臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

田中光子(長崎県新上五島町ご在住)さんの作品

2010年11月09日 | あなたの一首
 つい先日、本年九月二十六日放送の「NHK短歌」<米川千嘉子選>の特選三席に選ばれた、長崎県新上五島町ご在住の田中光子さん作の「胸に抱く犬に舐められつつ吾はいかなる味の獣の子ども」についての感想を述べたところ、予想だにしないことであったが、作者ご本人と思われる方から、大変ありがたいコメントを頂戴した。
 私の書いた感想文は、主として、作者のお名前と私の連れ合いの妹の旧姓が全く同一であったことを中心とした私事的な内容で、私が本年度の<NHK短歌>の選者の中で最も期待し、尊敬もしている米川千嘉子氏選の特選三席に選ばれた田中光子さん作の作品そのものについては、本格的なことは何一つ記していなかったのである。
 それにも関わらず、今回、その作者と思われる方からご丁重なる謝辞を述べられたことは、全国各地の皆様からの温かいお支えによって、この拙いブログに文章らしきものを記している私にとっては、望外の幸せでありました。
 そこで今回は、上掲の作品及び、<NHK短歌>等にご投稿なさって、めでたく特選などに選ばれた、田中光子さんの他の作品についての、私なりの感想を書かせていただきたいと存じます。


○ 戦争を忘れるたびに秋は来て空のざくろは笑うであろう
                    (NHK全国短歌大会・平成十七年大賞作品)

 作者の田中光子さんが、本作をお詠みになったのは平成十七年の秋頃かと思われる。
 仮にその頃だとすると、それは昭和二十年八月十五日から六十年以上も過ぎている時期であって、世間一般の人々の脳裡からも作者ご本人の脳裡からも、あの敗戦の日の屈辱的な記憶がかなり薄れ掛けていたものと思われる。
 我が国の政府や各種団体は、そうした風潮に逆行するが如く、戒めるが如くに、毎年八月の声を聞くと、広島・長崎の原爆記念日及びそれに続く八月十五日の終戦記念日などの行事を盛大に行い、それに呼応してマスコミも戦争関係の報道を盛んに行うのである。 
 だが、それも夏の熱い時期の一盛りの出来事に過ぎなくて、その時期が過ぎ、秋風が吹く八月下旬になると、人々の心は、あの日の記憶から益々遠ざかってしまうばかりなのである。
 丁度その頃になると、民家の塀越しに花「ざくろ」が、真っ赤な唇をばっくりと開けて咲き、実「ざくろ」も亦、あの日の傷口を見せびらかすかのようにしてぱっくりと割れた実を覗かせているのであった。
 花が咲くことを「笑う」とも言うが、本作の作者・田中光子さんは、世間一般の人々の胸中からは勿論のこと、自分自身の胸中からも、あの「戦争」の記憶が去りつつあることを、何か罪の意識の如くにお感じになって居られると窺われ、折からの「ざくろ」の開花に事寄せて「空のざくろは笑うであろう」とお詠みになったものと思われる。
 花「ざくろ」の鮮明な<赤>が戦火を思わせ、実「ざくろ」のぱっくり開いた傷口が戦争の痛手を思わせるなど、本作の一語一語は有機的効果的に働き、<大賞>に相応しい傑作を成している。
  〔返〕 両関の母屋の庭の塀越しにぱっくり割れた実石榴の傷   鳥羽省三
 北東北の地方都市に生まれ育った私にとっての<ランドマーク>は、<うまい酒・両関>本舗の巨大な母屋であった。
 毎年秋頃になると、その塀越しにぱっくりと傷口を開けた<実石榴>が顔を覗かせて居て、学校帰りの子供たちがそれに石をぶっつけて落とし、口に銜えて「酸っぱい。不味い」などと言っていたことを思い出した。
 ところで、私の生家の近所のほとんどの家々の人々は、親戚関係でも縁戚関係でも無いのに、<両関本舗>の伊藤家のことを「本家、本家」と呼んでいた。
 そうした中に在って、唯一例外的に、私の父だけは、「親元でも手回りでも無いのに、両関のことを<本家、本家>と呼んでいる、この町内の奴等は馬鹿で胡麻すりである。俺はどんなに金に困っていた時でも、ただの一度も両関の仕事はしたことが無いぞ。だから、俺の子供のお前たちも、両関の世話になったりしては駄目だぞ」と言っていたが、そのことが少年時代の私の誇りでもあり、また、自分自身の将来の不安材料の一つでもあった。
 ところで、私の中学時代の同級生の一人に、その両関一族の娘さんが居たが、彼女は、小、中学校を通じてずっと学級委員であったように思われるが、口数の少ない上品な感じの少女であった。 
 その<両関>が、一昨年頃から、お酒の売れ行き不振、事業不振の為に銀行管理に陥ったと聞く。
 子供の頃の私たちの<ランドマーク>であり、市内観光の目玉でもあった、あの巨大な黒い建物は、これから先、一体どうなるのであろう。
 

