていると思われる。
 好みの問題もありましょうが、「上海」という地名が特に宜しくない。
 「上海」にしろ「巴里」にしろ、外国の地名に頼るだけの表現には、食傷気味の評者である。
  〔返〕 定番の会話も無しの夕餉来ぬ家族四人の三泊旅行   鳥羽省三


○ ちょきはまだできないけれど吾子の手はちゅうりっぷにも羽にもなれる  (高槻市) 有田里絵

 「吾子」の成長を喜ぶママの気持ちを、率直かつユーモラスに表現した作品として称揚すべきでありましょうか?
  〔返〕 パーばかり出す癖のある芽衣とするじゃんけんぽんはグーばかり出す   鳥羽省三


○ こめふさくくりはまあまあポチしんだ電報みたい母の手紙は  (札幌市) 伊藤元彦

 本作を<漢字かな混じり>に記すと、「『米不作栗はまあまあポチ死んだ』電報みたい母の手紙は」となりましょうか。
 老齢に達した親からの手紙の書式は、大抵この程度のものでありましょうし、最近は、母子の間柄でも、用件はケータイで済ませることが多いから、どんな書式や内容であっても、故郷の母から子の元へ手紙が来ること自体、有り難いものと思わなければなりません。
  〔返〕 栗送れ米は買うから要りませんポチの遺骸は剥製にして   鳥羽省三


○ 生きてゐる証に投稿続けゆくくも膜下出血わづらひてより  (匝瑳市) 椎名昭雄

 これからも頑張ってご投稿をお続け下さい。
  〔返〕 歌詠むは息抜きに良しさればとて無理は禁物お身体大事に   鳥羽省三  

○ 公園で栗を見つけたつやつやの1個だけれど栗ごはんにする  (横浜市) 高橋理沙子

 <一個>とせずに「1個」とするなど、思わせ振りの目立つ作品である。
 この程度の作文(さくもん)は、むしろ恋人宛てのケータイのメールに相応しいと思われる。
  〔返〕 栗ごはん炊かんとせしも栗一つだけでは所詮無理とて止めぬ   鳥羽省三    

今日の清水房雄鑑賞(其の4)

2010年11月13日 | 今日の短歌
○  この世代の斯かる団結の意味するもの怖れて思ふときも過ぎたり

 『風谷』所収、昭和四十六年作である。
 詠い出しに「この世代の斯かる団結」とあるが、「この世代」とはどんな「世代」を指し、「斯かる団結」とはどんな「団結」を指すのか、作者と無縁の人間としての私には、それを知る何の手立ても無い。
 しかし、短歌史を紐解いてみると、それまで新しい時代の『アララギ』のエースたらんとしていた近藤芳美(1913生)氏を中心に「未来短歌会」が結成され、その結社誌『未来』が創刊されたのは1951年(昭和26年)の6月であり、その創刊メンバーは、近藤芳美氏と志を共にする岡井隆(1928年生)氏、吉田漱(1922年生)氏、細川謙三(1924年生)氏、後藤直二(1926年生)氏、相良宏(1924年生)氏、田井安曇(193年生)氏・河野愛子(1922年生)氏など、本作の作者・清水房雄氏の一世代後の青年たちであった。
 1913年生まれの近藤芳美氏は、1915年生まれの清水房雄氏とほぼ同世代であるから別としても、近藤芳美氏以外の『未来』の創刊メンバーは、清水房雄氏の次の世代のアララギ派の歌人として大いに嘱望されていた若手歌人であったから、彼ら一同の「アララギ」からの大挙脱退は、彼らを信頼すべき仲間として頼む一方、彼らを密かにライバル視していた清水房雄氏にとっては大きなショックであり、自分に大きなショックを与えた彼らを一括りにして、「この世代」と呼ぶことは大いに在り得ることなのである。
 しかも、彼ら「この世代」の者たちの「アララギ」からの脱退理由が、その頃、東京都世田谷区奥沢の自宅を「アララギ発行所」とされ、その当時の『アララギ』の実質的な責任者とも目されていた、五味保義(1901年生)氏の独裁的なやり方に反発したからであるとの噂も立っていたから、その五味保義氏を先輩として仰ぎ、兄事していた清水房雄氏にとっては、その痛手は決して小さくは無かった筈であり、そうした彼らの挙を「この世代の斯かる団結」という言葉で以って表現することも、大いに考えられ得ることである。
 しかし、本作をお詠みになられた昭和四十六年当時は、清水房雄氏も既に還暦近いご年齢になって居られ、今更、『未来』創刊に掛けた彼らの「団結」を「怖れ」るような心境では無くなっていたものと思われる。
 作者ご自身が自分の年齢を自覚すると共に、その年齢に至る以前に体験した手痛い出来事について、「あの時は本当にびっくりしたなー。本当に身が縮まる思いをしたものだ」などと思うことは、清水房雄氏に限らず、何方にでも在り得ることなのである。 
  〔返〕 鳩山や菅や仙谷世代など怖るに足らずと石原ジュニアー   鳥羽省三

今日の清水房雄鑑賞(其の2)

2010年11月11日 | 今日の短歌
○  救急車に横たへられ寒きしばしの間いたく遊離せし事思ひゐき

 第三歌集『風谷』所収、作者五十七歳時の作品である。
 作者・清水房雄氏の経歴的なことには一切関知しない評者としては、何が故の「救急車に横たへられ」なのか、「思ひゐき」「遊離せし事」とは、どんな「事」なのかは、一切存じ上げないが、「救急車に横たへられ」「寒きしばしの間」「いたく遊離せし事」「思ひゐき」という、この一首に描かれている内容が、自分自身の過去の体験とも重なっていて、頗る興味深いのである。
 私は、これまでの半生に於いて、前後三回、救急車で運ばれたことがあるが、その二回目は、通勤帰りのバスの降車口で、他の乗客に押されるかして停留場の鉄柱に激突し、頭頂から大量の出血があってのことであった。
 その時、私の見知らぬ親切な人が公衆電話で救急車を呼んで下さったので、命を取り留めたのであったが、救急車が現場に到着して、病院に運ばれて行く間が、とても寒く、とても長く感じられたのである。
 その寒くて長い時間の間に私の頭にあったことは、私のコレクションの一つである、大量の銀行の貯金箱をどうしようか、友人油谷満夫氏の油屋コレクションに寄託しようか、それとも、町田天神の骨董市に行って売り捌こうかしら、ということであったのだ。
 命の瀬戸際に在って、自分のコレクションの処置をどうしようか、などという、不届きな事を考えるとは、それこそまさしく、清水房雄氏のこの一首にある「いたく遊離せし事思ひゐき」では無いでしょうか?
 清水房雄氏の場合の「いたく遊離せし事」とは、一体どんな「事」であったのでしょうか?
 と、申し上げても、相変わらず<ぶっきらぼう>の清水房雄氏のことであるから、何も語って下さらない。
 清水房雄氏が何も語って下さらないから、私は誰から頼まれたわけでもないのに、自分の思い出などを語って事態を収拾しなければならないのである。
  〔返〕 救急車で三度運ばれ三度とも生きて帰ってブログやってる   鳥羽省三 
      救急車に三度乗せられ三度生き面目無くて歌を詠んでる      々
      救急車に三度乗せられ三度生き細き命にしがみついてる      々
 

