臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(043:剥・其のⅢ・決定版)

2010年11月22日 | 題詠blog短歌
(豆野ふく)
○ 「父さんは母さんのこと好きだった?」剥き身のアサリに話しかける母

 「父さんは母さんのこと好きだった?」と「話しかける」相手が「父さん」では無くて「剥き身のアサリ」だったとは、いささかならず<意味深>であり、新鮮でもある。
 「母さん」としては、「父さん」の巧みな手捌きによって初めて「剥き身のアサリ」状態にされた、あの日のことを思い出して、現在、自分の目前にあって、あの日の自分の如く「剥き身」を曝している「剥き身のアサリ」に向かって、つい「話しかけ」たくなったのでありましょう。
 でも、よくよく考えてみれば、「好き」でも無い女性を「剥き身のアサリ」にする男性は居ないと思われますから、「母さん」は「剥き身のアサリ」に「話しかれ」て聞いてみるまでも無く安心していて宜しいかと思われます、とは評者の弁である。
  〔返〕 「あの頃は母さんのこと好きだった」と浅蜊の剥き身を噛みながら思う   鳥羽省三
      「でも今は母さんのこと嫌いか」と剥き身の浅蜊は問い質してる        々


(牛 隆佑)
○  告白は大胆にかつ繊細にかさぶた剥がすあの感覚で

 お題「剥」を詠み込んだ作品としては余りにも月並みとも言える、「かさぶた剥がす」「瘡蓋剥がす」といった作品ばかり読まされて、評者はいささかならず辟易していたのである。
 だが本作は、そうした月並みな発想による作品群の中では、まずまずの出来の作品かと思われるので、採り上げることにした次第である。
 そのように判断した理由は、「告白」という慎重かつ切ない決断を要する行為を、「かさぶた剥がす」という、これまた慎重かつ切ない決断を要する行為で以って比喩的に表現した点にある。
 言いたくても言いたくても言えないで居た思い、痛々しくて切なくて苦しい思いを断ち切って「告白」する時の気分は、痛々しいのを我慢して恐る恐る「かさぶた」を「剥がす」時の気分に通うものが在るのでありましょう。
  〔返〕 BCGの注射の跡の瘡蓋を思えば辛し小学時代   鳥羽省三


(生田亜々子)
○  むらさきのあなたを薄く剥がしてはガラス小びんに入れて楽しむ

 「その昔、海水浴の後で海辺のお土産物屋で父から買ってもらった品物の中の一つに、『むらさき』色をした何かがありました。あの『むらさき』色をした何かは、海草の類だったのでしょうか、それとも、染色した貝殻だったのでしょうか? 今となってはすっかり忘れてしまいましたが、その何かを、一枚一枚『薄く』丁寧に『剥がして』、『ガラス』の『小びん』に『入れて』楽しんでいた時代が、確かに私にもありましたよ」とは、乳母日傘(おんばひがさ)で育ったと言い張る我が妻の言葉である。
 その妻と連れ添って四十年余り、彼女の頭髪にもこの頃はすっかり白いものが目立って来たから、「いっそのこと、紫色に染めたらどうですか?」と勧めようかしらとも思わないでも無いこの頃である。
 昨日私たちは、<東京メトロ千代田線>を乃木坂駅で下車して、<サントリー美術館>で行われていた<蔦谷重三郎展>を観た後、<東京ミッドナイトタウン>を徘徊して来たが、同じ<東京ミッドナイトタウン>を徘徊するにしても、白髪頭の女性と徘徊するよりは、紫色に染め毛した女性と徘徊する方が、いくらか増しかと思うからである。
 ところで、作者・生田亜々子さんは、本作に於いて、「むらさきのあなたを薄く剥がしてはガラス小びんに入れて楽しむ」とだけ言っているのであって、私の連れ合いの元乳母日傘の場合とはいささか異なって居て、その「むらさきのあなた」が海草の類とも染色した貝殻とも、何とも仰っていないのである。
 だとすると、生田亜々子さんなる女性は、案外、猟奇趣味の老婆なのかも知れません。
 嗚呼、気持ち悪い。
 でも、少しは剥がされてみたいような気がしないでも無い。
 でも、この歳ではいささか無理な注文かな?
  〔返〕 夜な夜なに少年少女を剥ぎ取ってガラスの小瓶に入れて楽しむ   鳥羽省三


