臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『NHK短歌』観賞(加藤治郎選・10月10日放送)

2010年11月05日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]
○ 本棚を見たいと思うきっともうあなたの全てを知りたくなってる  (岐阜県池田町) 太田宣子

 他人の「本棚を見たいと思う」欲望は誰にでもある。
 但し、私の場合は、朝日歌壇の選者・加藤治郎氏とか馬場あき子氏とか、と、その対象は限られている。
 察するに、本作の作者・太田宣子さんの場合は、憎からず思っている男性の「本棚を見たいと思う」のでありましょう。
 だとしたら、、これはまさしく恋愛感情の第一歩であり、この感情が二歩、三歩、四歩と進めば、「きっともうあなたの全てを知りたくなってる」に違いない、ということにもなりましょう。
 それはそうとして、本作の内容は格別な異常心理を述べたものでも無いし、飛躍的発想とか、言葉の冒険といった要素が全く見当たらない。
 それなのに何故、この作品が<朝日歌壇>の<特選一席>に選ばれたのであろうか?と、先刻から私は不思議な気持ちに囚われているのである。
 実を申すと、本文の冒頭に続く部分で、私が、「『朝日歌壇の選者・加藤治郎氏』の『本棚を見たいと思う』」と書いたのは、その事と密接に関わっているのであり、同じ選者の馬場あき子氏の「本棚を見たいと思う」気持ちとは、その質を全く異にしている。
 即ち、かかる平々凡々たる作品を「特選一席」に選ぶ選者・加藤治郎氏は、一体どんな本を読んで勉強しているのだろうか、と、其処のところに大いなる興味を感じたからなのである。
  〔返〕 本棚より先に見たいと思うもの彼の心と給料袋   鳥羽省三


[同二席]
○ 君の名を貸出カードに追いかけてあの秋読んだ太宰全集  (帯広市) 石畑由紀子

 これ亦、平凡な作品である。
 図書館の蔵書のブックポケットに入っている「貸出カード」を調べて、自分の好きな男性にアプローチするという内容の先行作品は一首や二首では無い。
 また、そのアプローチ対象となった男性の好きな本の著者が太宰治であったなどと言うに至っては、まさしく噴飯物なのである。
 かくして、<加藤次郎選>は、毎回毎回、私の心を悩ませるのである。
  〔返〕 彼の名を返済記録に照らし見て断念したる結婚願望   鳥羽省三
 但し、この場合の「返済記録」とは、公立図書館のそれでは無く、<サラ金>のそれなのかも知れない。


[同三席]
○ 大空に未完のままの本たちがさみしく眠る図書館がある  (神戸市) 飯田和馬

 前二作と比較した場合、本作には言葉の飛躍があり、それは同時に心の飛躍にも繋がっていると思われる。
 先ず、「大空に」「図書館がある」という表現には、言葉の大胆な解放と飛躍が見られ、その「大空」の「図書館」に、「未完のままの本たちがさみしく眠る」と表現するに至っては、<和馬空を行く>とでも称すべき大飛躍なのである。
 但し、あの飯田和馬さんにして<千慮の一失>有り。
 その<一失>とは、この秀作を「大空に未完のままの本たちがさみしく眠る図書館がある」として、「大空に未刊のままの本たちがさみしく眠る図書館がある」としなかったことである。
 如何でありましょうか?
 請うコメント。
  〔返〕 大空は蜜柑の色に染まりたり今日の一日もやがて暮れなむ   鳥羽省三
      冬空に未刊のままに凍えたる歌集並べた図書館がある       々
      ブックオフの105円棚に捨てられた歌集百冊遺恨百年      々



[入選]
○ 磨り減った本のページにある秘密知りたいような閉じたいような  (唐津市) 大野一由

 「磨り減った」のは、「本」なのでしょうか、それとも、その本の中の特定の「ページ」なのでしょうか?
 仮に「本」だとしたら、その「本」は既に読み終わっているはずであるし、仮に、その「本」の中の特定の「ページ」だとしても、その特定の「ページ」が「磨り減っ」ているくらいなら、その「秘密」は既に「秘密」でなくなっているはずである。
 したがって、「知りたいような」「閉じたいような」という<七七句>は賢しらぶっての付け足しに過ぎないと思われます。
 いずれにしろ、推敲不足の誹りは免れない。
  〔返〕 まだ裁たぬフランス装に秘密在り裁ちたくもあり裁ちたくもなし   鳥羽省三


○ こっそりと鞄の中に忍び込み貴方の時間少し下さい  (堺市) 柳本朋子

 「こっそりと鞄の中に忍び込み」とせずに、「こっそりと鞄の中に忍び込む」としたらいかがでしょうか。
 そうでなかったら、「こっそりと鞄の中に忍び込み、私は貴方に『貴方の時間少し下さい』とお願いした」といったような、チンケな内容になってしまいます。
 かくして、<加藤治郎選>の入選作の多くは、推敲不足気味であると思われる。
  〔返〕 こっそりと貴方の胸に忍び込みあなたの宿題手伝いたいの   鳥羽省三


○ 読み終へて閉ぢれば汽車は緩やかに湖西線へと進路を変へる  (京都市) 大石悦子

 何を読んでいたのでしょうか?
 『湖西線鈍行列車殺人事件』かな?
  〔返〕 折りも折り探偵ポアロ氏乗り合わせさしもの事件即座に解決   鳥羽省三

 
○ 新しいインクの香り少しして教科書配る花の咲く頃  (城陽市) 下岡昌美

 何を詠いたいのかが分からない。
 「新しいインクの香りが少し」することを詠いたいのか?
 「教科書」を「配る」ことを詠いたいのか?
 「花の咲く頃」を詠いたいのか?
 恐らくは、「新しいインクの香り」が「少し」する中を教科書を配ることによって味わえる感動を詠いたいのでありましょう。 
 だとすれば、「花の咲く頃」は一種の<逃げ>である。
 季節や時間を意味する語句を五句目に付けて逃げるのは、三流短歌特有の悪癖である。
 それを<逃げ>と思わない選者は盆暗。
 評者は、<加藤治郎選>の作品に、格別なダイナミズムや重厚さや奥深さを期待してはいないが、それにしても、余りにも浅薄に過ぎるのではないでしょうか?
  〔返〕 教室に青きインクの香り居てガリ版刷りの教科書配る   鳥羽省三
           