今週の朝日歌壇から(11月8日掲載・其のⅡ)

2010年11月11日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○ 空き部屋の娘の机ぼろぼろのバレエシューズは匿われており  (尾道市) 山崎尚美

 「空き部屋」になっている理由も、「机」の引き出しの中に「ぼろぼろのバレエシューズは匿われて」いる理由も、作者は何ら説明しようとしない。
 しかし、五句目の「匿われており」という表現から推測してみるに、山崎尚美さんの「娘」さんは只今外国留学中で、その留学は母親たる山崎尚美さんの強制的とも言えるアドバイスによって行われたのであり、「娘」さんご本人としては、そのまま国内に留まっていて、しばらくの間はバレエの基礎練習に励み、将来は一流のバレーリーナとして舞台に立つことを夢見ていたのではないでしょうか?
 「匿われており」の「匿」は<隠匿>の「匿」である。
 と言うことは、「娘」さんは、「バレエ」のレッスンに明け暮れた青春の、せめてもの片身として、その「ぼろぼろのバレエシューズ」を、自室の「机」の引き出しの奥深くに、母親たる山崎尚美さんに内緒で「匿」って置いたのである。
 ところで、作中の「娘」さんの遊学先は何処で、何を勉強しているのでありましょうか?
 留学先はアメリカで、勉強内容は<実学>としか言いようがありません。
  〔返〕 どうせならイギリス留学したかったその腹いせのシューズの隠匿   鳥羽省三


○ 狂うごとアフリカ太鼓打ち鳴らす青年ひとり月の河原に  (春日部市) 藤縄七重

 いわゆる<野生の血が騒ぐ>ってやつでしょうが、野生は野生でも、痩せ我慢の似非野生ですから、そのうちに「アフリカ太鼓」を「打ち鳴らし」飽きたら、またオートバイに乗って、夜の夜中に町内に爆音を撒き散らし、結局はお巡りさんの手を煩わすことにもなりましょうか?
  〔返〕 昨今は世の中あげてのブームにて何処に行っても御当地太鼓   鳥羽省三


○ 夕時雨音も無く降る獄窓にはぐれ雁(グース)の一羽降り立つ  (アメリカ) 郷 隼人

 本作の作者・郷隼人さんのお気持ちとしては、「選りも選って、『獄窓』に『降り立つ』とは、なんと誰かに似た『雁』だろう」といったところでありましょうが、「音も無く降る」「夕時雨」から翼を守る為の緊急避難とあらば、「獄窓」であろうと<草原>であろうと、場所を選んでいる暇が無いのでありましょう。
 「獄窓」に「一羽降り立つ」「雁」を、「はぐれ雁」としたところが、郷隼人さんらしいところである。
  〔返〕 選ばれて獄舎の内に籠り居て窓に降り立つはぐれ雁見つ   鳥羽省三


○ 油虫を鱈腹食べて成虫になるてんとう虫の肌のかがやき  (帯広市) 吉森美信

 「てんとう虫」の食性はその種類によって大きく異なり、「油虫」や貝殻虫などを食べる肉食性の「てんとう虫」、<うどん粉病菌>などを食べる菌食性の「てんとう虫」、<ナス科植物>などを食べる草食性の「てんとう虫」の三種類に大別されると言う。
 そこで、草食性の「てんとう虫」は農作物にとっての害虫とされ、肉食性の「てんとう虫」は益虫とされているので、無農薬栽培を売り物にしている農家は、それを畑に放して害虫退治に利用するなどしているとも聞いている。
 本作の作者・吉森美信さんは、「てんとう虫の肌のかがやき」に見惚れ、「この『てんとう虫』は『油虫を鱈腹食べて成虫』になったのである。だからこんなにも美しく『肌』が輝いているのであろう」と思ったのでありましょうか?
  〔返〕 草食性てんとう虫も居るけれど彼らの肌も輝いている   鳥羽省三

 
○ 一つ残る校舎の明かり秋の夜を相談室は煌々と照る  (千葉市) 愛川弘文

 「秋の夜」であるにも関わらず、学校の「相談室」の「明かり」が「煌々と」灯っているのは、他の生徒が居なくなった時間帯を選んで、悩みを抱えた生徒が担当教師と面談したいと希望するからでありましょうか?
 昨今の高校などの「相談室」の「明かり」は、大抵の場合、午後九時過ぎまで「煌々と」灯っている、と聴いたことがある。
 と言うことは、その学校は、その明かりの量と同じ数だけの悩める生徒を抱えているということになるのでしょう。
 「相談室」の「煌々と」した「明かり」とは対照的に、その「明かり」の下で行われている相談の内容は、頗る暗いのである。
  〔返〕 煌々と灯る明かりの下にいて相談室の生徒は黙る   鳥羽省三


○ 駅前のポストは知ってる私の報われなかった履歴書の数  (東京都) 平井節子

 詠い出しの「駅前の」が、単なる字数稼ぎとして使われているような感じである。
 何故ならば、数通発送した「履歴書」が、ただの一通としてものにならなかったとするならば、話者たる作中の「私」は、わざわざ「駅前のポスト」まで、疲れた足を運ぶ必要が無く、家の近所の<坂下>の「ポスト」に「履歴書」を同封した手紙を投函すればいいからである。
  〔返〕 坂下の郵便ポストは知っている坂上荘の女性の悩み   鳥羽省三

 
○ 卵一つありしが親鳩飛び去りて小枝を積みし巣のみ残れり  (久喜市) 布能寿子

 食糧難の今日では、「巣」を作るよりも<雛>を育てることが難しいと判断され、鳩の世界でも<子棄て>が流行しているのでありましょうか?
 「小枝を積みし巣のみ残れり」が印象的であるが、この「親鳩」は、また何処かの駅舎に巣を掛けて新所帯を営むつもりなのでしょうか?
  〔返〕 一つありし鳩の卵は野良猫のドラの食欲満たしただけだ   鳥羽省三 


○ ふるさとの山べに踏みし煙茸地雷のごとく煙あがりき  (城陽市) 山仲 勉

 「煙茸」という毒キノコが在って、これを間違って踏んづけたりすると、まさに「地雷のごとく煙」が舞い上がって、踏んだ当人は勿論、同行した茸狩り仲間まで、一瞬たじろぐことになってしまうのである。
 五句目に「煙あがりき」とあるから、本作の題材となった出来事は、作者・山仲勉さんの「ふるさと」での少年時代の思い出なのかも知れません。
  〔返〕 笑い茸紅天狗茸などもあり故郷の山はお化けの世界   鳥羽省三