(イズサイコ)
○  付け爪を剥がし女を遣り切った今日も彼にはちゃん付けされた

 「女を遣り」切る為には、「付け爪を剥がし」たり、<付け睫>を逆さに植えたりしなければならないのでありましょうかしら。
 そうかどうかを、この後に出て来る作品の作者・蓮野唯ちゃんに問い質してみようかしらん。
 それにしても、「付け爪を剥がし女を遣り切った」イズサイコさんを、「今日」も「ちゃん付け」して呼ぶとは、作中の「彼」は、あまりに酷い「彼」である。
 その「彼」に一言申し上げます。
 貴方はイズサイコさんを「イズサイコさん」と、ちゃんと呼ばなければなりませんよ。 
 貴方という男性は、女性の人格とプライドを何と心得て居るんですか。
 愛する彼女を「イズサイコちゃん」などと「ちゃん付け」で呼ばずに、「イズサイコさん」と、ちゃんと呼んで上げなさい。
 可哀想に彼女は、「付け爪を剥がし女を遣り切った」のですよ。
  〔返〕  付け爪で咽喉(のみど)に穴を開けられた女の恨みほんに恐ろし   鳥羽省三 


(蓮野 唯)
○  タマネギの皮剥くようにいつまでも本音出て来ずイライラとする

 お久し振りです、蓮野唯ちゃん。
 いや失礼、蓮野唯さんでした。
 大変不躾ながら、最初に先ず、お尋ね申し上げます。
 貴女は「女を遣り切った」と思われる場面を、過去半生に於いて、ご経験なさって居られますか?
 もし、ご経験なさって居られるならば、その場面で、貴女は「付け爪を剥がし」ましたか?
 と、などと評者に尋ねられても、本作の作者・蓮野唯さんは、「タマネギの皮剥くようにいつまでも本音出て来ずイライラとする」ばかりなのかしら?
 ところで、「タマネギ」に「本音」が在るとしたら、その「本音」とは、一体何なのでありましょうか?
 どっどっどっと流れ出る涙なんでありましょうか?
 それとも、タマネギ入りドレッシングのあの爽やかさなのでありましょうか?
 その点についてもお答え下さい、蓮野唯さん。
  〔返〕 新玉のタマネギのごと新鮮な一首ご期待蓮野唯様   鳥羽省三


(たざわよしなお)
○  ゴキブリホイホイですわたくしの胸の薄紙を剥がして下さい

 「ゴキブリホイホイです」と、自ら名乗り出るのは、短歌表現の詠い出しとしては大変目新しい。
 韻律の乱れを犠牲にしてまでも目新しい表現で以って詠い出そうとする、本作の作者・たざわよしなおさんの、冒険心と異能とに先ずは敬意を表します。
 また、そうした特異な上の句に続いて、下の句には「わたくしの胸の薄紙を剥がして下さい」とありますが、よくよく考えてみると、あの「ゴキブリホイホイ」の中身の部分を覆っている薄い紙蓋は、確かに「胸の薄紙」に他なりません。
 この優れた一首をものしただけでも、たざわよしなおさんは、あの穂村弘氏や桝野某氏にも劣らない軽量短歌の名手として賞賛されましょうか?
  〔返〕 身の細る思いしてまでゴキブリを退治するのかゴキブリホイホイ   鳥羽省三


