[馬場あき子選]
○ 冷房の沁みる原爆資料館黒人青年の深き沈黙 (四万十市) 島村宣暢
「原爆資料館」に「黒人青年」を立たせれば、それだけで短歌としては充分な道具立てになると思われる。
だが、本作の道具立てはそんなに生易しいものでは無い。
詠い出しに「冷房の沁みる」とあるが、それはそのまま裏返しにしてみれば、本作の背景となった季節が、暑さ盛りの真夏であることを示している。
しかも、その「冷房の沁みる」建物が、デパートや銀行などでは無く、あの広島の「原爆資料館」なのである。
「黒人青年」の眼前に在る、「原爆資料館」の<資料陳列ケース>の中に静かに納まっている、黒焦げになった「資料」の全ては、あの年の八月六日の午前八時十五分に広島上空で爆発した、あの悪魔が放った業火を浴びて、「熱い、熱い、水を下さい。熱くて熱くて死にそうですから、私にコップ一杯の水を下さい」と泣き叫び悶えながら死んで行った、あの原爆の犠牲者たちの血と汗と涙が沁み込んだ遺品なのである。
廣島県立第一高等女学校の生徒・大下靖子さんの夏服がある。
同じく、山下博子さんの抜けた髪の毛がある。
廣島市立第一高等女学校の一年生・美代子さんの下駄がある。
同じく二年生・藤井満里子さんの救急袋がある。
廣島市立中学校の生徒・津田栄一くんの帽子、福岡肇くんの学生服、上田正之くんのゲートルがある。
廣島県立広島第二中学校一年生・折免滋くんの弁当箱、朝日俊明くんの学生服、北林哲夫くんの水筒、谷口勲くんと西本朝彦くんの学生服もある。
八月六日の国鉄切符。
千鶴子さんのワンピース。
相生橋の橋桁。
伸ちゃんの三輪車。
みんなみんな真っ黒焦げになって陳列棚の中に静かに収まっているのだが、あの直前までは、それぞれに個性的な色彩に彩られていた筈であり、今の今だって大声で叫びたい筈なのである。
それらの、真っ黒焦げになって、じっと堪えている資料たちを前にしては、「黒人青年」としては、居住まいを正して「深き沈黙」を守るしか無かったのである。
私たち、この作品の鑑賞者たちの中の或る者は、その「深き沈黙」を守っている「黒人青年」の顔とダブらせて彼と肌の色を同じくしているもう一人の男性、即ち、アメリカ合衆国初の黒人大統領<バラク・オバマ氏>の精悍な顔を想い浮かべるであろう。
あの頃は、クーラーは勿論、扇風機さえも無かった。
広島の人々は、その熱さの中でもがき苦しみ、あの世へと旅立って行ったのであった。
「黒人青年の深き沈黙」は、到底破られそうも無いから、かなりハイテンションになってしまっているこの評者とて、今は唇を閉じるしか無いのである。
〔返〕 <バラク・オバマ>君の胸の中の火は今でもまだ熱く燃えているか 鳥羽省三
<バラク・オバマ>彼の胸の灯消ゆるとも廣島の灯は永久に消えずも 々
○ 金木犀ほのかに匂う漓江の辺はるかに想う泥盆紀の海 (名古屋市) 諏訪兼位
作中の「泥盆」に「デボン」との振り仮名在り。
即ち、<デボン紀>とは地質時代の区分の一つであり、古生代の中頃、シルル紀と石炭紀に挟まれた時代である。
今から約4億1600万年前から約3億6700万年前までの時期と推定されるこの時代は、魚類の種類や進化の豊かさ、加えて、発掘される魚の化石の量の多さから、<魚の時代>とも呼ばれているそうだ。
一方、「漓江」とは、中国の<広西チワン族自治区東北部>を流れ、中国観光の目玉として知られている桂林から陽朔までの区間、即ち<漓江下り>を含む、全長四百三十キロメートル余りの川である。
本作は、<漓江下り>の途中の珍しい眺望に重ねて、<魚の時代>と呼ばれる<デボン紀>に想いを馳せるなど、いかにも科学短歌の開拓者・諏訪兼位さんらしい傑作である。
ところで、この頃、我が家に「金木犀」の香りが「ほのかに」漂って来るのを不思議なことと思っていたのであるが、今日の昼、久し振りに晴れ上がった秋空を見ようとして、和室の窓を開けて一望したら、我が家から数十メートル離れた竹林の下に、思いがけなくも「金木犀」の大木が、それも二本も在ったのである。
〔返〕 金無くて漓江下りが出来ぬからせめて隣家の金木犀に酔ふ 鳥羽省三
○ ロシア人女性二人が寿司広げ湾を愛でつつ缶ビール酌む (舞鶴市) 吉冨憲治