○ 落花生の豆ぼっち並ぶ下総の畑道ゆけば豆ぼっちの影  (松戸市) 猪野富子

 「豆ぼっち」という語の重用は苦肉の策とも思われるが、その苦肉の策がそれなりに成功しているとも思われる。
 但し、本作の場合は、「豆ぼっち」という言葉の珍しさも手伝ってのことでありましょう。
  〔返〕 豆ぼっちに桟俵帽子(さんだらぼっち)を被せたる畑ありにき十坪ぽっちの   鳥羽省三


○ 八割の蟻は働かぬ蟻と聞くその行列を我は愛しむ  (本宮市) 廣川秋男

 寓話にも在る「アリとキリギリス」の「蟻」の「八割」が「働かぬ蟻」と聞いて、評者は先ず吃驚する。
 だが、その「働かぬ蟻」を「八割」も含めた「蟻」の「行列を我は愛しむ」とする、本作の作者のご意見には、何となく共感を覚える。
  〔返〕 我が国の何割かの人働けぬ働かぬので無く働けぬのだ   鳥羽省三 

今日の清水房雄鑑賞(其の1)

2010年11月10日 | 今日の短歌
○  金持たせ帰ししあとに押黙りしばしありたる妻たちゆきぬ

 『風谷』所収、昭和四十七年、作者・五十七歳時の作である。
 時代が時代であるから、この頃には、清水房雄(本名・渡辺弘一郎)氏の下にも、金品の無心に現れる者の一人や二人ぐらいは居たに違いないし、その者が清水氏の戦友だったり、歌仲間だったりしても少しも不思議では無い。
 しかし、作者ご自身が何も語っていらっしゃらないのだから、お金の無心を目的として訪れた、その客と作者との関係は一切不明であり、その行く末も不明であるが、とにもかくにも、乏しい家計の中から、首尾よくなにがしかの現金を引き出すことに成功した客が帰ってから、ご主人たる清水房雄氏とその無心客とのやりとりの帰趨に注目していた清水氏の奥様が清水氏の書斎に入って来て、「あの男(女かも?)に、やっぱりお金をやってしまったのね。私は最初からそうなるものと分かっていましたのよ。あなたって人は本当に気が弱く、馬鹿みたいに人がいいだけの人なのね。でも、今月の我が家の暮らしはどうするの。私は知らないから」と言わんばっかりの顔をしながらも「押し黙り」、しばらくしてから部屋を立ち去って行った、というのである。
 「押黙りしばしありたる」という<五七句>が、本作の眼目でありましょうか?
 「しばし」という副詞で示される時間の長さは、物理的には、ほんの数分に過ぎないと思われるのであるが、その間に、夫婦の胸中に於いて、どれだけの激しい火花が散らされたことか?
 私・鳥羽省三の唯一の短歌の師とも言うべき森田悌治氏(故人・群緑の選者)は、生前、「今のアララギ系の歌人の中で唯一例外的に尊敬できるのは『青南』清水房雄氏だけである。清水房雄氏の良さは、あのぶっきらぼうなところに在る。あのぶっきらぼうな作品の中で、清水房雄氏は、一体どれ位多くの事を語らずして語っていることか。<言わぬは言うに増される>という格言は、清水房雄氏の為に作られたようなものだ」などと仰っていた。
  〔返〕 押し黙る妻の胸中推し量り清水房雄氏無言決め込む   鳥羽省三



田中光子(長崎県新上五島町ご在住)さんの作品

2010年11月09日 | あなたの一首
 つい先日、本年九月二十六日放送の「NHK短歌」<米川千嘉子選>の特選三席に選ばれた、長崎県新上五島町ご在住の田中光子さん作の「胸に抱く犬に舐められつつ吾はいかなる味の獣の子ども」についての感想を述べたところ、予想だにしないことであったが、作者ご本人と思われる方から、大変ありがたいコメントを頂戴した。
 私の書いた感想文は、主として、作者のお名前と私の連れ合いの妹の旧姓が全く同一であったことを中心とした私事的な内容で、私が本年度の<NHK短歌>の選者の中で最も期待し、尊敬もしている米川千嘉子氏選の特選三席に選ばれた田中光子さん作の作品そのものについては、本格的なことは何一つ記していなかったのである。
 それにも関わらず、今回、その作者と思われる方からご丁重なる謝辞を述べられたことは、全国各地の皆様からの温かいお支えによって、この拙いブログに文章らしきものを記している私にとっては、望外の幸せでありました。
 そこで今回は、上掲の作品及び、<NHK短歌>等にご投稿なさって、めでたく特選などに選ばれた、田中光子さんの他の作品についての、私なりの感想を書かせていただきたいと存じます。


○ 戦争を忘れるたびに秋は来て空のざくろは笑うであろう
                    (NHK全国短歌大会・平成十七年大賞作品)

 作者の田中光子さんが、本作をお詠みになったのは平成十七年の秋頃かと思われる。
 仮にその頃だとすると、それは昭和二十年八月十五日から六十年以上も過ぎている時期であって、世間一般の人々の脳裡からも作者ご本人の脳裡からも、あの敗戦の日の屈辱的な記憶がかなり薄れ掛けていたものと思われる。
 我が国の政府や各種団体は、そうした風潮に逆行するが如く、戒めるが如くに、毎年八月の声を聞くと、広島・長崎の原爆記念日及びそれに続く八月十五日の終戦記念日などの行事を盛大に行い、それに呼応してマスコミも戦争関係の報道を盛んに行うのである。 
 だが、それも夏の熱い時期の一盛りの出来事に過ぎなくて、その時期が過ぎ、秋風が吹く八月下旬になると、人々の心は、あの日の記憶から益々遠ざかってしまうばかりなのである。
 丁度その頃になると、民家の塀越しに花「ざくろ」が、真っ赤な唇をばっくりと開けて咲き、実「ざくろ」も亦、あの日の傷口を見せびらかすかのようにしてぱっくりと割れた実を覗かせているのであった。
 花が咲くことを「笑う」とも言うが、本作の作者・田中光子さんは、世間一般の人々の胸中からは勿論のこと、自分自身の胸中からも、あの「戦争」の記憶が去りつつあることを、何か罪の意識の如くにお感じになって居られると窺われ、折からの「ざくろ」の開花に事寄せて「空のざくろは笑うであろう」とお詠みになったものと思われる。
 花「ざくろ」の鮮明な<赤>が戦火を思わせ、実「ざくろ」のぱっくり開いた傷口が戦争の痛手を思わせるなど、本作の一語一語は有機的効果的に働き、<大賞>に相応しい傑作を成している。
  〔返〕 両関の母屋の庭の塀越しにぱっくり割れた実石榴の傷   鳥羽省三
 北東北の地方都市に生まれ育った私にとっての<ランドマーク>は、<うまい酒・両関>本舗の巨大な母屋であった。
 毎年秋頃になると、その塀越しにぱっくりと傷口を開けた<実石榴>が顔を覗かせて居て、学校帰りの子供たちがそれに石をぶっつけて落とし、口に銜えて「酸っぱい。不味い」などと言っていたことを思い出した。
 ところで、私の生家の近所のほとんどの家々の人々は、親戚関係でも縁戚関係でも無いのに、<両関本舗>の伊藤家のことを「本家、本家」と呼んでいた。
 そうした中に在って、唯一例外的に、私の父だけは、「親元でも手回りでも無いのに、両関のことを<本家、本家>と呼んでいる、この町内の奴等は馬鹿で胡麻すりである。俺はどんなに金に困っていた時でも、ただの一度も両関の仕事はしたことが無いぞ。だから、俺の子供のお前たちも、両関の世話になったりしては駄目だぞ」と言っていたが、そのことが少年時代の私の誇りでもあり、また、自分自身の将来の不安材料の一つでもあった。
 ところで、私の中学時代の同級生の一人に、その両関一族の娘さんが居たが、彼女は、小、中学校を通じてずっと学級委員であったように思われるが、口数の少ない上品な感じの少女であった。 
 その<両関>が、一昨年頃から、お酒の売れ行き不振、事業不振の為に銀行管理に陥ったと聞く。
 子供の頃の私たちの<ランドマーク>であり、市内観光の目玉でもあった、あの巨大な黒い建物は、これから先、一体どうなるのであろう。
 

