臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今日の清水房雄鑑賞(其の2)

2010年11月11日 | 今日の短歌
○  救急車に横たへられ寒きしばしの間いたく遊離せし事思ひゐき

 第三歌集『風谷』所収、作者五十七歳時の作品である。
 作者・清水房雄氏の経歴的なことには一切関知しない評者としては、何が故の「救急車に横たへられ」なのか、「思ひゐき」「遊離せし事」とは、どんな「事」なのかは、一切存じ上げないが、「救急車に横たへられ」「寒きしばしの間」「いたく遊離せし事」「思ひゐき」という、この一首に描かれている内容が、自分自身の過去の体験とも重なっていて、頗る興味深いのである。
 私は、これまでの半生に於いて、前後三回、救急車で運ばれたことがあるが、その二回目は、通勤帰りのバスの降車口で、他の乗客に押されるかして停留場の鉄柱に激突し、頭頂から大量の出血があってのことであった。
 その時、私の見知らぬ親切な人が公衆電話で救急車を呼んで下さったので、命を取り留めたのであったが、救急車が現場に到着して、病院に運ばれて行く間が、とても寒く、とても長く感じられたのである。
 その寒くて長い時間の間に私の頭にあったことは、私のコレクションの一つである、大量の銀行の貯金箱をどうしようか、友人油谷満夫氏の油屋コレクションに寄託しようか、それとも、町田天神の骨董市に行って売り捌こうかしら、ということであったのだ。
 命の瀬戸際に在って、自分のコレクションの処置をどうしようか、などという、不届きな事を考えるとは、それこそまさしく、清水房雄氏のこの一首にある「いたく遊離せし事思ひゐき」では無いでしょうか?
 清水房雄氏の場合の「いたく遊離せし事」とは、一体どんな「事」であったのでしょうか?
 と、申し上げても、相変わらず<ぶっきらぼう>の清水房雄氏のことであるから、何も語って下さらない。
 清水房雄氏が何も語って下さらないから、私は誰から頼まれたわけでもないのに、自分の思い出などを語って事態を収拾しなければならないのである。
  〔返〕 救急車で三度運ばれ三度とも生きて帰ってブログやってる   鳥羽省三 
      救急車に三度乗せられ三度生き面目無くて歌を詠んでる      々
      救急車に三度乗せられ三度生き細き命にしがみついてる      々
 


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