いかにも、外国暮らしの長かった、吉冨憲治さんらしい着眼点である。
察するに、吉冨憲治さんも亦、異国の地に於いて、眼前の「ロシア人女性」たちと同じような時間を過ごしたことがあるのかも知れません。
「女性」に「おみな」との振り仮名が施されているが、それは無用とも思われる。
「ロシア人女性」と「寿司」とのアンバランス。
更には、「ロシア人女性二人」が、我が国日本の食べ物たる「寿司」を「広げ」て、はるか彼方の祖国の海に続いている<舞鶴湾>を「愛でつつ」、「缶ビール」を「酌む」といった光景に、珍しさと共に親しみを感じたことが、この一首を為す動機となったのでありましょう。
〔返〕 行く末はメタボなるかな露国嬢 湾を愛でつつ寿司などを食ふ 鳥羽省三
○ 兜太翁憎まれ口もユーモアに変えて楽しい俳諧談義 (西海市) 前田一揆
「兜太翁」よ、「憎まれ口」を大いにききなさい。
特に、あの愚かしくて憎くらしい<稲畑汀子>を相手にする時には、牙を剥き出しにして、「ユーモア」などを一切混じえずに、遠慮会釈無く、徹頭徹尾、相手がコテンパーになるまで、「憎まれ口」をきいて下さい。
それが、世の為、人の為になると信じて。
〔返〕 虚子の孫・稲畑汀子に向かふとき金子兜太は月光仮面 鳥羽省三
金子兜太翁の禿頭を指して<月光仮面>と言っているのではありません。
善を勧め悪を懲らしめる、彼の役割りを<月光仮面>と言っているのです。
○ 他人との比較やめよと諭す本鎮痛剤のようにまた読む (和泉市) 長尾幹也
「他人との比較やめよと諭す本鎮痛剤のようにまた読む」という作品は、<この人にして、この言有り>とも思われる一首かと思われます。
朝日歌壇の常連中の常連たる<長尾幹也>さんにして、自作と他人の作とを比較して、心を傷める事ありや?
「鎮痛剤のようにまた読む」が、我が心をも打つ。
〔返〕 短歌とはかかれとばかりの一首なり長尾幹也の口語短歌よ 鳥羽省三
○ 材担ぎ足場を走る作業員遮蔽幕外し校舎現わる (町田市) 堀江五十鈴
この頃は、本作の作者・堀江五十鈴さんの居住地・東京都下・町田市内と同じように、我が近辺の川崎市内や横浜市内に於いても、「校舎」の外壁塗装工事が盛んに行われている。
工事が一通り出来上がったある朝、それまで「校舎」全体を取り巻いていた「遮蔽幕」が取り外されると、其処に改装成った「校舎」がくっきりと姿を現すのである。
「材担ぎ足場を走る作業員」という上の句の表現から推測してみるに、本作の作者は、その工事の一部始終を見て居り、完成の日を今か今かと待ち焦がれていたと思われる。
〔返〕 明日は晴いよいよ外す遮蔽幕クリーム色の校舎くっきり 鳥羽省三
○ もぞもぞと栗から出てきた栗虫はほやほや生まれたての顔する (諏訪市) 宮澤惠子
「栗虫」というものは、正しく「もぞもぞ」と「栗」の中から這い「出て」来るものであり、這い出れば這い出たで、「ほやほや」と湯気みたいなものを上げているような感じの「顔」をするものである。
「もぞもぞと栗から出てきた栗虫はほやほや生まれたての顔する」という一首全体、それを実見した者で無ければ詠めないような、現実感に溢れた作品である。
〔返〕 盗み喰いしたる栗の香そのままに身体捩じらせ人の顔見る 鳥羽省三
あの「栗虫」は、本当に人の顔を見るんですよ。
「お先に頂戴して大変申し訳ありません」といったような顔をして、上目遣いに、本当に人の顔を見るんですよ。
○ 後継ぐは案山子だけだと老農が稲架を解きつつ溜め息をつく (神戸市) 内藤三男
あの「案山子」は、イベントの時だけ動員が掛かるのであって、決して、稲作の後継者などにはなりませんよ。
彼らは、あれで、いっぱしの芸能人気取りで居るんですから。
〔返〕 後継ぎは案山子無用の企業にて大量生産大量販売 鳥羽省三
○ ひとたびは車道拡げし工事ありこのたびは歩道拡げる工事 (長野県) 沓掛喜久男
行政の仕事は天下り先を作る事と、その天下り先に潤沢な予算を配分することである。
「ひとたびは車道拡げし工事ありこのたびは歩道拡げる工事」という、名人上手・沓掛喜久男さんのこの傑作は、それを証明する、何よりの証拠かと思われる。
〔返〕 下水工事済ませた直後の瓦斯工事同じ道端また掘り返す 鳥羽省三