○ 「お母さん雨」という手話 春雨は少女の指に光りつつ降る
                    (同上大会・平成十九年大賞作品)

 耳の不自由な「少女」が、突然降って来た<お天気雨>の「春雨」を、覚えたての「手話」で以って、自分の「お母さん」に「『お母さん雨』」と知らせようとしたのでありましょう。
 「春雨は少女の指に光りつつ降る」という下の句の表現は、その「春雨」が<お天気雨>であったことを示すと同時に、耳の不自由なその「少女」の「指」の白さや細さや動きまでも表していて素晴らしい。
  〔返〕 突然の狐の嫁入り花嫁の顔も衣装も濡れるであろう   鳥羽省三


○ 洗い桶に亀の子束子は立ちており亀におなりよ月の夜だよ
                    (2008年9月・河野裕子選特選三席)

 月夜の庭に、昼間の洗濯に用いられた「洗い桶」が置き去りにされて居り、その中に「亀の子束子」がちょこんと立っているのである。
 その光景に、ある種の切なさと眩惑感を感じた作者が、「『亀の子束子』よ。お前、今は『月の夜だよ』。そんな所にいつまでも突っ立っていないで、せっかくの『月の夜』だから、本物の『亀におなりよ』」と呼び掛けたのである。
 おどけた表現の中に、作者・田中光子さんの優しさとロマンティズムが感じられる。
  〔返〕 洗い桶に水がたっぷり張られ居りここにも一つ満月が澄む   鳥羽省三


○ うりぼうのどの子もこける石ありて南瓜の花のくすくす笑い
                    (2006年9月・山埜井喜美枝選特選一席)

 私が、田中光子さんの御作に接した最初の作が本作である。
 歌人としての全盛期をかなり過ぎていたと思われる選者・山埜井喜美枝さんの、半ば惚けたような、半ば寝ぼけたような気の無い解説と共に、この作品が<特選一席>に選ばれた、あの朝のことは、あれから数年過ぎた今になっても、私の記憶の中に鮮明に残っている。
 下の句は、黄色い縮緬状になって咲いている「南瓜の花」を「くすくす笑い」に見立てての表現でありましょう。
 私が愛読していた、庄野潤三氏の小説の中に、本作の上の句、「うりぼうのどの子もこける石ありて」と似たような状景が描かれていたように記憶しているが、母親の猪に率いられた「うりぼう」が、庭に置かれている「石」に躓いて、次々に「こける」様が面白可笑しく表現されていて、<特選一席>に相応しい傑作と思われる。
  〔返〕 古希われの躓くやうな階なれば妻に手取られそろそろ下る   鳥羽省三


○ 二千羽のすずめと同じ体重で少女は夏へブランコをこぐ
                    (2009年6月21日・東直子選)

 作中の「少女」の「体重」を<四十キログラム>と仮定すれば、「すずめ」一羽の平均「体重」は<二十グラム>となる。
 その<二十グラム>の「体重」の「すずめ」「二千羽」分と「同じ体重で少女は夏へ」と「ブランコをこぐ」のである。
 その「すずめ」「二千羽」と「同じ体重で」「夏へ」と「ブランコをこぐ」「少女」の顔の輝きと笑みとは、余所目で見ていても眩しいくらいに美しい。
  〔返〕 雀一羽の三千倍余の体重を持て余しつつ余生を生きる   鳥羽省三


○ よその子は大きくなるのが本当に早くてハリー・ポッターのキス
                    (2009年10月11日・加藤治郎選)

 J・K・ローリング作の大ベストセラー小説『ハリー・ポッター』シリーズは映画にもなって、この種の小説にも映画にも全く興味を感じていない私でも、そのタイトルぐらいは知っている。
 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』は、孤児の少年が魔法使いとして成長していく過程を描くファンタジーである、と聞いているが、その映画の中に、<孤児・ハリー>が少女と「キス」をする場面が在るのでありましょうか。
 <隣の芝生は青い>と諺にも言う通り、「よその子は大きくなるのが本当に早くて」我が「子」だけが遅い、と感じるのは、世の親の何方にも共通する<親心>というものでありましょう。
 末尾二句に跨って「ハリー・ポッターのキス」と置いて具体化したことが、この作品に現実感を添えると同時に、ロマンチックな内容にもしたのである。
  〔返〕 よその妻は若くて綺麗で溌剌と家の翔子は六十四歳  鳥羽省三 


○ 長い時間かけて熟れゆく不登校なりし息子とトベラの果実
                    (2009年12月27日・米川千嘉子選特選二席)

 節分の夜に鰯の頭などと共に魔除けとして玄関<扉>に掲げられることから「トベラ」と命名されたこの樹木は、潮風や乾燥に強く、海岸では高木になって街路樹や道路の分離帯に植樹されることが多いそうだから、本作の作者・田中光子さんがお住いになって居られる五島列島の島々では、日常生活の中で度々目にする樹木でありましょうか?
 本作の意は、「その『トベラの果実』が『長い時間かけて熟れゆく』のと同じように、『不登校なりし』我が家の『息子』は『長い時間』を『かけて』成長するのだから、焦らずに気長に面倒を見ましょう」という訳でありましょうか?
 そうした心掛けをお持ちの田中光子さんにして「よその子は大きくなるのが本当に早くてハリー・ポッターのキス」という一首在り。
 真に世の親たちのお気持ちは、ただの一日として休まらないのである。
  〔返〕 長き時掛けて醸せし濁酒の味の恋しき都会暮らしよ   鳥羽省三

 
○ あの夏の防空頭巾を嫌いと言い仔うさぎの目に戻りゆく母
                  (『NHK短歌』2009年10月号に東直子選の佳作として掲載)