○ 「お母さん雨」という手話 春雨は少女の指に光りつつ降る
                    (同上大会・平成十九年大賞作品)

 耳の不自由な「少女」が、突然降って来た<お天気雨>の「春雨」を、覚えたての「手話」で以って、自分の「お母さん」に「『お母さん雨』」と知らせようとしたのでありましょう。
 「春雨は少女の指に光りつつ降る」という下の句の表現は、その「春雨」が<お天気雨>であったことを示すと同時に、耳の不自由なその「少女」の「指」の白さや細さや動きまでも表していて素晴らしい。
  〔返〕 突然の狐の嫁入り花嫁の顔も衣装も濡れるであろう   鳥羽省三


○ 洗い桶に亀の子束子は立ちており亀におなりよ月の夜だよ
                    (2008年9月・河野裕子選特選三席)

 月夜の庭に、昼間の洗濯に用いられた「洗い桶」が置き去りにされて居り、その中に「亀の子束子」がちょこんと立っているのである。
 その光景に、ある種の切なさと眩惑感を感じた作者が、「『亀の子束子』よ。お前、今は『月の夜だよ』。そんな所にいつまでも突っ立っていないで、せっかくの『月の夜』だから、本物の『亀におなりよ』」と呼び掛けたのである。
 おどけた表現の中に、作者・田中光子さんの優しさとロマンティズムが感じられる。
  〔返〕 洗い桶に水がたっぷり張られ居りここにも一つ満月が澄む   鳥羽省三


○ うりぼうのどの子もこける石ありて南瓜の花のくすくす笑い
                    (2006年9月・山埜井喜美枝選特選一席)

 私が、田中光子さんの御作に接した最初の作が本作である。
 歌人としての全盛期をかなり過ぎていたと思われる選者・山埜井喜美枝さんの、半ば惚けたような、半ば寝ぼけたような気の無い解説と共に、この作品が<特選一席>に選ばれた、あの朝のことは、あれから数年過ぎた今になっても、私の記憶の中に鮮明に残っている。
 下の句は、黄色い縮緬状になって咲いている「南瓜の花」を「くすくす笑い」に見立てての表現でありましょう。
 私が愛読していた、庄野潤三氏の小説の中に、本作の上の句、「うりぼうのどの子もこける石ありて」と似たような状景が描かれていたように記憶しているが、母親の猪に率いられた「うりぼう」が、庭に置かれている「石」に躓いて、次々に「こける」様が面白可笑しく表現されていて、<特選一席>に相応しい傑作と思われる。
  〔返〕 古希われの躓くやうな階なれば妻に手取られそろそろ下る   鳥羽省三


○ 二千羽のすずめと同じ体重で少女は夏へブランコをこぐ
                    (2009年6月21日・東直子選)

 作中の「少女」の「体重」を<四十キログラム>と仮定すれば、「すずめ」一羽の平均「体重」は<二十グラム>となる。
 その<二十グラム>の「体重」の「すずめ」「二千羽」分と「同じ体重で少女は夏へ」と「ブランコをこぐ」のである。
 その「すずめ」「二千羽」と「同じ体重で」「夏へ」と「ブランコをこぐ」「少女」の顔の輝きと笑みとは、余所目で見ていても眩しいくらいに美しい。
  〔返〕 雀一羽の三千倍余の体重を持て余しつつ余生を生きる   鳥羽省三