○ 冷房の沁みる原爆資料館黒人青年の深き沈黙 (四万十市) 島村宣暢
「原爆資料館」に「黒人青年」を立たせれば、それだけで短歌としては充分な道具立てになると思われる。
だが、本作の道具立てはそんなに生易しいものでは無い。
詠い出しに「冷房の沁みる」とあるが、それはそのまま裏返しにしてみれば、本作の背景となった季節が、暑さ盛りの真夏であることを示している。
しかも、その「冷房の沁みる」建物が、デパートや銀行などでは無く、あの広島の「原爆資料館」なのである。
「黒人青年」の眼前に在る、「原爆資料館」の<資料陳列ケース>の中に静かに納まっている、黒焦げになった「資料」の全ては、あの年の八月六日の午前八時十五分に広島上空で爆発した、あの悪魔が放った業火を浴びて、「熱い、熱い、水を下さい。熱くて熱くて死にそうですから、私にコップ一杯の水を下さい」と泣き叫び悶えながら死んで行った、あの原爆の犠牲者たちの血と汗と涙が沁み込んだ遺品なのである。
廣島県立第一高等女学校の生徒・大下靖子さんの夏服がある。
同じく、山下博子さんの抜けた髪の毛がある。
廣島市立第一高等女学校の一年生・美代子さんの下駄がある。
同じく二年生・藤井満里子さんの救急袋がある。
廣島市立中学校の生徒・津田栄一くんの帽子、福岡肇くんの学生服、上田正之くんのゲートルがある。
廣島県立広島第二中学校一年生・折免滋くんの弁当箱、朝日俊明くんの学生服、北林哲夫くんの水筒、谷口勲くんと西本朝彦くんの学生服もある。
八月六日の国鉄切符。
千鶴子さんのワンピース。
相生橋の橋桁。
伸ちゃんの三輪車。
みんなみんな真っ黒焦げになって陳列棚の中に静かに収まっているのだが、あの直前までは、それぞれに個性的な色彩に彩られていた筈であり、今の今だって大声で叫びたい筈なのである。
それらの、真っ黒焦げになって、じっと堪えている資料たちを前にしては、「黒人青年」としては、居住まいを正して「深き沈黙」を守るしか無かったのである。
私たち、この作品の鑑賞者たちの中の或る者は、その「深き沈黙」を守っている「黒人青年」の顔とダブらせて彼と肌の色を同じくしているもう一人の男性、即ち、アメリカ合衆国初の黒人大統領<バラク・オバマ氏>の精悍な顔を想い浮かべるであろう。
あの頃は、クーラーは勿論、扇風機さえも無かった。
広島の人々は、その熱さの中でもがき苦しみ、あの世へと旅立って行ったのであった。
「黒人青年の深き沈黙」は、到底破られそうも無いから、かなりハイテンションになってしまっているこの評者とて、今は唇を閉じるしか無いのである。
〔返〕 <バラク・オバマ>君の胸の中の火は今でもまだ熱く燃えているか 鳥羽省三
<バラク・オバマ>彼の胸の灯消ゆるとも廣島の灯は永久に消えずも 々
○ 金木犀ほのかに匂う漓江の辺はるかに想う泥盆紀の海 (名古屋市) 諏訪兼位
作中の「泥盆」に「デボン」との振り仮名在り。
即ち、<デボン紀>とは地質時代の区分の一つであり、古生代の中頃、シルル紀と石炭紀に挟まれた時代である。
今から約4億1600万年前から約3億6700万年前までの時期と推定されるこの時代は、魚類の種類や進化の豊かさ、加えて、発掘される魚の化石の量の多さから、<魚の時代>とも呼ばれているそうだ。
一方、「漓江」とは、中国の<広西チワン族自治区東北部>を流れ、中国観光の目玉として知られている桂林から陽朔までの区間、即ち<漓江下り>を含む、全長四百三十キロメートル余りの川である。
本作は、<漓江下り>の途中の珍しい眺望に重ねて、<魚の時代>と呼ばれる<デボン紀>に想いを馳せるなど、いかにも科学短歌の開拓者・諏訪兼位さんらしい傑作である。
ところで、この頃、我が家に「金木犀」の香りが「ほのかに」漂って来るのを不思議なことと思っていたのであるが、今日の昼、久し振りに晴れ上がった秋空を見ようとして、和室の窓を開けて一望したら、我が家から数十メートル離れた竹林の下に、思いがけなくも「金木犀」の大木が、それも二本も在ったのである。
〔返〕 金無くて漓江下りが出来ぬからせめて隣家の金木犀に酔ふ 鳥羽省三
○ ロシア人女性二人が寿司広げ湾を愛でつつ缶ビール酌む (舞鶴市) 吉冨憲治