○ ページ繰る音のみ響く夜の部屋穏やかな沈黙がふたりを包む  (岡崎市) 安川道子
 
 「穏やかな沈黙が」という四句目の大幅な字余りが気になるが、それ以上に気になるのは、「穏やかな沈黙がふたりを包む」という、安直な下の句である。
  〔返〕 ページ繰る音のみ響く夜の部屋ぼんぼん時計も今日はお休み   鳥羽省三
      T-falのケトルの湯気に曇る部屋ぼんぼん時計は今夜も鳴らぬ   々


○ ぽつぽつと言葉の雨が降り注ぎやがて書物は海となります  (江戸川区) 中森 舞

 「海」となって、その後どうなるのか?
 「ぽつぽつと」→「雨になり」→「海になり」の連想ゲームの中に、「言葉」→「書物」の連想ゲームを介在させた単純浅薄な構成の一首である。
  〔返〕 ぼつぼつと恨み重なる選者にてやがて台風洪水となる   鳥羽省三


○ 美しい人だが彼女が本ならば私はきっと読まないだろう  (世田谷区) 黒沢 竜

 余りにも軽い内容の「本」ですからね。
  〔返〕 軽過ぎる短歌に違いないけれど前の人よりいくらか増しね   鳥羽省三


○ さっきから同じ頁で君からのメールの返事待ってるところ  (福島県南会津町) 渡部友博

 「さっきから同じ頁で」の後に補足されるべき語句を言い切らずに、「君からのメールの返事待ってるところ」と飛躍した点が成功したと思われる。
  〔返〕 さっきから君のメールが気になってページ繰る指運動不足   鳥羽省三  


○ 目の前で本を読む君ゆっくりと透き通るような沈黙が好き  (札幌市) 星ゆう子

 「ゆっくりと透き通るような沈黙」という直喩が宜しい。
  〔返〕 目前でキスをする君 一瞬に怒り爆発婚約解消   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(11月1日掲載・其のⅣ)

2010年11月04日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○ 二万発はるかに超えし核秘むる地球(ほし)にはあれど澄みわたる秋  (舞鶴市) 吉冨憲治

 「二万発はるかに超えし」という詠い出しは、尋常ならば、夏の夜空を彩る<花火>を詠う時の詠い出しである。
 それが<花火>では無くて「核」爆弾であったところに、この一首の尋常ならざるところが在るのである。
 それにしても「二万発はるかに超えし」とは。
 「二万発」を「はるかに超え」たものが<花火>だったならば、早速、観光バスを仕立て、クーラーボックスに缶ビールでも詰め込み、一族郎党<花火見物>と洒落込むところであるが、なにせ「核」爆弾相手では見物に出掛ける気にもならない。
 真に困ったものである。
 かくなる上は、一族郎党を召集して「核」爆弾退治に出掛けなければなるまい。
  〔返〕 火事装束馬簾振っても間に合わぬ核退治とはかなり厄介   鳥羽省三


○ 捕獲され上目づかいのまなざしにサルの孤独の闘いをみる  (浜松市) 岡本 寛

 「上目づかいのまなざし」とは、「捕獲され」た者が「捕獲」した者に対して、哀れみを乞い、許しを乞う時の「まなざし」であると同時に、隙あらば逆襲せんとの意志を潜めた「まなざし」である。
 本作の作者・岡本寛さんは、其処に「サル」の「孤独の闘いをみる」のでありましょう。
  〔返〕 隙在らば逆襲せむとの意志を秘め上目遣ひの眼差しをする   鳥羽省三


○ 波高き魚釣島のすぐ側に鯖釣りしたる若き日想う  (西予市) 大和田澄男

 尖閣島や「魚釣島」は、今やいろいろな意味で「波」が高い。
 その「魚釣島」の「波」が未だ単純な意味で高かった頃に、本作の作者・大和田澄男さんは、その「すぐ側」で「鯖釣り」をしたのでありましょう。
 その頃は、大和田澄男さんと同様に、我が国・日本も中国も亜細亜も若かったのである。
 人間に限らず、この世のものの全ては、自分の老醜を自覚した時にさまざまな問題を曝け出すのでありましょう。
  〔返〕 一億が十三億を押し上げて世界第二の経済大国   鳥羽省三
      一億が十三億を圧し潰し世界第二の経済大国      々
      政治家が我等庶民を苦しめて世界三位の経済大国    々


○ 風穴を隠すがごとく父親の遺影を胸の前に持つ友  (和泉市) 星田美紀

 「父親の遺影を胸の前」に持って、「友」が隠さなければならない「風穴」とは、他ならぬ「父親」を失ったところによって生じた「風穴」である。
 かくして、「父親」という存在は、亡くなった今でもまだ、「友」の心の「風穴」をカバーするくらいの偉大な存在なのである。
  〔返〕 遺影もて隠してもなほ寒き風その風塞ぐ恋をしなさい   鳥羽省三


○ ステーキとシチューは旨し村特産の黒毛和牛一頭を食べ尽くす祭  (稚内市) 藤林正則

 <村興し>と称して、人々はいろいろな催し物を考え出すのであるが、「黒毛和牛一頭を食べ尽くす」程度の催しでは、餓えた人々の心は、とうてい満腹しないのである。
 この一首は、大幅な字余りと韻律の悪さを抱えているが、今や、朝日歌壇を支えるような存在となっている作者としては、「私が詠んだものは、即ち<短歌>だ」とでも仰りたいところでありましょうか?
 もしそうだとしたら、それが歌人・藤林正則さんの長所にもなり、短所にもなる。
  〔返〕 ステーキもシチューも飽きたこの胸をときめかすほどの歌詠みなさい   鳥羽省三 