(桑原憂太郎)
○  教室に貼られし「みんな仲良く」の目標べりべり剥がす放課後

 桑原憂太郎先生が只の凡百の教師だったならば、校長に<右倣え>をして、教室に「みんな仲良く」のポスターを貼っていて恥ずかしいとも空々しいとも思わないのでありましょう。
 だが、そんな無神経な教師のままで居るにしては、我らが桑原憂太郎先生のセンスは少しばかり繊細過ぎるのである。
 この評者は「いくら生活に困っても、乞食と教師にだけはなりたくない」と言われた時代の教師であるが、そんな頭の悪い評者にしても、「お弁当はみんなで丸く輪になって食べましょう」とか「みんな仲良く」とか「一人が伸びればみんなが伸びる」といった、学級スローガンのインチキ性は知っていた。
 まして、教師花形時代の桑原憂太郎先生をや。
 「教室に貼られし『みんな仲良く』の目標べりべり剥がす放課後」というこの一首は、桑原憂太郎先生のそんな微細な芸術家センスを、余すところ無くご発揮なさった佳作でありましょう。
  〔返〕 我が胸に焼き付けられし聖職の印し掻き遣り校門を出づ   鳥羽省三
      我が胸に焼き付けられし聖職の印し毟りて紅楼に入る      々


(伊倉ほたる)
○  癖だから剥がしてしまう二枚舌、重ね貼りする値札のシール

 発想の発端は、久々に入った<ブックオフ>の商品棚にずらりと並んだ歌集の「値札のシール」が、二重三重の「重ね貼り」状態になっているのを、目にしたところに在るのでありましょう。
 一例を以って示すと、先日、私が近所の<ブックオフ>で僅か105円で買った、大滝和子歌集『竹とヴィーナス』(砂子屋書房刊)の定価は3000円なのである。
 だが、その<ブックオフ>の<105円棚>には、3000円というその本の定価の数字を隠すような隠さないような感じで、その真下に<1500円>の「値札のシール」をべたりと貼られ、その右横にも更に<500円>の「値札のシール」がべたりと貼られ、更にその右横にも<105円>の「値札のシール」がべたりと貼られている本が埃を被って並んでいて、数々の悔しい体験を重ねた挙句、この頃、歌集と称する書物には<105円>以上の資金を投資しない覚悟を決めている評者の目に止まったのである。
 <大滝和子>さんと言えば受賞歌人であり、今では、ひとかどのプロ歌人として、総合誌などにも作品を発表している著名な歌人である。
 しかも、私がたった<105円>で入手した『竹とヴィーナス』の巻頭には、「無限から無限を引きて生じたるゼロあり手のひらに輝く」「腕時計のなかに銀の直角がきえてはうまれうまれてはきゆ」といった珠玉のような、将来、彼女の代表作品と呼ばれるような作品が掲載されていたのである。
 評者は、本作の作者・伊倉ほたるさんを、大滝和子さん以上の優れた歌人になるような素質を秘めた女流歌人として大いに期待しているのであるが、彼女の繊細そのもののセンスは、世上の物の値段のそうしたインチキ性を逸早くキャッチして、本作を成したのでありましょう。
 ところで、本作の上の句は、「癖だから剥がしてしまう二枚舌」となっている。
 作者・伊倉ほたるさんが、ご自身の性癖ゆえに「剥がしてしまう」のは「二枚舌」では無く、件の歌集の定価を隠すように隠さないように「重ね貼り」された<二枚目・三枚目>の「値札のシール」である。