いかにも、外国暮らしの長かった、吉冨憲治さんらしい着眼点である。
察するに、吉冨憲治さんも亦、異国の地に於いて、眼前の「ロシア人女性」たちと同じような時間を過ごしたことがあるのかも知れません。
「女性」に「おみな」との振り仮名が施されているが、それは無用とも思われる。
「ロシア人女性」と「寿司」とのアンバランス。
更には、「ロシア人女性二人」が、我が国日本の食べ物たる「寿司」を「広げ」て、はるか彼方の祖国の海に続いている<舞鶴湾>を「愛でつつ」、「缶ビール」を「酌む」といった光景に、珍しさと共に親しみを感じたことが、この一首を為す動機となったのでありましょう。
〔返〕 行く末はメタボなるかな露国嬢 湾を愛でつつ寿司などを食ふ 鳥羽省三
○ 兜太翁憎まれ口もユーモアに変えて楽しい俳諧談義 (西海市) 前田一揆
「兜太翁」よ、「憎まれ口」を大いにききなさい。
特に、あの愚かしくて憎くらしい<稲畑汀子>を相手にする時には、牙を剥き出しにして、「ユーモア」などを一切混じえずに、遠慮会釈無く、徹頭徹尾、相手がコテンパーになるまで、「憎まれ口」をきいて下さい。
それが、世の為、人の為になると信じて。
〔返〕 虚子の孫・稲畑汀子に向かふとき金子兜太は月光仮面 鳥羽省三
金子兜太翁の禿頭を指して<月光仮面>と言っているのではありません。
善を勧め悪を懲らしめる、彼の役割りを<月光仮面>と言っているのです。
○ 他人との比較やめよと諭す本鎮痛剤のようにまた読む (和泉市) 長尾幹也
「他人との比較やめよと諭す本鎮痛剤のようにまた読む」という作品は、<この人にして、この言有り>とも思われる一首かと思われます。
朝日歌壇の常連中の常連たる<長尾幹也>さんにして、自作と他人の作とを比較して、心を傷める事ありや?
「鎮痛剤のようにまた読む」が、我が心をも打つ。
〔返〕 短歌とはかかれとばかりの一首なり長尾幹也の口語短歌よ 鳥羽省三
○ 材担ぎ足場を走る作業員遮蔽幕外し校舎現わる (町田市) 堀江五十鈴
この頃は、本作の作者・堀江五十鈴さんの居住地・東京都下・町田市内と同じように、我が近辺の川崎市内や横浜市内に於いても、「校舎」の外壁塗装工事が盛んに行われている。
工事が一通り出来上がったある朝、それまで「校舎」全体を取り巻いていた「遮蔽幕」が取り外されると、其処に改装成った「校舎」がくっきりと姿を現すのである。
「材担ぎ足場を走る作業員」という上の句の表現から推測してみるに、本作の作者は、その工事の一部始終を見て居り、完成の日を今か今かと待ち焦がれていたと思われる。
〔返〕 明日は晴いよいよ外す遮蔽幕クリーム色の校舎くっきり 鳥羽省三
○ もぞもぞと栗から出てきた栗虫はほやほや生まれたての顔する (諏訪市) 宮澤惠子
「栗虫」というものは、正しく「もぞもぞ」と「栗」の中から這い「出て」来るものであり、這い出れば這い出たで、「ほやほや」と湯気みたいなものを上げているような感じの「顔」をするものである。
「もぞもぞと栗から出てきた栗虫はほやほや生まれたての顔する」という一首全体、それを実見した者で無ければ詠めないような、現実感に溢れた作品である。
〔返〕 盗み喰いしたる栗の香そのままに身体捩じらせ人の顔見る 鳥羽省三
あの「栗虫」は、本当に人の顔を見るんですよ。
「お先に頂戴して大変申し訳ありません」といったような顔をして、上目遣いに、本当に人の顔を見るんですよ。
○ 後継ぐは案山子だけだと老農が稲架を解きつつ溜め息をつく (神戸市) 内藤三男
あの「案山子」は、イベントの時だけ動員が掛かるのであって、決して、稲作の後継者などにはなりませんよ。
彼らは、あれで、いっぱしの芸能人気取りで居るんですから。
〔返〕 後継ぎは案山子無用の企業にて大量生産大量販売 鳥羽省三
○ ひとたびは車道拡げし工事ありこのたびは歩道拡げる工事 (長野県) 沓掛喜久男
行政の仕事は天下り先を作る事と、その天下り先に潤沢な予算を配分することである。
「ひとたびは車道拡げし工事ありこのたびは歩道拡げる工事」という、名人上手・沓掛喜久男さんのこの傑作は、それを証明する、何よりの証拠かと思われる。
〔返〕 下水工事済ませた直後の瓦斯工事同じ道端また掘り返す 鳥羽省三