○ よその子は大きくなるのが本当に早くてハリー・ポッターのキス
                    (2009年10月11日・加藤治郎選)

 J・K・ローリング作の大ベストセラー小説『ハリー・ポッター』シリーズは映画にもなって、この種の小説にも映画にも全く興味を感じていない私でも、そのタイトルぐらいは知っている。
 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』は、孤児の少年が魔法使いとして成長していく過程を描くファンタジーである、と聞いているが、その映画の中に、<孤児・ハリー>が少女と「キス」をする場面が在るのでありましょうか。
 <隣の芝生は青い>と諺にも言う通り、「よその子は大きくなるのが本当に早くて」我が「子」だけが遅い、と感じるのは、世の親の何方にも共通する<親心>というものでありましょう。
 末尾二句に跨って「ハリー・ポッターのキス」と置いて具体化したことが、この作品に現実感を添えると同時に、ロマンチックな内容にもしたのである。
  〔返〕 よその妻は若くて綺麗で溌剌と家の翔子は六十四歳  鳥羽省三 


○ 長い時間かけて熟れゆく不登校なりし息子とトベラの果実
                    (2009年12月27日・米川千嘉子選特選二席)

 節分の夜に鰯の頭などと共に魔除けとして玄関<扉>に掲げられることから「トベラ」と命名されたこの樹木は、潮風や乾燥に強く、海岸では高木になって街路樹や道路の分離帯に植樹されることが多いそうだから、本作の作者・田中光子さんがお住いになって居られる五島列島の島々では、日常生活の中で度々目にする樹木でありましょうか?
 本作の意は、「その『トベラの果実』が『長い時間かけて熟れゆく』のと同じように、『不登校なりし』我が家の『息子』は『長い時間』を『かけて』成長するのだから、焦らずに気長に面倒を見ましょう」という訳でありましょうか?
 そうした心掛けをお持ちの田中光子さんにして「よその子は大きくなるのが本当に早くてハリー・ポッターのキス」という一首在り。
 真に世の親たちのお気持ちは、ただの一日として休まらないのである。
  〔返〕 長き時掛けて醸せし濁酒の味の恋しき都会暮らしよ   鳥羽省三

 
○ あの夏の防空頭巾を嫌いと言い仔うさぎの目に戻りゆく母
                  (『NHK短歌』2009年10月号に東直子選の佳作として掲載)

 作者のご母堂様は、町内の防災退避訓練の際などに、頭部を保護する「頭巾」を被られられようとしたので、「あの夏の防空頭巾を嫌い」と言って駄々をこねて泣き出したのでありましょうが、その「母」のことを、<仔うさぎの目になりてゆく母>では無くて、「仔うさぎの目に戻りゆく母」とした点に注意しなければならない。
 要するに作者は、「母」が<幼時帰り>をしたと言いたいのである。
 この秀作を<佳作>にして、一体全体、東直子さんは、どんな作品を<特選作>としたり<入選作>としたりなさったのでありましょうか?
 評者の私としては、その点がすこぶる興味深いところである。
  〔返〕 あの夏の防空頭巾を脱がぬまま今も基地なる沖縄の島   鳥羽省三


○ 胸に抱く犬に舐められつつ吾はいかなる味の獣の子ども

 私の連れ合いのお妹さん・旧姓<田中光子>さんは、飼い犬の<クロ>を「この子」などと呼び、一個三千円也の資生堂のクリームを塗りたくったご美顔をぺろぺろと舐めさせている。
 思うに、新旧を問わず、<田中光子>と名付けられた女性は、その世の中に果たす役割りとして、飼い犬をわが子のように可愛がり、その造作の美醜を問わず、そのお顔を「舐められつつ」生きる宿命の元に置かれている存在なのかも知れません。
 本作の作者・田中光子さんが「いかなる味の獣の子ども」であるかは存じ上げませんが、他人に舐められるよりは、飼い犬やご亭主殿に舐められた方が数千倍も増しである。
 だから、歌詠みの田中光子さんも、姑さんの顔読みの(旧姓)田中光子さんも、せいぜい、ぺろぺろと「舐められ」ていなさい。
  〔返〕 起き抜けに温きタオルを差し出して「その顔拭け」と翔子は言ひぬ   鳥羽省三