○ 汚れたる聖書のごとく繰返し車谷長吉読む是非もなく  (大阪市) 山下 晃

 「是非もなく」の解釈が問題となる。
 評者としては、「世間の評判や評価はともかくとして」といった意味合いでもって、この一首全体を解釈したい。
 あの自分と自分を含めた人間一般のの弱点と醜悪さとを余す所なく曝け出すような<車谷長吉文学>には、まさに「是非もなく」読まないで居られない少数のファンの存在があるのに違いない。
  〔返〕 尻拭う気にもならない汚れ紙車谷長吉神を持たない   鳥羽省三


○ 朝鮮の猫の啼き声「ヤウン」という二世の我は「ニヤオ」が親し  (大阪府) 金 亀忠

 本作の作者・金亀忠さんが、自分自身を指して「二世」と言えば、それに噛み付いてくるお方が居られたと思っていたが、あのお方は、最近どうしてお暮らしなのでありましょうか?
  〔返〕 ヤウンともニヤオとも啼かずお隣りのワンちゃんいつもアホウと啼くの   鳥羽省三
 何という種類のお犬様かは存じ上げませんが、お隣りのワンちゃんは、嘘も誇張も無く、真実「アホウ、アホウ」と啼いているのである。
 暇が在れば、このようなことばかり書いている評者には、自分自身、「阿呆」という自覚が無きにしも非ずであるから、かなり気になるところである。


○ 玉入れの玉を数える声透る観客席もつられ声上ぐ  (京都市) 高橋雅雄

 「つられ」たのか、他の観客を<釣る>つもりなのかは存じ上げませんが、運動会の観客席には、必ずそのような<背高のっぽ>が居て、彼は亦、団地内の夏祭などでは、まるで指定席のようにして神輿の先頭に立ち、「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」と佐賀訛りの目立つ掛け声を掛けているのであった。
 その彼も亦、私と同じように古希を過ぎた。
 今となっては、横浜と川崎と、居住地を異にしているが、彼は私にとっては憎めない友であった。
  〔返〕 峰に生ふる古木の松は枯るるとも永久に枯るるな峰松雅男   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(11月1日掲載・其のⅢ)

2010年11月03日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]

○ 冷房の沁みる原爆資料館黒人青年の深き沈黙  (四万十市) 島村宣暢

 「原爆資料館」に「黒人青年」を立たせれば、それだけで短歌としては充分な道具立てになると思われる。
 だが、本作の道具立てはそんなに生易しいものでは無い。
 詠い出しに「冷房の沁みる」とあるが、それはそのまま裏返しにしてみれば、本作の背景となった季節が、暑さ盛りの真夏であることを示している。
 しかも、その「冷房の沁みる」建物が、デパートや銀行などでは無く、あの広島の「原爆資料館」なのである。
 「黒人青年」の眼前に在る、「原爆資料館」の<資料陳列ケース>の中に静かに納まっている、黒焦げになった「資料」の全ては、あの年の八月六日の午前八時十五分に広島上空で爆発した、あの悪魔が放った業火を浴びて、「熱い、熱い、水を下さい。熱くて熱くて死にそうですから、私にコップ一杯の水を下さい」と泣き叫び悶えながら死んで行った、あの原爆の犠牲者たちの血と汗と涙が沁み込んだ遺品なのである。
 廣島県立第一高等女学校の生徒・大下靖子さんの夏服がある。
 同じく、山下博子さんの抜けた髪の毛がある。
 廣島市立第一高等女学校の一年生・美代子さんの下駄がある。
 同じく二年生・藤井満里子さんの救急袋がある。
 廣島市立中学校の生徒・津田栄一くんの帽子、福岡肇くんの学生服、上田正之くんのゲートルがある。
 廣島県立広島第二中学校一年生・折免滋くんの弁当箱、朝日俊明くんの学生服、北林哲夫くんの水筒、谷口勲くんと西本朝彦くんの学生服もある。
 八月六日の国鉄切符。
 千鶴子さんのワンピース。
 相生橋の橋桁。
 伸ちゃんの三輪車。
 みんなみんな真っ黒焦げになって陳列棚の中に静かに収まっているのだが、あの直前までは、それぞれに個性的な色彩に彩られていた筈であり、今の今だって大声で叫びたい筈なのである。
 それらの、真っ黒焦げになって、じっと堪えている資料たちを前にしては、「黒人青年」としては、居住まいを正して「深き沈黙」を守るしか無かったのである。
 私たち、この作品の鑑賞者たちの中の或る者は、その「深き沈黙」を守っている「黒人青年」の顔とダブらせて彼と肌の色を同じくしているもう一人の男性、即ち、アメリカ合衆国初の黒人大統領<バラク・オバマ氏>の精悍な顔を想い浮かべるであろう。
 あの頃は、クーラーは勿論、扇風機さえも無かった。
 広島の人々は、その熱さの中でもがき苦しみ、あの世へと旅立って行ったのであった。
 「黒人青年の深き沈黙」は、到底破られそうも無いから、かなりハイテンションになってしまっているこの評者とて、今は唇を閉じるしか無いのである。
  〔返〕 <バラク・オバマ>君の胸の中の火は今でもまだ熱く燃えているか   鳥羽省三
      <バラク・オバマ>彼の胸の灯消ゆるとも廣島の灯は永久に消えずも   々


○ 金木犀ほのかに匂う漓江の辺はるかに想う泥盆紀の海  (名古屋市) 諏訪兼位

 作中の「泥盆」に「デボン」との振り仮名在り。
 即ち、<デボン紀>とは地質時代の区分の一つであり、古生代の中頃、シルル紀と石炭紀に挟まれた時代である。
 今から約4億1600万年前から約3億6700万年前までの時期と推定されるこの時代は、魚類の種類や進化の豊かさ、加えて、発掘される魚の化石の量の多さから、<魚の時代>とも呼ばれているそうだ。
 一方、「漓江」とは、中国の<広西チワン族自治区東北部>を流れ、中国観光の目玉として知られている桂林から陽朔までの区間、即ち<漓江下り>を含む、全長四百三十キロメートル余りの川である。
 本作は、<漓江下り>の途中の珍しい眺望に重ねて、<魚の時代>と呼ばれる<デボン紀>に想いを馳せるなど、いかにも科学短歌の開拓者・諏訪兼位さんらしい傑作である。
 ところで、この頃、我が家に「金木犀」の香りが「ほのかに」漂って来るのを不思議なことと思っていたのであるが、今日の昼、久し振りに晴れ上がった秋空を見ようとして、和室の窓を開けて一望したら、我が家から数十メートル離れた竹林の下に、思いがけなくも「金木犀」の大木が、それも二本も在ったのである。
  〔返〕 金無くて漓江下りが出来ぬからせめて隣家の金木犀に酔ふ   鳥羽省三 