 作者のご母堂様は、町内の防災退避訓練の際などに、頭部を保護する「頭巾」を被られられようとしたので、「あの夏の防空頭巾を嫌い」と言って駄々をこねて泣き出したのでありましょうが、その「母」のことを、<仔うさぎの目になりてゆく母>では無くて、「仔うさぎの目に戻りゆく母」とした点に注意しなければならない。
 要するに作者は、「母」が<幼時帰り>をしたと言いたいのである。
 この秀作を<佳作>にして、一体全体、東直子さんは、どんな作品を<特選作>としたり<入選作>としたりなさったのでありましょうか?
 評者の私としては、その点がすこぶる興味深いところである。
  〔返〕 あの夏の防空頭巾を脱がぬまま今も基地なる沖縄の島   鳥羽省三


○ 胸に抱く犬に舐められつつ吾はいかなる味の獣の子ども

 私の連れ合いのお妹さん・旧姓<田中光子>さんは、飼い犬の<クロ>を「この子」などと呼び、一個三千円也の資生堂のクリームを塗りたくったご美顔をぺろぺろと舐めさせている。
 思うに、新旧を問わず、<田中光子>と名付けられた女性は、その世の中に果たす役割りとして、飼い犬をわが子のように可愛がり、その造作の美醜を問わず、そのお顔を「舐められつつ」生きる宿命の元に置かれている存在なのかも知れません。
 本作の作者・田中光子さんが「いかなる味の獣の子ども」であるかは存じ上げませんが、他人に舐められるよりは、飼い犬やご亭主殿に舐められた方が数千倍も増しである。
 だから、歌詠みの田中光子さんも、姑さんの顔読みの(旧姓)田中光子さんも、せいぜい、ぺろぺろと「舐められ」ていなさい。
  〔返〕 起き抜けに温きタオルを差し出して「その顔拭け」と翔子は言ひぬ   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(11月8日掲載・其のⅠ)

2010年11月08日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]
○ 人にみな会いたい人いて地底より出で来たる人しかと抱きあう  (山形市) 渋谷悦子

 皆様お馴染みの、ごく最近世界中の人々を<ハラハラ、ドキドキ>させ、心配させて注目の的となった、あの地球の裏側の国・チリの鉱山の落盤事故の六十九日ぶり<めでたし、めでたし>の結末に取材した作品であるから、事故そのものについては触れる必要が無いと思われる。
 私が注目するのは、詠い出しの二句、「人にみな会いたい人いて」である。
 この二句の表現について、本作の作者・渋谷悦子さんは、どんな思いを込められたのでありましょうか。
 渋谷悦子さんが未婚かつそれ相当のご年齢の女性だったりする場合なども想定されて、私はこの一首を興味深く鑑賞させていただきました。
  〔返〕 わたしには逢いたくも無い人が居て昨日のバスで出会った教師   鳥羽省三


○ 「もうすぐだ匂いがするぞ」と叫ばれて生身の人間地下より生るる  (鎌ヶ谷市) 正治伸子

 「『もうすぐだ匂いがするぞ』と叫ばれて」と上の句にあり、下の句には「生身の人間地下より生るる」とある。
 人間の生死に関わる重大事件についてのことであるから、大変不謹慎な言い方とは思われますが、上の句の語「匂い」および下の句の語「生身」に、極めて大きな現実感が感じられる。
 生き埋めになってから六十九日ぶりの死の世界よりの生還。
 その「生身」の「匂い」は、一体どんな「匂い」であったのでありましょうか?
  〔返〕 遠慮無く申せばとても耐えられず鼻も紅葉も枯れる匂いか   鳥羽省三


○ 宵宮のなれ鮨つくる集会所どよめき上がる救出のたび  (吹田市) 小林 昇

 あの救出劇が行われた同日の同時間に、本作の作者・小林昇さんが所属している町内会の「集会所」では、近々に行われる「宵宮」の準備の為に「なれ鮨」を作っていたと思われる。
 幸いなことに、小林昇さんの居住地が琵琶湖畔の村ではなく、大阪の吹田市であったから、同じ「なれ鮨」でも、あの鼻の曲がるような匂いを放つ<鮒のなれ鮨>では無く、季節柄、<秋刀魚のなれ鮨>か何かであったことでありましょう。
 でも、何の「なれ鮨」であれ、「救出のたび」ごとに「あがる」「どよめき」と共に、調理中の主婦の口から吐き出される<唾>や歯の間に挟まっていた食べ物の破片などの為に、その「なれ鮨」は熟成が極度に速まり、「宵宮」の日には余りにも酸っぱく、鎮守様以外には何方も食べなくなる恐れがあります。
  〔返〕 酢の匂い嗅ぎつつぞ見る救出劇あがる歓声飛び散るツバキ   鳥羽省三
 私は、他人の家の者の作った食物や、町内の集会所などで大勢の主婦たちが作った食べ物などは、とても口にする気にはなりません。
 そのくせ、デパートなどの試食品には平気で手を出すのですから、思えば不思議なことです。


○ カメ吉が6年2組のベランダにもどって秋がのんびり進む  (富山市) 松田梨子

 この頃は亀の飼育が盛んである。
 小学校の頃に、私も亀を飼ったことがあるからよく解るが、亀の飼育には、満たされない人間に与える<癒やし効果>が在るものと思われる。
 それにしても、モソモソと逃亡していた「カメ吉」が「6年2組のベランダ」に、モソモソ「もどって」来て「秋がのんびり進む」とは、小学生の作にしては余りにも出来過ぎである。
 この際、評者は、富山市在住の<松田梨子さん・わこさん姉妹>に<出来過ぎ姉妹>という尊称を奉りたい。
 ところで、カメの名前が<カメ彦>や<カメ宏>や<カメ綱>や<カメ介>では無くて、「カメ吉」で無ければならない理由は、一体全体どこの辺りに在るのでしょうか?
 私の従兄に、<鶴吉>という男が居るが、彼にこの作品を示したら、至って短気な彼のことだから、「この始末はどうして呉れる梨子ちゃん」と、自慢の禿げ頭から湯気を上げて<松田さんち>に怒鳴り込んで行くに違いない。
  〔返〕 <カメ宏>を研究室に飼う学者癒やし効果のどれ程なるか?  


