臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「カスタネット」について

2010年11月07日 | 今週のNHK短歌から
 昨日は早朝から鎌倉に出掛け、大阪から鶴岡八幡宮界隈の写真撮影をするために出張して来ていた長男と途中駅で合流し、秋の鎌倉の風景を十数年ぶりで思う存分楽しんで来た。
 二番目の孫の芽衣を連れた長男及び私たちの四人が、江ノ電を終着駅の鎌倉で下車し、江ノ電口でうろうろしていたところ、まるで競輪学校の学生みたいな派手な服装をした青年が、突然、私に声を掛けて来た。
 突然、名を呼ばれたので驚いて、その派手な服装をした青年の顔を見たところ、なんと驚いたことに、彼の青年は私たちの次男なのであった。
 長男と次男とは、「離れて住んでいる私たち一家四人(長男の娘を含めて五人)が、先祖の縁の地でも無い<鎌倉>で逢うとは奇遇だなあ。これは鶴丘八幡宮様のお導きなのかも知れない」などと言い合って、盛んにお互いの肩を叩き合いなどしていたが、それはかなり芝居掛かって居て、察するに、長男と次男とは昨夜のうちからケータイーなどで連絡し合っていて、所定の時間に<鎌倉駅>の<江ノ電口>にて出会うように仕組んでいたものと思われる。
 それにしても、次男の住まいは東急田園都市線の鷺沼駅五分のマンション。
 あそこから鎌倉までの四十キロ以上の道程を、朝っぱらから自転車で乗り付けて来たものと、帰路のことなども考えて、私は少々心配になったし、気の弱い妻などは心なしか顔を真っ青にしてさえいた。
 それはそれとして、そういう訳で、私は、この「臆病なビーズ刺繍」の記事を、昨日は、「NHK短歌鑑賞」の数人分を早朝に書いただけで、午後の五時過ぎまで在宅して居なかったのであるが、帰宅して、早速、ブログを開いてみたところ、次のようなコメントが寄せられていた。

   Unknown (加賀見隆)
   2010-11-06 16:01:23
 カスタネットから暖かみを感受できないのなら読み手としては致命的ですな。

 察するに、上掲のコメントは、私が昨日の早朝に記した、結城市在住の山内佳織さん作「明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり」という作品についての鑑賞記事についての反論として発信されたものらしい。
 そこで、この際、煩わしさを厭わず、先ず、私が昨日の早朝に記した記事の内容をそのままコピーして示し、その後、<加賀見隆>と名乗る実体不明の方からの上掲コメントについての、私なりの感想を記してみたい。

 「カタカタカタカタ」と笑ったのでしょうか?
 「ケタケタケタケタ」と笑ったのでしょうか?
 と、まあ、ふざけ半分に質問してはみましたが、話者(=本作の作者)が「君はカスタネットのように笑えり」と言っているのは、笑っている「君」の音声というよりも顔付きや身体全体の表情が「カスタネット」を思わせたからでありましょう。
 と、言うことは、とりも直さず、「君」に対する話者の評価、即ち、「この男は薄情かつ軽躁な男に違いない。三十六計捨てるに如かず」という思いを言い表そうとしたものでありましょう。
 一見して、軽薄そのもののようなこの作品を、ほかならぬ東直子さんが、どんな理由で<特選一席>とまで推奨したのであろう、と、当初は不思議に思いましたが、「カスタネットのように笑えり」という直喩にいくらかの新味を感じられたのかと思って、半ば納得しました。
  〔返〕 男性はベースのように在るべきと思うも勝手女性の思い   鳥羽省三