○ ロシア人女性二人が寿司広げ湾を愛でつつ缶ビール酌む  (舞鶴市) 吉冨憲治

 いかにも、外国暮らしの長かった、吉冨憲治さんらしい着眼点である。
 察するに、吉冨憲治さんも亦、異国の地に於いて、眼前の「ロシア人女性」たちと同じような時間を過ごしたことがあるのかも知れません。
 「女性」に「おみな」との振り仮名が施されているが、それは無用とも思われる。
 「ロシア人女性」と「寿司」とのアンバランス。
 更には、「ロシア人女性二人」が、我が国日本の食べ物たる「寿司」を「広げ」て、はるか彼方の祖国の海に続いている<舞鶴湾>を「愛でつつ」、「缶ビール」を「酌む」といった光景に、珍しさと共に親しみを感じたことが、この一首を為す動機となったのでありましょう。 
  〔返〕 行く末はメタボなるかな露国嬢 湾を愛でつつ寿司などを食ふ   鳥羽省三


○ 兜太翁憎まれ口もユーモアに変えて楽しい俳諧談義  (西海市) 前田一揆

 「兜太翁」よ、「憎まれ口」を大いにききなさい。
 特に、あの愚かしくて憎くらしい<稲畑汀子>を相手にする時には、牙を剥き出しにして、「ユーモア」などを一切混じえずに、遠慮会釈無く、徹頭徹尾、相手がコテンパーになるまで、「憎まれ口」をきいて下さい。
 それが、世の為、人の為になると信じて。
  〔返〕 虚子の孫・稲畑汀子に向かふとき金子兜太は月光仮面   鳥羽省三 
 金子兜太翁の禿頭を指して<月光仮面>と言っているのではありません。
 善を勧め悪を懲らしめる、彼の役割りを<月光仮面>と言っているのです。


○ 他人との比較やめよと諭す本鎮痛剤のようにまた読む  (和泉市) 長尾幹也

 「他人との比較やめよと諭す本鎮痛剤のようにまた読む」という作品は、<この人にして、この言有り>とも思われる一首かと思われます。
 朝日歌壇の常連中の常連たる<長尾幹也>さんにして、自作と他人の作とを比較して、心を傷める事ありや?
 「鎮痛剤のようにまた読む」が、我が心をも打つ。
  〔返〕 短歌とはかかれとばかりの一首なり長尾幹也の口語短歌よ   鳥羽省三


○ 材担ぎ足場を走る作業員遮蔽幕外し校舎現わる  (町田市) 堀江五十鈴

 この頃は、本作の作者・堀江五十鈴さんの居住地・東京都下・町田市内と同じように、我が近辺の川崎市内や横浜市内に於いても、「校舎」の外壁塗装工事が盛んに行われている。
 工事が一通り出来上がったある朝、それまで「校舎」全体を取り巻いていた「遮蔽幕」が取り外されると、其処に改装成った「校舎」がくっきりと姿を現すのである。
 「材担ぎ足場を走る作業員」という上の句の表現から推測してみるに、本作の作者は、その工事の一部始終を見て居り、完成の日を今か今かと待ち焦がれていたと思われる。
  〔返〕 明日は晴いよいよ外す遮蔽幕クリーム色の校舎くっきり   鳥羽省三


○ もぞもぞと栗から出てきた栗虫はほやほや生まれたての顔する  (諏訪市) 宮澤惠子

 「栗虫」というものは、正しく「もぞもぞ」と「栗」の中から這い「出て」来るものであり、這い出れば這い出たで、「ほやほや」と湯気みたいなものを上げているような感じの「顔」をするものである。
 「もぞもぞと栗から出てきた栗虫はほやほや生まれたての顔する」という一首全体、それを実見した者で無ければ詠めないような、現実感に溢れた作品である。
  〔返〕 盗み喰いしたる栗の香そのままに身体捩じらせ人の顔見る   鳥羽省三
 あの「栗虫」は、本当に人の顔を見るんですよ。
 「お先に頂戴して大変申し訳ありません」といったような顔をして、上目遣いに、本当に人の顔を見るんですよ。
 

○ 後継ぐは案山子だけだと老農が稲架を解きつつ溜め息をつく  (神戸市) 内藤三男 

 あの「案山子」は、イベントの時だけ動員が掛かるのであって、決して、稲作の後継者などにはなりませんよ。
 彼らは、あれで、いっぱしの芸能人気取りで居るんですから。
  〔返〕 後継ぎは案山子無用の企業にて大量生産大量販売   鳥羽省三


○ ひとたびは車道拡げし工事ありこのたびは歩道拡げる工事  (長野県) 沓掛喜久男

 行政の仕事は天下り先を作る事と、その天下り先に潤沢な予算を配分することである。
 「ひとたびは車道拡げし工事ありこのたびは歩道拡げる工事」という、名人上手・沓掛喜久男さんのこの傑作は、それを証明する、何よりの証拠かと思われる。
  〔返〕 下水工事済ませた直後の瓦斯工事同じ道端また掘り返す   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(11月1日掲載・其のⅡ)

2010年11月03日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]