○ 半分は寝ながら写すドイツ語の途中に混じる羽虫の軌跡  (鴻巣市) 一戸詩帆

 「半分は寝ながら」「ドイツ語」のノートを執っている最中に「羽虫」が飛んで来て、その羽音に驚いて筆跡が乱れたのでありましょうか?
 佐佐木幸綱選にも載っているが、それにしても一戸詩帆さんは発想も宜しく、表現もなかなか巧みである。
 その巧みさが、この作者の陥穽にならなければ良いのであるが。
  〔返〕 この稿の途中で少し眠くなり気分を変えに買い物に行く   鳥羽省三


○ この坂をのぼりきれたらこの恋はかなうと信じペダル踏みゆく  (大阪市) 則頭美紗子

 買い物先から帰って来たので、執筆を再開させていただきます。 
 ところで、「この坂をのぼりきれたら」とか、<今月を過ごしきれたら>とか思いつつ、夢みたいな何かの実現を密かに期待する場合は大いにあり得ると思う。
 しかし、本作の場合は、その期待するものが、「かなう」筈も無い「恋」であるから、「ペダル」を踏む足もさぞかし重いことでありましょう。
 「今どきの男性は計算高くて、自転車を踏んで太くなった足だけのオーナーの女性には鼻も引っ掛けない」ということを、本作の作者・則頭美紗子さんはご存じ無いのでありましょうか?
  〔返〕 この坂を登り切れたら見えるのは波頭であり恋人で無し   鳥羽省三


○ もう何も狩らずともよきライオンの歯の標本が静かに並ぶ  (和泉市) 星田美紀

 「もう何も狩らずともよき」となっているが、これを「もう何も狩らずともよし」と言い切り、今は「歯」ばかりの「標本」となってしまい「静かに」並んでいるだけの存在となってしまった「ライオン」に呼び掛ける形とした方が良いかどうかは、微妙なところである。
 本作の作者・星田美紀さんと言い一戸詩帆さんと言い、朝日歌壇の常連となっている女性歌人は巧みである。
 だが、その巧みさの余りに、一節太郎になってしまう危険性が無しともせず。
 真に恐ろしいのは、慣れが原因となっての自己模倣である。
  〔返〕 もう何も書かずともよき古希老が夜の夜中に起きてもの書く   鳥羽省三


○ 言いかけて口を閉ざすは卑怯だと孫の言い分聴きつつ頷く  (いわき市) 伊藤保次

 やや文意不明である。
 「言いかけて口を閉ざ」そうとしたのは、作者ご自身なのか「孫」なのか?
 恐らくは作者ご自身であろうが、それならば、この一首の文意は、「勉強嫌いな『孫』に注意しようとして、ついうっかり『口』に出してしまったが、『孫』には『孫』なりの言い分があろうかと思って、『口』を『閉ざ』してしまった。でも、一旦『口』に出して『言いかけて』しまったのに、それっきり『口を閉ざす』のは『卑怯だと』思って、先ずは『孫の言い分』を聴いてから注意しようと思ったのであるが、『孫の言い分』を『聴きつつ頷く』はめになってしまった」といったことになりましょうか?
 しかし、一般の読者に、ここまでの事を理解させるのはいささか無理ではないでしょうか?
  〔返〕 孫は孫一人前の口を利くそれに感心していては駄目   鳥羽省三


○ 触れるたび白萩散れり散るたびに河野裕子の無念を思ふ  (成田市) 神郡一成

 「河野裕子」さんへの追悼歌の半ば以上は、表現はそれぞれに異なっていても、結局は「河野裕子の無念を思ふ」といった内容である。
 だとすれば、亡き人の夫たる者は、亡き彼女をして「残念無念」と言わしむるような、力不足、未だ未成熟の歌人かと誤解される恐れあり。
 それを覚悟の上で、この作品を入選作とされた選者・永田和宏氏には「ご立派」と申し上げて賞賛するしか無い。
  〔返〕 ご亭主はもう一人立ち出来ますよ河野裕子よ成仏なされ   鳥羽省三 


○ 六月は新聞濡れて届く月近藤芳美亡きをさびしむ  (竹原市) 岡元稔元

 私は寡聞にして、「売れ残る夕刊の上石置けり雨の匂いの立つ宵にして」(『埃吹く街』昭和23年刊より)以外には、「近藤芳美」氏と「新聞」が「濡れて」いることとの関わりを示す作品は存じ上げません。
  〔返〕 菅くらく絡む中国逃れ得ずひとつ覚えの薬害エイズ   鳥羽省三 

「カスタネット」について

2010年11月07日 | 今週のNHK短歌から
 昨日は早朝から鎌倉に出掛け、大阪から鶴岡八幡宮界隈の写真撮影をするために出張して来ていた長男と途中駅で合流し、秋の鎌倉の風景を十数年ぶりで思う存分楽しんで来た。
 二番目の孫の芽衣を連れた長男及び私たちの四人が、江ノ電を終着駅の鎌倉で下車し、江ノ電口でうろうろしていたところ、まるで競輪学校の学生みたいな派手な服装をした青年が、突然、私に声を掛けて来た。
 突然、名を呼ばれたので驚いて、その派手な服装をした青年の顔を見たところ、なんと驚いたことに、彼の青年は私たちの次男なのであった。
 長男と次男とは、「離れて住んでいる私たち一家四人(長男の娘を含めて五人)が、先祖の縁の地でも無い<鎌倉>で逢うとは奇遇だなあ。これは鶴丘八幡宮様のお導きなのかも知れない」などと言い合って、盛んにお互いの肩を叩き合いなどしていたが、それはかなり芝居掛かって居て、察するに、長男と次男とは昨夜のうちからケータイーなどで連絡し合っていて、所定の時間に<鎌倉駅>の<江ノ電口>にて出会うように仕組んでいたものと思われる。
 それにしても、次男の住まいは東急田園都市線の鷺沼駅五分のマンション。
 あそこから鎌倉までの四十キロ以上の道程を、朝っぱらから自転車で乗り付けて来たものと、帰路のことなども考えて、私は少々心配になったし、気の弱い妻などは心なしか顔を真っ青にしてさえいた。
 それはそれとして、そういう訳で、私は、この「臆病なビーズ刺繍」の記事を、昨日は、「NHK短歌鑑賞」の数人分を早朝に書いただけで、午後の五時過ぎまで在宅して居なかったのであるが、帰宅して、早速、ブログを開いてみたところ、次のようなコメントが寄せられていた。

   Unknown (加賀見隆)
   2010-11-06 16:01:23
 カスタネットから暖かみを感受できないのなら読み手としては致命的ですな。

 察するに、上掲のコメントは、私が昨日の早朝に記した、結城市在住の山内佳織さん作「明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり」という作品についての鑑賞記事についての反論として発信されたものらしい。
 そこで、この際、煩わしさを厭わず、先ず、私が昨日の早朝に記した記事の内容をそのままコピーして示し、その後、<加賀見隆>と名乗る実体不明の方からの上掲コメントについての、私なりの感想を記してみたい。

 「カタカタカタカタ」と笑ったのでしょうか?
 「ケタケタケタケタ」と笑ったのでしょうか?
 と、まあ、ふざけ半分に質問してはみましたが、話者(=本作の作者)が「君はカスタネットのように笑えり」と言っているのは、笑っている「君」の音声というよりも顔付きや身体全体の表情が「カスタネット」を思わせたからでありましょう。
 と、言うことは、とりも直さず、「君」に対する話者の評価、即ち、「この男は薄情かつ軽躁な男に違いない。三十六計捨てるに如かず」という思いを言い表そうとしたものでありましょう。
 一見して、軽薄そのもののようなこの作品を、ほかならぬ東直子さんが、どんな理由で<特選一席>とまで推奨したのであろう、と、当初は不思議に思いましたが、「カスタネットのように笑えり」という直喩にいくらかの新味を感じられたのかと思って、半ば納得しました。
  〔返〕 男性はベースのように在るべきと思うも勝手女性の思い   鳥羽省三