 したがって、この作品の上の句の末尾の「二枚舌」の「舌」の一字は、この上の句だけを見ていると、思わずやらかしてしまった横綱白鵬関の<勇み足>のような感じでもあるが、それと見せ掛けて、さり気無く「重ね貼りする値札のシール」という下の句に続けて行く手際の素晴らしさは、私のような凡百の歌詠みには、到底考えることも出来ない離れ業なのである。
 事の序でにもう一言申し添えると、昨今は、例の週刊誌の暴露記事の影響もありましょうが、さすがのあの「嵐」ブームも、まるで二百十日の台風の嵐のように過ぎ去ってしまい、私の家の近所の件の<ブックオフ>のCD棚に並んでいる彼らの<CDアルバム>には、<1800円>の「値札のシール」の上に<1500円>の「値札のシール」が、<1500円>の「値札のシール」の上には<1000円>の「値札のシール」が、<1000円>の「値札のシール」の上には<500円>の「値札のシール」が重ね貼りされている始末で、昨日の日曜日は特売日とあって、<500円>の彼らの<CDアルバム>が、たったの<250円>で投売りされていたのであった。
 世上の噂に拠ると、本作の作者・伊倉ほたるさんは、その人並み優れた知性にも似合わず、評者などから見れば只の馬鹿者でしかない、あの人「嵐」の熱烈なファンだとか。
 だとすれば、「癖だから」と「剥がしてしまう」のは、「二枚舌」でも大滝和子歌集『竹とヴィーナス』の「重ね貼り」された「値札のシール」でも無く、同じ<ブックオフ>の<特価CDアルバム・250円棚>に燻っている、<嵐>の<CDアルバム>に「重ね貼り」されている「値札のシール」かも知れません。 
 と、申すのは、それが素朴な<ファン心理>というものだと、評者は密かに思っているからなのです。
 お気の毒さま。
 御身お大事にお過ごしあれ。
  〔返〕 癖なれば少しけち付け誉めもする二枚舌かも鳥羽省三は   鳥羽省三
 この傑作については、もう少しの解説を要するかと思われる。
 優れた短歌の魅力の一つに、<批評性>ということがある。
 これまで、この短歌について私が論じて来たことの要点は、この短歌の持つ<批評性>についてであったが、批評性をテーマとした短歌が、単に批評性だけで終わったならば、その魅力は限定的なものとなる。
 一例を上げて説明すれば、彼の寺山修司の名作「マツチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の魅力の一つは、戦前から戦後へと価値観が百八十度変わった事への<批評性>であるが、この名作が名作として謳われる理由は、この作品には、前述の<批評性>に加えて、青春時代を生きる者の<放浪性><不良性><浪漫性><憧憬性>などの数々の複雑な性格が備わっているからである。
 で、本題の伊倉ほたるさん作「癖だから剥がしてしまう二枚舌、重ね貼りする値札のシール」にも、前述の通りの<批評性>の他に、倒錯的隠微的な<性的魅力>が備わっていると思われるのである。
 作中の「二枚舌」は、彼の「嵐」の連中の巧みな<舌技>とも、「重ね貼りする値札のシール」は、彼らが年増女性を相手にする時に二重に三重に身に纏う下着などとも思えば、この作品の魅力は、一気に二倍増、三倍増するかと思われるのである。
 もう一点、本作の作者について言えば、こうした手の込んだ名作を投稿する知性的な女性が、その知性をかなぐり捨てて、あの低能集団、痴漢集団としか思われない「嵐」の連中の熱烈なファンとなって狂う所に、女性の可愛らしさ、面白さが在り、女性のみならず、人の世の面白さが在るのである。
  〔返〕 この際は知性も品も捨てちまえ嵐吹いたらどうせずぶ濡れ   鳥羽省三   

