臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今日の清水房雄鑑賞(其の1)

2010年11月10日 | 今日の短歌
○  金持たせ帰ししあとに押黙りしばしありたる妻たちゆきぬ

 『風谷』所収、昭和四十七年、作者・五十七歳時の作である。
 時代が時代であるから、この頃には、清水房雄(本名・渡辺弘一郎)氏の下にも、金品の無心に現れる者の一人や二人ぐらいは居たに違いないし、その者が清水氏の戦友だったり、歌仲間だったりしても少しも不思議では無い。
 しかし、作者ご自身が何も語っていらっしゃらないのだから、お金の無心を目的として訪れた、その客と作者との関係は一切不明であり、その行く末も不明であるが、とにもかくにも、乏しい家計の中から、首尾よくなにがしかの現金を引き出すことに成功した客が帰ってから、ご主人たる清水房雄氏とその無心客とのやりとりの帰趨に注目していた清水氏の奥様が清水氏の書斎に入って来て、「あの男(女かも?)に、やっぱりお金をやってしまったのね。私は最初からそうなるものと分かっていましたのよ。あなたって人は本当に気が弱く、馬鹿みたいに人がいいだけの人なのね。でも、今月の我が家の暮らしはどうするの。私は知らないから」と言わんばっかりの顔をしながらも「押し黙り」、しばらくしてから部屋を立ち去って行った、というのである。
 「押黙りしばしありたる」という<五七句>が、本作の眼目でありましょうか?
 「しばし」という副詞で示される時間の長さは、物理的には、ほんの数分に過ぎないと思われるのであるが、その間に、夫婦の胸中に於いて、どれだけの激しい火花が散らされたことか?
 私・鳥羽省三の唯一の短歌の師とも言うべき森田悌治氏(故人・群緑の選者)は、生前、「今のアララギ系の歌人の中で唯一例外的に尊敬できるのは『青南』清水房雄氏だけである。清水房雄氏の良さは、あのぶっきらぼうなところに在る。あのぶっきらぼうな作品の中で、清水房雄氏は、一体どれ位多くの事を語らずして語っていることか。<言わぬは言うに増される>という格言は、清水房雄氏の為に作られたようなものだ」などと仰っていた。
  〔返〕 押し黙る妻の胸中推し量り清水房雄氏無言決め込む   鳥羽省三