 私が昨日の早朝に記した記事の内容は以上の通りである。
 お読みになってご理解いただけるとは思いますが、私は、上掲の戯作風の鑑賞文の中で、木製の打楽器「カスタネット」そのものについては、何一つ記してはいない。
 私が記しているのは、上記、山内佳織さんの短歌中に登場する「カスタネット」についてだけである。
 「カスタネット」に限らず、楽器から発せられる音について、それを受け取る人間側の感情や感覚を付与して論じたり、短歌の中に取り入れたり場合は数多く在る。
 そうした一例として、「カスタネットの温かみのある音」という場合は、当然在り得るし、例えば、私もかつては、「ハーモニカを奏づる老ひに合はするは温とき妻のカスタネットの音」という作品を詠んで<没>にしたことがある。
 その失敗作は、私の現住地の近くの川崎市多摩区の三田に長年ご在住なさり、本年、その地でお亡くなりになられた、ある老作家の作品世界に取材したものであったが、私はその作家が芥川賞を受賞して文壇に華々しく登場した当時からの読者であり、同氏の晩年の作品を含めた作品のほとんどを愛読していた為に、同氏作の<聖家族の如く崇高な世界>を私如きが思いつきで詠んだ腰折れの一首で以って表わすことは、到底不可能な事だと感じたから、その一首を没にした次第であった。
 そこで、私は<(加賀見隆>なる上掲のコメントの発信者に問う。
 あなたは、「明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり」という一首の文脈の中に用いられている「カスタネット」の「音」に、<温かみ>や<暖かみ>をお感じになられるのでありましょうか?
 同じように<ひらがな>で「あたたかみ」と記す場合でも、「温かみ」と「暖かみ」とでは微妙に異なるとは思われるが、その微妙な違いは、この際無視することにして、あなたが「明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり」という作品中の「カスタネット」から、「温かみ」や「暖かみ」を感得なさるとしたら、あなたの感情ないし感覚は、もはや麻痺状態にあると思われ、もしかしたら、日常会話にさえも不自由を来たすような状態に陥っていらっしゃるかとも判断されます。
 したがってこの際は、徹底的にその治療にご専念なさり、ご全快なさった後に、改めて私のブログにコメントをお寄せ下さい。
 私が、上掲の作品中の「カスタネット」という語から感得するのは、「明日よりも今日だ今だ」とほざいた上に、<ケタケタケタケタ>あるいは<カタカタカタカタ>と笑っている「君」の<矮小性><軽躁性><薄情性>などであり、愛の対象者たるべき<話者>に対して、そのように振舞う「君」の、あの薄っぺらな木製打楽器「カスタネット」にも似た、<卑小さ><薄っぺらさ>や<孤弱性>即ち<人間的な弱さ>なのであり、それと表裏の関係にある<人間的尊大さ>でもあって、「暖かさ」でも「温かさ」でも、決して無いのである。
 それともう一点。
 私は、自分が管理者として設置したブログ上で、短歌に関する自分自身の考えや感想を記すようになってから、既に六年以上の月日が経っているし、印刷媒体などに於いてそのことを行って来た期間を含めると、既に二十年以上の歳月を経過している。
 私はこの長い歳月の間に、先輩諸氏からさまざまなことを教わりながら、さまざまなことを発信して来たのである。
 私は、そうした自分自身の考えを、僅か一行か二行程度の短い字数で以って述べることがほとんど無かったのである。
 然るに、あなたからのコメントは「カスタネットから暖かみを感受できないのなら読み手としては致命的ですな」という、たったの一行だけのものであり、しかも、ブログアドレスもメールアドレスも明らかにしていない、極めて無礼千万な性質なものである。
 新聞や雑誌などの印刷媒体による報道の危機が叫ばれ、それに替わる報道媒体としてインターネット通信などの役割りが大いに期待されている今日、その最低のマナーは、お互いにその所在を明らかにして、公平な立場で意志の交換をすることでありましょう。
 以後、よくよくご注意されたし。 
 末筆ながら、心身のご健康には充分にご注意下さい。

 その事とは別に、「カスタネット」と言えば、それについて、私には忘れられない事が一つある。
 昨日、鷺沼から鎌倉まで自転車で往復した、我が家の次男が未だ幼稚園児で在った頃のある秋の日、彼が珍しくも「幼稚園を休みたい」と愚図り出して、その日たまたま自宅に居た父親の私と母親たる妻とを困らせたことがあった。
 その事情を問い質したところ、その当時、彼の通っている幼稚園では、秋の運動会の練習の真っ最中であった。
 幼稚園児の運動会と言えば、その名物は<鼓笛隊>の行進演奏であり、彼はその鼓笛隊の<カスタネット組>に選ばれた、と言うよりも、他の大きな楽器の演奏者や指揮者などには選ばれずに、その他大勢組の一員として、恥ずかしくも、あの軽躁なだけが取り得の「カスタネット」を片手に持ってカタカタと鳴らし、指揮者の逞しい男子児童や、旗持ちの可愛らしい女子児童や、鉄琴組や何組やらの男女混合の名誉ある児童たちの後からノコノコとくっ付いて歩いて行くだけの役割りしか与えられなかったのであり、彼はその悔しさを懸命に堪えながら通園していたらしかったのである。
 聞くところによると、指揮者や旗持ちや主な楽器の演奏者に選ばれた児童たちのほとんどは、その幼稚園の父兄会の役員をしている家の子供であり、受け持ちの先生たちは、運動会の花形たる、その児童たちのご指導に忙しく、「カスタネット組」は「カスタさん」という有り難くも無い可愛らしいお名前を頂戴し、名誉組が先生方からのご指導を受けている時に、めいめい勝手にグランドの片隅で遊んでいるしか無かったらしいのである。
 そんなある時に、私の次男の受け持ちである女性教師が、グランドの片隅で遊びたくも無いのに遊んでいた、我が家の次男の頭を、「カスタさんは静かに見学していなさい」と言うや否や、あろうことかタンバリンの縁で思い切り叩いたというのである。
 彼の頭からはたちまち血がダラダラ流れ、他のクラスの先生が慌てて保健室に連れて行って応急措置をして下さり、その日はそのまま一人だけ帰宅させられたというのであった。
 幼稚園側からも、受け持ち教師からも、謝罪は勿論、何の挨拶も無かったのである。
 私の連れ合いの翔子は、今と同様に、その頃からとてももの静かで気が弱い母親であったから、その事を父親である私に隠しておいて、翌日、また幼稚園に行かせようししたものだから、、さしもの忍耐強い次男もとうとう堪えきれなくなって、「あんな幼稚園には行きたくない」と愚図り出したのである。
 今更そんなことを申せば、かつての私がどこかの世界に棲息しているステージパパ紛いの男性であり、我が家の次男が、先生方の指導に従わないガキ大将みたいに思われるが、現実は全くその逆で、その当時の我が家の次男は飛び抜けて小柄であり、先生方が名誉組のご指導に専念して居られる時、彼は他の「カスタさん」組の大柄な児童たちから、小突かれたり押されたりしていただけで、遊んでいたというよりも遊ばれていたというのが実情だったのである。
 今となっては、それも忘れられない「カスタさん」の思い出である。
  〔返〕 哀しくも騒々しくもある「カスタさん」それにまつわる一つの思い出   鳥羽省三