○ 調教の終りし馬の頸たたく人の白息馬の白息  (大牟田市) 鹿子生憲二

 「ご苦労さまでした。今日は本当によく走ったね。特に上がり三ハロンは最高でした。この分では来週の出走が楽しみだよ」といった気持ちを込めての、「調教の終わりし馬の頸」を「たたく」のでありましょうか?
 「人の白息馬の白息」によって、人馬共に力一杯走らせ、走ったということがよく解る。
 で、「人の白息馬の白息」という<七七句>は、ここだけを単独に見ると、<馬の白息人の白息>と、その順序を逆にした方が良いように思えるのであるが、そうすれば、直前の「頸たたく」と繋がらなくなるから、やむを得ずそうしたのであろう。
  〔返〕 一走り走った後の秣好し人馬一体晴の日を待つ   鳥羽省三


○ 雨上がり電車内にはいくつもの小骨のように透き通る傘  (鴻巣市) 一戸詩帆

 「小骨のように透き通る傘」という表現に、やや難在り。
 この「傘」は透明のビニール傘と思われるが、そのビニール傘が、「雨上がり」の「電車内」に畳まれたままに置かれているのであろうが、作者の目には、その「傘」の<骨>が、何か魚の「小骨」のような感じで、透き通って見えるのでありましょうか?
 その感じは、評者にも解らないでも無い。
 しかし、「小骨のように透き通る傘」と、安直に言われてしまうと、首を傾げざるを得ないのである。
  〔返〕 雨上がり二輌座席に夕陽射し魚の骨の如き雨傘   鳥羽省三


○ わが頬に感ぜぬほどの雨なれや外灯に大き輪の生れ光る  (埼玉県) 堀口幸夫

 灯っている「外灯」の周りの大きな光の「輪」の感じから、「わが頬に感ぜぬほどの雨」が降っていることを感得したのでありましょう。
  〔返〕 外灯の光に群るるカナブンの濡れた翼の光れる小雨   鳥羽省三


○ 祇園とふ京の市電乗り継ぎて君を見舞ひし秋の広島  (柳井市) 沖原光彦

 「祇園とふ京の市電」と言われても、一瞬は何のことか解りません。
 一瞬置いた後の次の瞬間に、「かつて京都市内を走っていた『市電』が払い下げされて、今は『広島』市内を走っているのだ」と解るのである。
 「広島」市内を走っている「市電」の何処かに、「祇園」の文字が書かれていたのでありましょうか?
  〔返〕 厳島平家納めし経の在り京と広島なにかと縁      鳥羽省三
      お杓文字に紅葉饅頭牡蠣に柿茸雲まで言ふに及ばぬ     々


○ 通勤の朝に通るは啄木が勤めし小樽日報社跡  (小樽市) 吉田理恵

 たったそれだけのことでも、其処に何かの縁を感じて、本作の作者・吉田理恵さんは、それをきっかけとして短歌の道にお入りになったのかも知れません。
  〔返〕 伊藤整小林多喜二さらにまた石原裕ちゃん小樽に縁   鳥羽省三


○ 魚臭の町やうやく過ぎてのぼり来し名知らぬ岬の秋潮の色  (愛西市) 坂元二男

 「魚臭の町」という一句目、更には「名知らぬ岬の」という四句目にも<字余り>が在るが、韻律の乱れを感じることは無い。
  〔返〕 『風琴と魚の町』を思ひ出づ林芙美子の懐かしき歌   鳥羽省三


○ 巡礼の旅の杣道また一つ野仏在れば野の花供う  (富士吉田市) 萱沼勝由

 本作の舞台となった「巡礼の旅の杣道」は、<秩父>でありましょうか?
 だとすれば、「杣道」という言い方には若干の誇張は感じられるものの、その雰囲気は非常によく出ていると思います。
  〔返〕 また一つお旅所の在り水一杯口を漱ぎて次の札所へ   鳥羽省三 


○ ヘアピンのカーブミラーの足元に馬頭観音苔むして立つ  (常滑市) 中野幸治

 「ヘアピンのカーブミラー」と「馬頭観音」とのアンバランスが面白いが、こういう箇所は、現実の日本の至る所に偏在しているのである。
  〔返〕 道の辺の観音様に花供へバイクツアーの若きらは発つ   鳥羽省三



○ 読書会収支について反対も賛成もなく購読つづく  (鹿児島市) 杉村幸雄

 舌足らずが目立つ一首ではあるが、「読書会」に余念の無い人々の雰囲気はよく写し出されてはいる。
  〔返〕 総会の終わるや否や声上げて『日輪』を読む読書会員   鳥羽省三


○ とめどない君の話を聞きながら気球に乗って空を飛んでた  (岸和田市) 青木さおり

 とめどなく「空」を「飛んで」行く「気球」。
 その「気球」に「乗って」、「とめどない君の話を聞きながら」、私は「空を飛んでた」ということでありましょう。
 ふわふわとしていて安定感に欠けた感じを出すことに成功している。
  〔返〕 ごつごつと話せる君に調子呉れ石ころだらけの山道を行く   鳥羽省三 

今週の朝日歌壇から(11月1日掲載・其のⅠ)

2010年11月02日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○ 生きゆくに多くはいらぬ去りゆくにひとひらのはなあればうれしい  (高槻市) 門田照子

