臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(11月1日掲載・其のⅣ)

2010年11月04日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○ 二万発はるかに超えし核秘むる地球(ほし)にはあれど澄みわたる秋  (舞鶴市) 吉冨憲治

 「二万発はるかに超えし」という詠い出しは、尋常ならば、夏の夜空を彩る<花火>を詠う時の詠い出しである。
 それが<花火>では無くて「核」爆弾であったところに、この一首の尋常ならざるところが在るのである。
 それにしても「二万発はるかに超えし」とは。
 「二万発」を「はるかに超え」たものが<花火>だったならば、早速、観光バスを仕立て、クーラーボックスに缶ビールでも詰め込み、一族郎党<花火見物>と洒落込むところであるが、なにせ「核」爆弾相手では見物に出掛ける気にもならない。
 真に困ったものである。
 かくなる上は、一族郎党を召集して「核」爆弾退治に出掛けなければなるまい。
  〔返〕 火事装束馬簾振っても間に合わぬ核退治とはかなり厄介   鳥羽省三


○ 捕獲され上目づかいのまなざしにサルの孤独の闘いをみる  (浜松市) 岡本 寛

 「上目づかいのまなざし」とは、「捕獲され」た者が「捕獲」した者に対して、哀れみを乞い、許しを乞う時の「まなざし」であると同時に、隙あらば逆襲せんとの意志を潜めた「まなざし」である。
 本作の作者・岡本寛さんは、其処に「サル」の「孤独の闘いをみる」のでありましょう。
  〔返〕 隙在らば逆襲せむとの意志を秘め上目遣ひの眼差しをする   鳥羽省三


○ 波高き魚釣島のすぐ側に鯖釣りしたる若き日想う  (西予市) 大和田澄男

 尖閣島や「魚釣島」は、今やいろいろな意味で「波」が高い。
 その「魚釣島」の「波」が未だ単純な意味で高かった頃に、本作の作者・大和田澄男さんは、その「すぐ側」で「鯖釣り」をしたのでありましょう。
 その頃は、大和田澄男さんと同様に、我が国・日本も中国も亜細亜も若かったのである。
 人間に限らず、この世のものの全ては、自分の老醜を自覚した時にさまざまな問題を曝け出すのでありましょう。
  〔返〕 一億が十三億を押し上げて世界第二の経済大国   鳥羽省三
      一億が十三億を圧し潰し世界第二の経済大国      々
      政治家が我等庶民を苦しめて世界三位の経済大国    々


○ 風穴を隠すがごとく父親の遺影を胸の前に持つ友  (和泉市) 星田美紀

 「父親の遺影を胸の前」に持って、「友」が隠さなければならない「風穴」とは、他ならぬ「父親」を失ったところによって生じた「風穴」である。
 かくして、「父親」という存在は、亡くなった今でもまだ、「友」の心の「風穴」をカバーするくらいの偉大な存在なのである。
  〔返〕 遺影もて隠してもなほ寒き風その風塞ぐ恋をしなさい   鳥羽省三


○ ステーキとシチューは旨し村特産の黒毛和牛一頭を食べ尽くす祭  (稚内市) 藤林正則

 <村興し>と称して、人々はいろいろな催し物を考え出すのであるが、「黒毛和牛一頭を食べ尽くす」程度の催しでは、餓えた人々の心は、とうてい満腹しないのである。
 この一首は、大幅な字余りと韻律の悪さを抱えているが、今や、朝日歌壇を支えるような存在となっている作者としては、「私が詠んだものは、即ち<短歌>だ」とでも仰りたいところでありましょうか?
 もしそうだとしたら、それが歌人・藤林正則さんの長所にもなり、短所にもなる。
  〔返〕 ステーキもシチューも飽きたこの胸をときめかすほどの歌詠みなさい   鳥羽省三 


○ 汚れたる聖書のごとく繰返し車谷長吉読む是非もなく  (大阪市) 山下 晃

 「是非もなく」の解釈が問題となる。
 評者としては、「世間の評判や評価はともかくとして」といった意味合いでもって、この一首全体を解釈したい。
 あの自分と自分を含めた人間一般のの弱点と醜悪さとを余す所なく曝け出すような<車谷長吉文学>には、まさに「是非もなく」読まないで居られない少数のファンの存在があるのに違いない。
  〔返〕 尻拭う気にもならない汚れ紙車谷長吉神を持たない   鳥羽省三


○ 朝鮮の猫の啼き声「ヤウン」という二世の我は「ニヤオ」が親し  (大阪府) 金 亀忠

 本作の作者・金亀忠さんが、自分自身を指して「二世」と言えば、それに噛み付いてくるお方が居られたと思っていたが、あのお方は、最近どうしてお暮らしなのでありましょうか?
  〔返〕 ヤウンともニヤオとも啼かずお隣りのワンちゃんいつもアホウと啼くの   鳥羽省三
 何という種類のお犬様かは存じ上げませんが、お隣りのワンちゃんは、嘘も誇張も無く、真実「アホウ、アホウ」と啼いているのである。
 暇が在れば、このようなことばかり書いている評者には、自分自身、「阿呆」という自覚が無きにしも非ずであるから、かなり気になるところである。


○ 玉入れの玉を数える声透る観客席もつられ声上ぐ  (京都市) 高橋雅雄

 「つられ」たのか、他の観客を<釣る>つもりなのかは存じ上げませんが、運動会の観客席には、必ずそのような<背高のっぽ>が居て、彼は亦、団地内の夏祭などでは、まるで指定席のようにして神輿の先頭に立ち、「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」と佐賀訛りの目立つ掛け声を掛けているのであった。
 その彼も亦、私と同じように古希を過ぎた。
 今となっては、横浜と川崎と、居住地を異にしているが、彼は私にとっては憎めない友であった。
  〔返〕 峰に生ふる古木の松は枯るるとも永久に枯るるな峰松雅男   鳥羽省三