 私が昨日の早朝に記した記事の内容は以上の通りである。
 お読みになってご理解いただけるとは思いますが、私は、上掲の戯作風の鑑賞文の中で、木製の打楽器「カスタネット」そのものについては、何一つ記してはいない。
 私が記しているのは、上記、山内佳織さんの短歌中に登場する「カスタネット」についてだけである。
 「カスタネット」に限らず、楽器から発せられる音について、それを受け取る人間側の感情や感覚を付与して論じたり、短歌の中に取り入れたり場合は数多く在る。
 そうした一例として、「カスタネットの温かみのある音」という場合は、当然在り得るし、例えば、私もかつては、「ハーモニカを奏づる老ひに合はするは温とき妻のカスタネットの音」という作品を詠んで<没>にしたことがある。
 その失敗作は、私の現住地の近くの川崎市多摩区の三田に長年ご在住なさり、本年、その地でお亡くなりになられた、ある老作家の作品世界に取材したものであったが、私はその作家が芥川賞を受賞して文壇に華々しく登場した当時からの読者であり、同氏の晩年の作品を含めた作品のほとんどを愛読していた為に、同氏作の<聖家族の如く崇高な世界>を私如きが思いつきで詠んだ腰折れの一首で以って表わすことは、到底不可能な事だと感じたから、その一首を没にした次第であった。
 そこで、私は<(加賀見隆>なる上掲のコメントの発信者に問う。
 あなたは、「明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり」という一首の文脈の中に用いられている「カスタネット」の「音」に、<温かみ>や<暖かみ>をお感じになられるのでありましょうか?
 同じように<ひらがな>で「あたたかみ」と記す場合でも、「温かみ」と「暖かみ」とでは微妙に異なるとは思われるが、その微妙な違いは、この際無視することにして、あなたが「明日よりも今日だ今だと言う君はカスタネットのように笑えり」という作品中の「カスタネット」から、「温かみ」や「暖かみ」を感得なさるとしたら、あなたの感情ないし感覚は、もはや麻痺状態にあると思われ、もしかしたら、日常会話にさえも不自由を来たすような状態に陥っていらっしゃるかとも判断されます。
 したがってこの際は、徹底的にその治療にご専念なさり、ご全快なさった後に、改めて私のブログにコメントをお寄せ下さい。
 私が、上掲の作品中の「カスタネット」という語から感得するのは、「明日よりも今日だ今だ」とほざいた上に、<ケタケタケタケタ>あるいは<カタカタカタカタ>と笑っている「君」の<矮小性><軽躁性><薄情性>などであり、愛の対象者たるべき<話者>に対して、そのように振舞う「君」の、あの薄っぺらな木製打楽器「カスタネット」にも似た、<卑小さ><薄っぺらさ>や<孤弱性>即ち<人間的な弱さ>なのであり、それと表裏の関係にある<人間的尊大さ>でもあって、「暖かさ」でも「温かさ」でも、決して無いのである。
 それともう一点。
 私は、自分が管理者として設置したブログ上で、短歌に関する自分自身の考えや感想を記すようになってから、既に六年以上の月日が経っているし、印刷媒体などに於いてそのことを行って来た期間を含めると、既に二十年以上の歳月を経過している。
 私はこの長い歳月の間に、先輩諸氏からさまざまなことを教わりながら、さまざまなことを発信して来たのである。
 私は、そうした自分自身の考えを、僅か一行か二行程度の短い字数で以って述べることがほとんど無かったのである。
 然るに、あなたからのコメントは「カスタネットから暖かみを感受できないのなら読み手としては致命的ですな」という、たったの一行だけのものであり、しかも、ブログアドレスもメールアドレスも明らかにしていない、極めて無礼千万な性質なものである。
 新聞や雑誌などの印刷媒体による報道の危機が叫ばれ、それに替わる報道媒体としてインターネット通信などの役割りが大いに期待されている今日、その最低のマナーは、お互いにその所在を明らかにして、公平な立場で意志の交換をすることでありましょう。
 以後、よくよくご注意されたし。 
 末筆ながら、心身のご健康には充分にご注意下さい。

 その事とは別に、「カスタネット」と言えば、それについて、私には忘れられない事が一つある。
 昨日、鷺沼から鎌倉まで自転車で往復した、我が家の次男が未だ幼稚園児で在った頃のある秋の日、彼が珍しくも「幼稚園を休みたい」と愚図り出して、その日たまたま自宅に居た父親の私と母親たる妻とを困らせたことがあった。
 その事情を問い質したところ、その当時、彼の通っている幼稚園では、秋の運動会の練習の真っ最中であった。
 幼稚園児の運動会と言えば、その名物は<鼓笛隊>の行進演奏であり、彼はその鼓笛隊の<カスタネット組>に選ばれた、と言うよりも、他の大きな楽器の演奏者や指揮者などには選ばれずに、その他大勢組の一員として、恥ずかしくも、あの軽躁なだけが取り得の「カスタネット」を片手に持ってカタカタと鳴らし、指揮者の逞しい男子児童や、旗持ちの可愛らしい女子児童や、鉄琴組や何組やらの男女混合の名誉ある児童たちの後からノコノコとくっ付いて歩いて行くだけの役割りしか与えられなかったのであり、彼はその悔しさを懸命に堪えながら通園していたらしかったのである。
 聞くところによると、指揮者や旗持ちや主な楽器の演奏者に選ばれた児童たちのほとんどは、その幼稚園の父兄会の役員をしている家の子供であり、受け持ちの先生たちは、運動会の花形たる、その児童たちのご指導に忙しく、「カスタネット組」は「カスタさん」という有り難くも無い可愛らしいお名前を頂戴し、名誉組が先生方からのご指導を受けている時に、めいめい勝手にグランドの片隅で遊んでいるしか無かったらしいのである。
 そんなある時に、私の次男の受け持ちである女性教師が、グランドの片隅で遊びたくも無いのに遊んでいた、我が家の次男の頭を、「カスタさんは静かに見学していなさい」と言うや否や、あろうことかタンバリンの縁で思い切り叩いたというのである。
 彼の頭からはたちまち血がダラダラ流れ、他のクラスの先生が慌てて保健室に連れて行って応急措置をして下さり、その日はそのまま一人だけ帰宅させられたというのであった。
 幼稚園側からも、受け持ち教師からも、謝罪は勿論、何の挨拶も無かったのである。
 私の連れ合いの翔子は、今と同様に、その頃からとてももの静かで気が弱い母親であったから、その事を父親である私に隠しておいて、翌日、また幼稚園に行かせようししたものだから、、さしもの忍耐強い次男もとうとう堪えきれなくなって、「あんな幼稚園には行きたくない」と愚図り出したのである。
 今更そんなことを申せば、かつての私がどこかの世界に棲息しているステージパパ紛いの男性であり、我が家の次男が、先生方の指導に従わないガキ大将みたいに思われるが、現実は全くその逆で、その当時の我が家の次男は飛び抜けて小柄であり、先生方が名誉組のご指導に専念して居られる時、彼は他の「カスタさん」組の大柄な児童たちから、小突かれたり押されたりしていただけで、遊んでいたというよりも遊ばれていたというのが実情だったのである。
 今となっては、それも忘れられない「カスタさん」の思い出である。
  〔返〕 哀しくも騒々しくもある「カスタさん」それにまつわる一つの思い出   鳥羽省三


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