『NHK短歌』観賞(東直子選・10月17日放送)

2010年11月06日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]
○ 明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり  (結城市) 山内佳織

 「カタカタカタカタ」と笑ったのでしょうか?
 「ケタケタケタケタ」と笑ったのでしょうか?
 と、まあ、ふざけ半分に質問してはみましたが、話者(=本作の作者)が「君はカスタネットのように笑えり」と言っているのは、笑っている「君」の音声もそうであるが、それ以外に顔付きや身体全体の表情が「カスタネット」を思わせたからでありましょう。
 と、言うことは、とりも直さず、「君」に対する話者の評価、即ち、「この『男』は非情かつ軽躁・軽薄な男に違いない。三十六計捨てるに如かず」という思いを言い表そうとしたものでありましょう。
 一見して、軽薄そのもののようなこの作品を、ほかならぬ東直子さんが、どんな理由で<特選一席>とまで推奨したのであろう、と、当初は不思議に思いましたが、「カスタネットのように笑えり」という直喩にいくらかの新味を感じられたのかと思って、半ば納得しました。
  〔返〕 男性はベースのようにあるべきと思うは女性の身勝手なのか?   鳥羽省三
   

[同二席]
○ ゆがむ音を古墳うましと吸い込みぬ風土記の丘のたんぽぽの笛  (船橋市) 矢澤春美

 数年前のことであるが、島崎藤村ゆかりの地・信州小諸城跡に草笛を吹く老人が居て、マスコミの話題になったことがあったが、本作の題材となったのは、現在、日本全国に十七箇所の多きを数える「風土記の丘」と称する観光地に於いて、地元の古老が吹いていた、必ずしも上手とは言えない「たんぽぽの笛」を耳にして、作者は、「この『たんぽぽの笛』の『ゆがむ音』こそ、風土記時代の音楽に違いない」と思ったら、その「ゆがむ音」だけでは無くて、「古墳」の周りに吹いている風さえも「うまし」と感じられたのでありましょう。
 聴覚的感覚を味覚的感覚に還元して表現したところが宜しいのでありましょうか?
 ところで、作中の「風土記」とは、奈良時代初期・元明天皇の詔勅によって各国の国庁が編纂した官撰の地誌であり、主に<和臭漢文>と呼ばれる変則的な漢文体で書かれている。
 現在、完本として発見されたものは無いが、『出雲国風土記』がほぼ完本の形で残っており、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した形で残っている。
 元明天皇の名で編纂の詔勅が下された経過から考えて、上記五国以外の国の「風土記」も存在したはずだが、現在では、後世の書物に引用されている逸文からその一部が窺われるのみであり、その<逸文>すら、果たして奈良時代の「風土記」の記述であるかどうか、疑問が持たれているものすら在る。
 もう一言すれば、前述の通り、官撰地誌「風土記」にあやかって「風土記の丘」と名付けられた観光施設が、現在、日本全国で十七箇所の多きを数え、巷間の噂によると、いわゆる<道の駅>ブームなどと関連して、その数は益々増えて行くだろうと予測されているが、それらは一種の<箱物行政>と断言しても宜しく、税金や交付金を当て込んでの「風土記の丘」建設ブームが再来するとしたら、即刻、<事業仕分け>の対象とされなければならない、と評者は判断する。
  〔返〕 場所ゆへに人の旨しと思ほゆる風土記の丘で飲んだコーラも   鳥羽省三


[同三席]
○ 背の吾子をでんでん太鼓で眠らせしその子五十路の機微にふれたり  (岩見沢市) 千葉まゆみ

 本作の作者・千葉まゆみさんが、かつて、背中に背負って「でんでん太鼓」を懸命に振ってあやして、やっとこさ眠らせた駄々っ子の「その子」ちゃんが、今「五十路」に立って、何か人情の「機微」に触れるような出来事に遭遇したのでありましょう。
 そこで、その「その子」ちゃん母親たる千葉まゆみさんは、「ああ、あの駄々っ子だった<その子>も、やっと一人前になったのか。あの時、私が経験したと同じようなことを、私にその経験をさせた他ならぬ<その子>が、『五十路』になった今になって経験しているのだなー。我が子の成長は嬉しいと言えば、嬉しいことであるが、決してそればかりでは無いんだなー」と感じているのでありましょう。
 「五十路」に立って、人情の「機微にふれたり」と、母親の千葉まゆみさんを嬉しがらせたり、淋しがらせたりしている、本作中の晩熟(おくて)の人物のお名前が「その子」さんで無いことは、一見、晩熟そうにも見える、この鳥羽省三とて、とっくの昔に承知して居りますから、ご心配ご無用に願います。
  〔返〕 千葉その子いいえ間違い男です今は五十路で孫さえも居る   鳥羽省三


[入選]
○ 気の弱き孫が最後にバンと打つ夏の帽子のようなシンバル  (徳島市) 武市尋子

 「シンバル」という打楽器は、あの通りの大きな図体をしていますから、一見すると、オーケストラや鼓笛隊の中の一番重要な役割りを担う楽器と見做され勝ちではあるが、プロのオーケストラはともかく、幼稚園児や小学生などの鼓笛隊などに於いては、有力者を親に持つ、図体の大きい木偶の坊の児童に担当させるのだ、という話を聴いたことがあります。
 本当かどうかは知りませんが。
 それかあらぬか、本作の作者・武市尋子さんのお「孫」さんの、何と真剣そうなことよ。
  〔返〕 一曲の終りを狙ってバンと打つ一打ち太郎は彼のことかな   鳥羽省三


○ 夫の生家訪ふたび迷ふ古い路地さうさうここよ三味線の鳴る  (赤穂市) 根来玲子

 




○ 亡き友に徐々に似てきた陽子ちゃんチェロ工房にチェロと取り組む  (茨木市) 瀬川幸子




○ 妻の琴は「夕焼け小焼け」歌ひをり老人ホームの笑顔や真顔と  (東海市) 伊藤英夫


○ 酒飲めば一本指にて「荒城の月」をピアノで弾き語る父  (世田谷区) 田村敦子



○ 親つばめ餌持ちくればいっせいに五つのトランペット鳴りはじむ見ゆ  (八王子市) 猪俣重哉




○ 灼熱の長き長き夏無事に過ぎただハモニカの鉄の匂ひ吹く  (千葉市) 小林正寿



○ 厚紙は昭和の匂いストロベリーチョコ食べ終えて鳴らす箱笛  (ひたちなか市) 平野十南



○ めいめいの身体が楽器で幸せと合唱団はどこでも歌いき  (郡山市) 畠山理恵子