臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(11月8日掲載・其のⅠ)

2010年11月08日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]
○ 人にみな会いたい人いて地底より出で来たる人しかと抱きあう  (山形市) 渋谷悦子

 皆様お馴染みの、ごく最近世界中の人々を<ハラハラ、ドキドキ>させ、心配させて注目の的となった、あの地球の裏側の国・チリの鉱山の落盤事故の六十九日ぶり<めでたし、めでたし>の結末に取材した作品であるから、事故そのものについては触れる必要が無いと思われる。
 私が注目するのは、詠い出しの二句、「人にみな会いたい人いて」である。
 この二句の表現について、本作の作者・渋谷悦子さんは、どんな思いを込められたのでありましょうか。
 渋谷悦子さんが未婚かつそれ相当のご年齢の女性だったりする場合なども想定されて、私はこの一首を興味深く鑑賞させていただきました。
  〔返〕 わたしには逢いたくも無い人が居て昨日のバスで出会った教師   鳥羽省三


○ 「もうすぐだ匂いがするぞ」と叫ばれて生身の人間地下より生るる  (鎌ヶ谷市) 正治伸子

 「『もうすぐだ匂いがするぞ』と叫ばれて」と上の句にあり、下の句には「生身の人間地下より生るる」とある。
 人間の生死に関わる重大事件についてのことであるから、大変不謹慎な言い方とは思われますが、上の句の語「匂い」および下の句の語「生身」に、極めて大きな現実感が感じられる。
 生き埋めになってから六十九日ぶりの死の世界よりの生還。
 その「生身」の「匂い」は、一体どんな「匂い」であったのでありましょうか?
  〔返〕 遠慮無く申せばとても耐えられず鼻も紅葉も枯れる匂いか   鳥羽省三


○ 宵宮のなれ鮨つくる集会所どよめき上がる救出のたび  (吹田市) 小林 昇

 あの救出劇が行われた同日の同時間に、本作の作者・小林昇さんが所属している町内会の「集会所」では、近々に行われる「宵宮」の準備の為に「なれ鮨」を作っていたと思われる。
 幸いなことに、小林昇さんの居住地が琵琶湖畔の村ではなく、大阪の吹田市であったから、同じ「なれ鮨」でも、あの鼻の曲がるような匂いを放つ<鮒のなれ鮨>では無く、季節柄、<秋刀魚のなれ鮨>か何かであったことでありましょう。
 でも、何の「なれ鮨」であれ、「救出のたび」ごとに「あがる」「どよめき」と共に、調理中の主婦の口から吐き出される<唾>や歯の間に挟まっていた食べ物の破片などの為に、その「なれ鮨」は熟成が極度に速まり、「宵宮」の日には余りにも酸っぱく、鎮守様以外には何方も食べなくなる恐れがあります。
  〔返〕 酢の匂い嗅ぎつつぞ見る救出劇あがる歓声飛び散るツバキ   鳥羽省三
 私は、他人の家の者の作った食物や、町内の集会所などで大勢の主婦たちが作った食べ物などは、とても口にする気にはなりません。
 そのくせ、デパートなどの試食品には平気で手を出すのですから、思えば不思議なことです。


○ カメ吉が6年2組のベランダにもどって秋がのんびり進む  (富山市) 松田梨子

 この頃は亀の飼育が盛んである。
 小学校の頃に、私も亀を飼ったことがあるからよく解るが、亀の飼育には、満たされない人間に与える<癒やし効果>が在るものと思われる。
 それにしても、モソモソと逃亡していた「カメ吉」が「6年2組のベランダ」に、モソモソ「もどって」来て「秋がのんびり進む」とは、小学生の作にしては余りにも出来過ぎである。
 この際、評者は、富山市在住の<松田梨子さん・わこさん姉妹>に<出来過ぎ姉妹>という尊称を奉りたい。
 ところで、カメの名前が<カメ彦>や<カメ宏>や<カメ綱>や<カメ介>では無くて、「カメ吉」で無ければならない理由は、一体全体どこの辺りに在るのでしょうか?
 私の従兄に、<鶴吉>という男が居るが、彼にこの作品を示したら、至って短気な彼のことだから、「この始末はどうして呉れる梨子ちゃん」と、自慢の禿げ頭から湯気を上げて<松田さんち>に怒鳴り込んで行くに違いない。
  〔返〕 <カメ宏>を研究室に飼う学者癒やし効果のどれ程なるか?  