 本作の作者・門田照子さんは御年何歳におなりなのでしょうか?
 と申しても、評者とて人並みの常識を弁えた人間であるから、それほど若年とも思われない女性・門田照子さんのご年齢を無理矢理知りたいという訳ではございません。
 要は、「生きゆくに多くはいらぬ」という一見諦観めいたご意見も、「去りゆくにひとひらのはなあればうれしい」というささやかな願望も、ある程度のご年齢に到達なさった方が、ご自身の半生を振り返ってみた時に、初めて口にすることの出来るご感慨であろうと思ったからの質問なのである。
 先週の金曜日の夜に、大阪に単身赴任中の長男が我が家を訪れ、久し振りにお酒を飲み交わしたのである。
 その際、我が妻・翔子が長男に向かって、「先日の朝日新聞の記事によると、サラリーマン世帯に於いては、年収六百数十万円を分岐点として、それ以後は幸福度が減少して行きこそすれ、増大することはあり得ない、ということであった。ところで、お前の家の幸福度はどうなっているのだろうか?」などと質問した。
 すると長男は、その質問に直接返答することこそしなかったのであるが、一呼吸置いてから、「つい先日、長女の雪菜に『今年のクリスマスにサンタさんから何をプレゼントして貰いたいか』と電話で訊ねたら、雪菜はさも面倒臭そうな声で、『居りもしないサンタさんからプレゼントして貰いたいものなんて何もありません。私はお家で蝦蟇蛙を飼いたいと思っているから、もし出来たら、サンタさんになり代わって、パパが大阪の淀川から蝦蟇蛙を捕まえて来て欲しい!』なんてことを言うんだ。まだ三年生だというのに、家の中で蝦蟇蛙を買いたいなどとふざけたことを言う。最近の小学生は、一体何を考えているんだろうか?」などと、まるで溜息を吐くようにして漏らしたことであった。
 我が孫娘の雪菜は、未だ小学三年生なのに、本作の作者・門田照子さんとそれ程変わらないような<諦観的人生観>に到達しているのでありましょうか?
 祖父たる評者としては、嬉しいような侘しいような哀しいような、何か複雑な気持ちがする。
  〔返〕 季節柄蝦蟇を飼うのは少し無理茶釜磨きでもしたらどうかな   鳥羽省三
 昨日また、妻の妹宅の愛犬<クロちゃん>が<わんちゃん美容院>にお出掛けになったそうだ。
 此方からは何の連絡もしなくても、四十日に一回は必ず、玄関先にお迎えの自動車が横付けになるのだそうだ。
 その費用は、一体いかばかりか?


○ おふくろの味になじみし日は遠く妻の味すでにおふくろの味  (八王子市) 青木一秋

 聴きたくないことを聴いてしまった。
 今晩は耳の中を洗浄しなければならない。
 一昔前のテレビドラマなどに、新婚早々の自分の妻を自分の母親の前に連れて行って、無理矢理頭を下げさせ、「お母さん、この<馬鹿嫁>に<おふくろの味>を仕込んでやって下さい。こいつったら、お味噌汁も碌々作れないんですよ」などとのたまう<馬鹿夫>が登場したが、本作の作者・青木一秋さんは、その残党でありましょうか?
  〔返〕 どうせなら未婚のままで居たらどうおふくろの味いついつまでも   鳥羽省三


○ 真夜中に子宮の海を泳ぎたる子に「もうねんね」諭す喜び  (東京都) 内藤麻夕子

 ここの辺りまでは、マザコン<高野公彦選>の入選作らしく、いかにも嫌みったらしい作品ばかりが並んでいる。
 内藤麻夕子さんよ。
 未だ繭篭り状態のお腹の中の子に「『もうねんね』と『諭す』」も何も無いでしょう。
 こんな作品ばっかりに目を奪われているから、高野公彦氏は、<山寺の五大堂>を<松島の五大堂>と間違えたりするのである。
 今や、実力以上の位置に押し上げられてしまった高野公彦氏であるが、彼は自分の無能振りを何処まで曝せば、気が済むというのだろうか?
 <力蒟蒻>でもばっちり食べて、もっともっとお腹に力を入れて選集に当たりなさい。
  〔返〕 真夜中にバイク噴かして町内を騒がす輩を諭す苦しみ   鳥羽省三


○ 阿蘇谷の野より山より水気立ち昼はま白き秋雲となる  (熊本市) 高添美津子

 私が横浜で教師生活をしていた頃、学区内に<深谷台>という地名が在って、その地区から通学して来る女子生徒を、「君の住んでいる町内は<深谷台>という地名であるが、一体、其処は深い谷の底に位置しているのか?それとも高台になっているのか?そんなわけの解らない所から通って来るから、君はいつもいつも遅刻してばかりいるのだ。いっそのこと、今の家を売って、何処か別の所に引っ越したらどうだ!」などとからかったことがあった。
 それから間も無く、彼女らは校門を巣立って行ったのであるが、卒業後一年程経ってから、彼女は同級生仲間と私の家に遊びに来たのであるが、その際の彼女の挨拶の言葉が、「お蔭さまで私の家は、あの<深谷台>から、横浜の中心に近いところに引越しましたが、でも、其処の地名は<三ツ沢台>なんですよ!だから、せっかく卒業したというのに、またまた先生の頭を悩ませることになりました。御免なさい」というものであった。
 作中の「阿蘇谷」は、地名から察すると、其処は峡谷であって、「野」や「山」が在ろう筈が無いと思われるのであるが、いかがなものでありましょうか?
 本作の作者・高添美津子さんには、真にお気の毒ではありますが、詠い出しの一句が「阿蘇谷の」となっているから、それに続いて「野より山より水気立ち」とするのが、何か馬鹿げた感じがするのである。
 地名を折り込んだ歌を詠む場合は、よくよく注意しなければならない。
 本作を評して、選者の高野公彦氏は「美しい自然詠である。水気はスイキと読みたい」などと仰るが、そんな精一杯の評言は泣かせる。
  〔返〕 木曽谷に飼ひたる駿馬駆り立てて義仲一党上洛すとふ   鳥羽省三


○ わがこゑも聴こえぬだろうと思へども死にゆく君に子守歌唄ふ  (仙台市) 田中勢津

 「こゑ」「思へ」「唄ふ」などとし、<古典仮名遣ひ>及び<文語短歌>への志向が認められる。
 ならば、二句目の「聴こえぬだろうと」は<聴こえざらんと>にするべきではないでしょうか?
  〔返〕 子守唄聴いて死にゆく君ならばいっそ産まずもあらましものを   鳥羽省三 


○ 土地争ひ続く角地の角の尖いま彼岸花競ひ咲き立つ  (相模原市) 角田 出

 その「土地争ひ」が「角地の角の尖」の所有権を巡っての「土地争ひ」ならば、それは個人と行政側との「土地争ひ」と理解した方が自然かと思われる。
 更に申せば、その「土地争ひ」が「続く」「角地の角の尖」に、「いま彼岸花」が「競ひ咲き立つ」のであるから、察するに、その土地は住宅やビルなどの建築には相応しく無い、利用価値の低い土地かと思われる。
 坪単価十万円にも満たないその土地の所有権を巡って、地主と称する者と行政とが争うとは、これ亦、見苦しい「土地争ひ」ではある。
 いっそのこと、所有権を主張している者と行政とが話し合いの場を設けて、徹底的に話し合い、妥当な価格で行政側が買収し、交差点を拡張することにしたらどうでしょうか?
  〔返〕 めでたくも土地争いの解決し幅十メートルの四つ角となる   鳥羽省三