(黒崎聡美)
○  毎日をまわりのせいにしていると気がつきつつも独活の皮剥く

 「気がつきつつも独活の皮剥く」という下の句のセンスは大変素晴らしいが、上の句で「毎日をまわりのせいにしていると」と言うだけでは、具体性に乏しくあまり説得力が無いと思われる。
  〔返〕 独活食へば物忘れするその事を知るや知らずや黒崎聡美   鳥羽省三


(振戸りく)
○  剥ぎ取ったパーツを元に戻す時ひとつひとつに口づけをせよ

 作中の語「パーツ」を「パンツ」と読み違えてしまったのは、評者の視力の劣化が原因なのでありましょうか?
 それにしても、本作の作者・振戸りくさんもお名前に似合わず、大変危なっかしいことを仰るものである。
  〔返〕 剥ぎ取った瓦を元に戻すとき一枚一枚粘土でとめた   鳥羽省三
 屋根瓦を固定する時は、その一枚一枚の裏側に粘土を塗って固定するとか。
 評者もまた、ひょっとするとひょっとしかねない、本作のイメージを修復し固定する為に、敢えて上記のような地味な作品を返歌とさせていただきました。


(山田美弥)
○  案外に広かった部屋にひとつずつ君の剥製並べていった

 これは、<男性不信症候群>ないしは<男性願望症候群>に陥った女性の見た<真夏の夜の夢>の世界なのである。
 「君の剥製」とは、本作の作者・山田美弥さんをさんざん弄んで捨てた彼の「剥製」でありましょう。
 その<彼>の「剥製」を幾体も作って、今となっては独り寝するばかりの「部屋」に並べて行ったら、まるで<ドミノ倒し>の<ドミノ>のように、その「剥製」が幾体あっても足りずに、それで以って、かつては彼と暮していた自分の部屋が、「案外に広かった」ということを知った、というだけの話である。
  〔返〕 彼の居ぬ心の隙が感ぜしむⅠDKの部屋の広さを   鳥羽省三
 

(お気楽堂)
○  始発待つ時間の無頼ひとりなれば剥げた化粧をなおす気もなし

 本作の作者・お気楽堂さんは、歌舞伎町のホストクラブのナンバーワンなのでありましょうか?
 明け方までのお勤めを終えて、新宿駅で「始発」電車が発車するまでの「時間」を「待つ」三十分ほどは、年増女性に体当たりしての、昨夜来のサービスに努めた疲れが原因で「無頼」な気持ちになって居り、しかも、その時間に新宿駅の高尾方面行きのホームに居るのは、自分「ひとりなれば剥げた化粧をなおす気もなし」と仰っているのでありましょう。
 何処で誰が見ているか分からないのが、この世の中の常なのです。
 そんなに「無頼」なお気持ちにならずに、コンパクトぐらいは使いましょう。
  〔返〕 この頃は女性もいるぞ<JR東日本>給料が良い   鳥羽省三


(久哲)
○  いかにも消火栓だったという顔で剥離したんだろう赤ペンキ

 「消火栓」は、「赤ペンキ」にも嫌われるのか?
 鳴かず飛ばずの<久哲>さんが、久々に放った快打である。
  〔返〕 消火栓犬が小便ひっかけて赤いペンキが一年もたず   鳥羽省三  


(bubbles-goto)
○  湯剥きしたトマトを残しそのまんまローマへ向かうマストロヤンニ

 名画『8 2/1』や『ひまわり』などに出演した、世界的大スター<マルチェロ・マストロヤンニ>は、1924年にイタリア北部の小都市<フォンターナ・リーリ>の家具職人の家に生まれたが、いろいろと曲折の在る生活を経た末、第二次世界大戦が終結した1945年に、演劇界に入る為に「ローマ」に向かったと言う。
 その際、彼「マストロヤンニ」が、それまでの荒んだ住居のキッチンに「湯剥きしたトマトを残しそのまんまローマ」へ向かったかどうかについては、評者の知るところではありません。
 しかし、<イタリア>と言えば<マカロニ>であり、<マカロニ>と言えば「湯剥きしたトマト」であるから、この着想はなかなかに素晴らしい。
  〔返〕 採って来たわらびの灰汁(あく)抜きせぬままに上京したのか柳葉敏郎   鳥羽省三
 あの大スター・柳場敏郎さんの故郷は、ブナ林と山菜以外には、何にも名物の無い田舎です。


(わだたかし)
○  傷はもうとっくに癒えたはずなのに絆創膏は剥がせずにいる

 大相撲の琴欧州のことでありましょうか?
  〔返〕 負けた時怪我で負けたと言えるから絆創膏は剥がずに置こう   鳥羽省三


(今泉洋子)
○  感情が漲つてくる可惜夜(あたらよ)に子宮のかたちの洋梨を

 「可惜夜に子宮のかたちの洋梨」を剥くことは出来ても、洋梨のかたちの子宮を剥かれることが出来なくなったのが、本作の作者の数在る悩みの一つでありましょうか?
 ことほど然様に、今泉洋子さんは女性として用無し(洋梨)になって仕舞われたのである。
 かくなる上は、旅行と詠歌三昧の生活に浸る他無し。
 とは言えど、「可惜夜」に「あたらよ」と振り仮名を施さなければならない性癖が、いささか苦しい。
  〔返〕 あたら夜を見向きされずに独り居て子宮の形の洋梨を剥く   鳥羽省三
 またまた、大変失礼申し上げました。
 この男は、<ああ言えば上佑>の類でありましょうか?