○ 半分は寝ながら写すドイツ語の途中に混じる羽虫の軌跡  (鴻巣市) 一戸詩帆

 「半分は寝ながら」「ドイツ語」のノートを執っている最中に「羽虫」が飛んで来て、その羽音に驚いて筆跡が乱れたのでありましょうか?
 佐佐木幸綱選にも載っているが、それにしても一戸詩帆さんは発想も宜しく、表現もなかなか巧みである。
 その巧みさが、この作者の陥穽にならなければ良いのであるが。
  〔返〕 この稿の途中で少し眠くなり気分を変えに買い物に行く   鳥羽省三


○ この坂をのぼりきれたらこの恋はかなうと信じペダル踏みゆく  (大阪市) 則頭美紗子

 買い物先から帰って来たので、執筆を再開させていただきます。 
 ところで、「この坂をのぼりきれたら」とか、<今月を過ごしきれたら>とか思いつつ、夢みたいな何かの実現を密かに期待する場合は大いにあり得ると思う。
 しかし、本作の場合は、その期待するものが、「かなう」筈も無い「恋」であるから、「ペダル」を踏む足もさぞかし重いことでありましょう。
 「今どきの男性は計算高くて、自転車を踏んで太くなった足だけのオーナーの女性には鼻も引っ掛けない」ということを、本作の作者・則頭美紗子さんはご存じ無いのでありましょうか?
  〔返〕 この坂を登り切れたら見えるのは波頭であり恋人で無し   鳥羽省三


○ もう何も狩らずともよきライオンの歯の標本が静かに並ぶ  (和泉市) 星田美紀

 「もう何も狩らずともよき」となっているが、これを「もう何も狩らずともよし」と言い切り、今は「歯」ばかりの「標本」となってしまい「静かに」並んでいるだけの存在となってしまった「ライオン」に呼び掛ける形とした方が良いかどうかは、微妙なところである。
 本作の作者・星田美紀さんと言い一戸詩帆さんと言い、朝日歌壇の常連となっている女性歌人は巧みである。
 だが、その巧みさの余りに、一節太郎になってしまう危険性が無しともせず。
 真に恐ろしいのは、慣れが原因となっての自己模倣である。
  〔返〕 もう何も書かずともよき古希老が夜の夜中に起きてもの書く   鳥羽省三


○ 言いかけて口を閉ざすは卑怯だと孫の言い分聴きつつ頷く  (いわき市) 伊藤保次

 やや文意不明である。
 「言いかけて口を閉ざ」そうとしたのは、作者ご自身なのか「孫」なのか?
 恐らくは作者ご自身であろうが、それならば、この一首の文意は、「勉強嫌いな『孫』に注意しようとして、ついうっかり『口』に出してしまったが、『孫』には『孫』なりの言い分があろうかと思って、『口』を『閉ざ』してしまった。でも、一旦『口』に出して『言いかけて』しまったのに、それっきり『口を閉ざす』のは『卑怯だと』思って、先ずは『孫の言い分』を聴いてから注意しようと思ったのであるが、『孫の言い分』を『聴きつつ頷く』はめになってしまった」といったことになりましょうか?
 しかし、一般の読者に、ここまでの事を理解させるのはいささか無理ではないでしょうか?
  〔返〕 孫は孫一人前の口を利くそれに感心していては駄目   鳥羽省三


○ 触れるたび白萩散れり散るたびに河野裕子の無念を思ふ  (成田市) 神郡一成

 「河野裕子」さんへの追悼歌の半ば以上は、表現はそれぞれに異なっていても、結局は「河野裕子の無念を思ふ」といった内容である。
 だとすれば、亡き人の夫たる者は、亡き彼女をして「残念無念」と言わしむるような、力不足、未だ未成熟の歌人かと誤解される恐れあり。
 それを覚悟の上で、この作品を入選作とされた選者・永田和宏氏には「ご立派」と申し上げて賞賛するしか無い。
  〔返〕 ご亭主はもう一人立ち出来ますよ河野裕子よ成仏なされ   鳥羽省三 


○ 六月は新聞濡れて届く月近藤芳美亡きをさびしむ  (竹原市) 岡元稔元

 私は寡聞にして、「売れ残る夕刊の上石置けり雨の匂いの立つ宵にして」(『埃吹く街』昭和23年刊より)以外には、「近藤芳美」氏と「新聞」が「濡れて」いることとの関わりを示す作品は存じ上げません。
  〔返〕 菅くらく絡む中国逃れ得ずひとつ覚えの薬害エイズ   鳥羽省三