  

○ 公害の象徴なりし四日市曼珠沙華咲く川美しき  (高松市) 菰渕 昭

 今から四十年前、私は友人の運転する自動車に乗って、「四日市」市内を通り抜けたことがありました。
 その時は、深夜だというのに四日市の空は真っ赤に焼け焦げていて、私は<此の世の地獄>を見てしまったような気持ちで、奈良方面に向かいました。
 あの頃は、四日市に限らず、日本中の何処の都市の空気も澱んでいました。
 <四日市喘息>や<川崎病>などという病名が一般化したのもあの頃でありましょうか?
  〔返〕 公害の街と言われた川崎の街路樹美(は)しと佇みて居り   鳥羽省三


○ 優しきひと神は選みて障害児授け給ふと医師は語れり  (東大阪市) 大川純子

 と言うよりも、「神」によって選ばれて、「障害児」の親の役を引き受けてしまった人々は、ひとりでに「優しきひと」にならざるを得なかったのでありましょう。
  〔返〕 選ばれて優しき役を引き受けつ神のみが知る我の苦しみ   鳥羽省三


○ とくとくと備前の徳利音のよしままかり酢漬けありてなほよし  (岡山市) 光畑勝弘

 「音のよし」としたところが宜しいし、「ままかり酢漬けありてなほよし」としたところが更に宜しい。
  〔返〕 とくとくと徳利傾けお神酒注ぐ駆け付け一升まず召し上がれ   鳥羽省三


○ 熱が出て一日ずーとお布団でモゾモゾたまにあめちゃん食べて  (富山市) 松田わこ

 「あめちゃん」こそ「食べ」なかったのですが、今日の評者は、「熱が出て一日ずーとお布団でモゾモゾ」して居りました。
 夕刻から少しずつ快方に向かいましたので、今、午後八時三十五分、こうしてパソコンのキーを叩いているのです。
  〔返〕 姉さんの制服出来て来ましたか? 今度は姉妹揃って入選   鳥羽省三

『なみの亜子歌集・ばんどり』鑑賞(其の1)

2010年11月01日 | 諸歌集鑑賞
 たまたま立ち寄った<ブックオフ>の<105円棚>に目を遣ったところ、私がかねてより渇望していた、『なみの亜子歌集・ばんどり』が埃を被って居りました。
 そこで私は、「これは、<山柿の門>の門下生たる私への、短歌の神様からの贈り物では無いか」とも思い奉り、早速、代金<105円也>を支払って、アルバイト女店員の「お売りになられる本やCDがございましたら、どうぞお持ち下さい」という<決まり文句>を耳にするもそこそこに、店を出ました。
 そんなこんなで、今回、「『なみの亜子歌集・ばんどり』鑑賞」という、物々しいタイトルの新シリーズを、拙いマイブログ「臆病なビーズ刺繍」に掲載させていただくこととは相成りました。
 と、申しても、私は、著者<なみの亜子>さんと所属結社を共にする者でもございませんし、彼女に関する、一切の伝記的知識を所有する者でもございません。
 彼女に関する知識と言えば、今回、こうした奇縁を通して、この一書を読み得たことと、ごくたまに目にする、総合誌上の彼女の作品以外には、何一つとしてありません。
 しかし、著者との一切の面識を持っていない私が、目前に置かれている一書と真剣に対した時には、その紙背から、必ずや<何か>が立ち上がって来るに違いない、と私は信じて居ります。
 そして、その<何か>とは、その著作の御著者の方と日常生活を共にしていたり、所属結社を共にしていたりしている方々の目前には、決して立ち上がって来る筈の無い<何か>であるに違いない、と私は堅く信じております。
 負け惜しみを申し上げるようですが、今回私は、その事だけを唯一の頼みとして、いや、唯一の強みともして、この新シリーズを立ち上げることと致しました。
 著者の方と一面識も無く、その伝記的資料の一切を所有しないこの私が、<なみの亜子さん>の世界の何処まで、泥足を踏み入れることが出来ましょうか?
 私は、短歌の神様のお導きによって、たまたま手にすることが出来た、この一冊の歌集を唯一の手掛かりとして、この崇高な一書を読ませていただきたく存じ上げます。
 
  〔注〕 それぞれの作品の頭の番号は、作品鑑賞の便宜上、鳥羽省三が施しました。何卒、その旨、宜しくご承知置き下さい。



Ⅰ 二〇〇四年六月~(西吉野)