(ゆらり)
○  剥がされるものたち集う秋祭り 太鼓三味線 声高く鳴る

 事の序でに、「秋祭り」の際に「剥がされるもの」をもう一つ付け加えれば、<薦被りの樽神輿の樽>である。
  〔返〕 そのかみの秋祭りの夜に剥がされてそれが機縁の夫婦(めをと)なりしも   鳥羽省三


(帯一鐘信)
○  アイドルの水着写真の八月を剥がすときまで毎年生きる

 それでは、「八月」以降の数ヶ月の生活は、まるで<生きてる屍>みたいなもんでしょう。
  〔返〕 アイドルのヌード写真が剥がされる大晦日までせめては生きよ   鳥羽省三


(イノユキエ)
○  昼月に爪立てて空の表面を剥げば祈りの声は降りふる

 「昼月に爪立てて空の表面を剥げば」という発想が大変宜しい。
 また、「空の表面を剥げば祈りの声は降りふる」という発想も少しは宜しい。
 故に、全体的にはなかなか宜しい。
  〔返〕 昼月に鶏冠逆立て軍鶏が鳴く我は密かに不倫してゐる   鳥羽省三


(小林ちい)
○  剥製と目が合ったから君の手を握り損ねる小さな駅で

 北海道や東北や九州の田舎の駅舎に、その土地に棲息する大型動物の「剥製」が飾られている光景は、よく目にすることである。
 旅の途中の下車駅でも無い「小さな駅」で、そうした大型動物の「剥製」と「目が合った」としたならば、「君の手を握り損ねる」ことだって大いにあり得ましょう。
 「旅の恥は掻き捨て」との、邪まな心が動物に見透かされたような気になるからでありましょうか?
  〔返〕 生きている熊と間違うふりをして彼女の胸にしがみ着いちゃお   鳥羽省三 


(村上きわみ)
○  剥がれゆく秋の本意を汲みかねて噴き上げの水はつか傾く

 「剥がれゆく」のは公園の紅葉した木の葉でありましょう。
 そんな美しい木の葉たちが散り急ぎ、樹上から「剥がれゆく」のを見て、その「本意を汲みかねて」「噴き上げの水」が「はつか傾く」こともありましょう。
 「噴き上げの水」になり代わって、評者がその心を説明して言えば、「君たち、美しい木の葉たちよ。君たちは君たちの生涯の中で、今が最も美しく輝いている時である。それなのに、どうして亦、そんなにも散り急ぐのか? 私は君たちの本意が汲みかねるから、ここにこうして首を傾げ、傾いて噴き上げているのだ」というところでありましょうか?
  〔返〕 こんなにも冷え勝りたる秋空に噴き井の水は何故に噴くのか   鳥羽省三


(闇とBLUE)
○  理科室で雲母が剥がされていくように私のくちびる恥ずかしがった

 「理科室」と言ったら「雲母」の標本。
 その「雲母」の標本と言ったら「剥がされていく」と来る。
 本作の上の句「理科室で雲母が剥がされていくように」までは、下の句中の「恥ずかしがった」を導き出す為の<序詞>的な役割りを果たしているのである。
 で、「私のくちびる恥ずかしがった」とは、作中に名乗り出て来ない<少年>が、作中の「私のくちびる」を吸うのを「恥ずかしがった」ということでありましょう。
 つまりは、本作は、中年女性の少年愛の世界を扱っているのである。
  〔返〕 一重また一重一重と剥がさるる雲母の如き君の衣衣(きぬぎぬ)   鳥羽省三


(勺 禰子)
○  全剥(うつはぎ)に剥ぎて並べて満開の桜の花の下で畢(をは)んぬ

 「満開の桜の花の下」には、全裸死体がごろごろ埋まっている、という次第に相成るのでありましょうか?
 本作は、詠い出しに「全剥」、詠い納めに「畢んぬ」という堅い語を用いているが、名代の気取り屋たる本作の作者・勺禰子さんとしては、この際どうしても、古文書学で教わった、これらの語を用いたかったのでありましょう。
  〔返〕 うつ伏せに全裸死体を重ね埋め死者らの恥を少なくせむか   鳥羽省三