         グミの実

①   グミの実の落ちる音する国道を夜あけ間際にあゆめる誰か

 今回、この文章を草するに当たって、たまたま私宅を訪れていた私の次男から、「ウインドゥズセブンは性能が素晴らしいから、それを以てすれば、著書の奥付けに書かれている住所を手掛かりとして、著者の生活半径を航空写真で覗くことだって出来るのだよ。もしかしたら、<なみの亜子さん>が蜂に刺されて泣きべそをかいているお顔だって見られるかも知れない。何だったら、新しいパソコンを買ってやりましょうか」との、大変あり難い申し出がありましたが、私はそれを堅く辞退致しました。
 何故ならば、その作品の字句だけを唯一の手掛かりにして、その作品世界に迫るというのが、今回の私の無謀なる企ての全てであったからなのである。
 さて、上の句に「グミの実の落ちる音する」とある。
 「グミの実」と言えば、赤く熟していて、その表皮の随所に茶色の小さな点々があり、その実自体の大きさが赤ちゃんの小指をもう少し太くしたような、甘くてちょっぴり渋いあの「実」である。
 最近はそういうことも絶えてしまいましたが、食べ物に不自由していた私たちの子供の頃には、あの「実」を五十粒ほども、朴の木のみずみずしい葉っぱで作ったお舟に入れて、北東北の田舎町の私の家の近所の八百屋でも売っていました。
 あのお舟に入った「グミの実」は、一体どれくらいの値段で売られていたものなのか、今となっては、それもすっかり忘れてしまいました。
 その「グミ」の木が、川崎市での三年間の生活を切り上げて帰って行った、奈良県五條市西川野町119番地の、著者宅の庭にも生えていて、その「実」がトタン屋根かなんかに落下する「音」が、「夜あけ間際」の静寂の中に響くのである。
 その小さく侘しい「音」を耳にしながら、彼女は「ああ、グミの実が転がる音がする。私は、あの川崎での三年間の暮らしを終えて、今確かに此処に、この西吉野の山奥の家に帰って来ているのである。この音こそははまさしく故郷の音なのだ」と切なく思っているのである。
 と、その時、家の前の「国道」を、「誰か」が「あゆめる」気配がする。
 彼女は、その「誰か」の気配に心当たりがあるような、無いような気がしてならないのであるが、それでもまだ身動き一つもしないで、じっと寝床の中に居て、夜の明ける気配を全身で感じているのである。
 故郷・西吉野の家の象徴たる「グミの実」の落下する音に、その家の前を通って行く村人の気配を配していて、この優れた歌集の巻頭を飾るに相応しく、間然するところの無い秀作である。
  〔返〕 朴の葉の舟に盛られたグミの実の赤きが旨しふるさとの市   鳥羽省三


②   トンネルに沿いつつ暗む林道をゆきてかえらぬ車のありき

 「車のありき」の「き」の存在に因って、作中の出来事が過去の出来事であったことが解る。 
 その出来事は、或いは彼女が川崎に転居する前の出来事であったかも知れないし、もっと大胆に推測すれば、彼女が未だ幼かった頃の、遠い遠いある日の伝説的な出来事であったかとも思われる。
 彼女の家の前を通る国道のずっと先に「トンネル」が在り、その「トンネルに沿いつつ林道」が在ったのであるが、その「トンネルに沿いつつ暗む林道」を通って行ったきり、二度と故郷に「かえらぬ車」が在った。
 その「車」を運転者は愛妻に先立たれた村の中年男で、その助手台に乗っていたのは、その中年男の娘であり、作者の幼馴染でもあった少女であった、などとも、評者たる私は、勝手に想像することも出来る。
 皆まで言い果せず、鑑賞者の容喙を可能にする余地を残したところが、この作品の佳作たる所以である。
 「言い果せて、何かは在る」とは、何方かからの口から発せられた名言である。
 物語的な含みを持たせて、「グミの実」の世界は漸く動き始めたのである。
  〔返〕 トンネルを抜けても暗く細い道狐狸も迷へる道か   鳥羽省三


③   坂巻にいたる道路はけもの道しかばねさらす獣はおらねど

 作者<あみの亜子さん>の居住地は、奈良県五條市西吉野町宗川野(むねがわの)であり、2005年9月25日に五条市に編入されるまでは奈良県吉野郡西吉野村宗川野と呼ばれていた。
 其処から同じ村の「坂巻(阪巻)にいたる道路」は、いわゆる「けもの道」であり、未だに未舗装の山道なのであろう。
 一首の意は「『坂巻にいたる道路』は、現在は『しかばね』を『さらす獣はおらねど』、その昔の『けもの道』である」と、ただ単に場面の説明をしているかのようにも思えるが、川崎帰りの作者にしてみれば、ふるさとの自然を紹介すると共に、その自然の中で生きて行かなければならない、自分自身の覚悟の程と諦観をも述べているのである。
  〔返〕 けものみち逆巻越えの曲がり道汝と我とのいづれ行く道   鳥羽省三
 

④   山上に集落あればたまさかにおばあを積みて降りくる軽トラ

 「山上」の「山」とは、その天辺から、作者の居住集落である<宗川野>を見下ろすことの出来る「山」を指すのであろうが、地元の人間でない評者としては、それを特定することは出来ないし、特定出来ないことは、必ずしもこの作品の解釈や鑑賞に不利益を与えるものでは無い、とも思われる。
 とにもかくにも、「旅人などの目からすれば、この<宗川野>が人里の行き止まりであるように思われるかも知れないが、この『集落』を見下ろす『山上』に、もう一つの『集落』が在るから、ごく『たまさかに』『おばあ』を積んで、山坂を駆け『降り』て来る『軽トラ』がある」というのが、この一首の意であろう。
 年輩の女性を称して「おばあ」と呼ぶ。
 この呼び方は、此処での生活に少しは慣れた作者自身の老女に対する認識であると同時に、この地区の人々の認識でもありましょう。
 「おばあ」という、この語を解説しようとする時、多くの人々は、「『おばあ』という呼び方は、老女を蔑んでの呼び方では無く、むしろ、親しみや尊敬の念を含んでの呼び方」である、などと言って韜晦しようとするに違いないが、そうした解説は必ずしも正しい解説とは思われない。
 何故ならば、ごく一般の成人女性が、老女を指して「おばあ」と言う時は、自分は、年齢的にも境遇的にも「おばあ」と呼ばれる状態になっていないし、また、なりたくも無い、という手前勝手で思い上がった認識が在るからである。
 本作の作者とて、ごく一般の成人女性の範囲に含まれていると思われるから、本作中で、「おばあを積みて降りくる軽トラ」と詠んだ時の彼女の胸中には、それと大差の無い認識があったに違いない。
 かと言って、彼女が、老女を指して「おばあ」と呼ぶ時の彼女の胸中に、そう呼ばれている老女に対する親しみの情が、少しも無かった、などと言いたいのでは無い。





⑤   速歩してあなたあなたと息を継ぐときおり蛇に横切られしが

⑥   泣きたくて泣くのでなくてグミの実の赤きに腕を伸ばせる刹那

⑦   耳たぶの蔓のようにもそよぐ日の 気を遣い過ぎると云われてさみし