臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『なみの亜子歌集・ばんどり』鑑賞(其の1)

2010年11月01日 | 諸歌集鑑賞
 たまたま立ち寄った<ブックオフ>の<105円棚>に目を遣ったところ、私がかねてより渇望していた、『なみの亜子歌集・ばんどり』が埃を被って居りました。
 そこで私は、「これは、<山柿の門>の門下生たる私への、短歌の神様からの贈り物では無いか」とも思い奉り、早速、代金<105円也>を支払って、アルバイト女店員の「お売りになられる本やCDがございましたら、どうぞお持ち下さい」という<決まり文句>を耳にするもそこそこに、店を出ました。
 そんなこんなで、今回、「『なみの亜子歌集・ばんどり』鑑賞」という、物々しいタイトルの新シリーズを、拙いマイブログ「臆病なビーズ刺繍」に掲載させていただくこととは相成りました。
 と、申しても、私は、著者<なみの亜子>さんと所属結社を共にする者でもございませんし、彼女に関する、一切の伝記的知識を所有する者でもございません。
 彼女に関する知識と言えば、今回、こうした奇縁を通して、この一書を読み得たことと、ごくたまに目にする、総合誌上の彼女の作品以外には、何一つとしてありません。
 しかし、著者との一切の面識を持っていない私が、目前に置かれている一書と真剣に対した時には、その紙背から、必ずや<何か>が立ち上がって来るに違いない、と私は信じて居ります。
 そして、その<何か>とは、その著作の御著者の方と日常生活を共にしていたり、所属結社を共にしていたりしている方々の目前には、決して立ち上がって来る筈の無い<何か>であるに違いない、と私は堅く信じております。
 負け惜しみを申し上げるようですが、今回私は、その事だけを唯一の頼みとして、いや、唯一の強みともして、この新シリーズを立ち上げることと致しました。
 著者の方と一面識も無く、その伝記的資料の一切を所有しないこの私が、<なみの亜子さん>の世界の何処まで、泥足を踏み入れることが出来ましょうか?
 私は、短歌の神様のお導きによって、たまたま手にすることが出来た、この一冊の歌集を唯一の手掛かりとして、この崇高な一書を読ませていただきたく存じ上げます。
 
  〔注〕 それぞれの作品の頭の番号は、作品鑑賞の便宜上、鳥羽省三が施しました。何卒、その旨、宜しくご承知置き下さい。



Ⅰ 二〇〇四年六月~(西吉野)

         グミの実

①   グミの実の落ちる音する国道を夜あけ間際にあゆめる誰か

 今回、この文章を草するに当たって、たまたま私宅を訪れていた私の次男から、「ウインドゥズセブンは性能が素晴らしいから、それを以てすれば、著書の奥付けに書かれている住所を手掛かりとして、著者の生活半径を航空写真で覗くことだって出来るのだよ。もしかしたら、<なみの亜子さん>が蜂に刺されて泣きべそをかいているお顔だって見られるかも知れない。何だったら、新しいパソコンを買ってやりましょうか」との、大変あり難い申し出がありましたが、私はそれを堅く辞退致しました。
 何故ならば、その作品の字句だけを唯一の手掛かりにして、その作品世界に迫るというのが、今回の私の無謀なる企ての全てであったからなのである。
 さて、上の句に「グミの実の落ちる音する」とある。
 「グミの実」と言えば、赤く熟していて、その表皮の随所に茶色の小さな点々があり、その実自体の大きさが赤ちゃんの小指をもう少し太くしたような、甘くてちょっぴり渋いあの「実」である。
 最近はそういうことも絶えてしまいましたが、食べ物に不自由していた私たちの子供の頃には、あの「実」を五十粒ほども、朴の木のみずみずしい葉っぱで作ったお舟に入れて、北東北の田舎町の私の家の近所の八百屋でも売っていました。
 あのお舟に入った「グミの実」は、一体どれくらいの値段で売られていたものなのか、今となっては、それもすっかり忘れてしまいました。
 その「グミ」の木が、川崎市での三年間の生活を切り上げて帰って行った、奈良県五條市西川野町119番地の、著者宅の庭にも生えていて、その「実」がトタン屋根かなんかに落下する「音」が、「夜あけ間際」の静寂の中に響くのである。
 その小さく侘しい「音」を耳にしながら、彼女は「ああ、グミの実が転がる音がする。私は、あの川崎での三年間の暮らしを終えて、今確かに此処に、この西吉野の山奥の家に帰って来ているのである。この音こそははまさしく故郷の音なのだ」と切なく思っているのである。
 と、その時、家の前の「国道」を、「誰か」が「あゆめる」気配がする。
 彼女は、その「誰か」の気配に心当たりがあるような、無いような気がしてならないのであるが、それでもまだ身動き一つもしないで、じっと寝床の中に居て、夜の明ける気配を全身で感じているのである。
 故郷・西吉野の家の象徴たる「グミの実」の落下する音に、その家の前を通って行く村人の気配を配していて、この優れた歌集の巻頭を飾るに相応しく、間然するところの無い秀作である。
  〔返〕 朴の葉の舟に盛られたグミの実の赤きが旨しふるさとの市   鳥羽省三


②   トンネルに沿いつつ暗む林道をゆきてかえらぬ車のありき

 「車のありき」の「き」の存在に因って、作中の出来事が過去の出来事であったことが解る。 
 その出来事は、或いは彼女が川崎に転居する前の出来事であったかも知れないし、もっと大胆に推測すれば、彼女が未だ幼かった頃の、遠い遠いある日の伝説的な出来事であったかとも思われる。
 彼女の家の前を通る国道のずっと先に「トンネル」が在り、その「トンネルに沿いつつ林道」が在ったのであるが、その「トンネルに沿いつつ暗む林道」を通って行ったきり、二度と故郷に「かえらぬ車」が在った。
 その「車」を運転者は愛妻に先立たれた村の中年男で、その助手台に乗っていたのは、その中年男の娘であり、作者の幼馴染でもあった少女であった、などとも、評者たる私は、勝手に想像することも出来る。
 皆まで言い果せず、鑑賞者の容喙を可能にする余地を残したところが、この作品の佳作たる所以である。
 「言い果せて、何かは在る」とは、何方かからの口から発せられた名言である。
 物語的な含みを持たせて、「グミの実」の世界は漸く動き始めたのである。
  〔返〕 トンネルを抜けても暗く細い道狐狸も迷へる道か   鳥羽省三


③   坂巻にいたる道路はけもの道しかばねさらす獣はおらねど

 作者<あみの亜子さん>の居住地は、奈良県五條市西吉野町宗川野(むねがわの)であり、2005年9月25日に五条市に編入されるまでは奈良県吉野郡西吉野村宗川野と呼ばれていた。
 其処から同じ村の「坂巻(阪巻)にいたる道路」は、いわゆる「けもの道」であり、未だに未舗装の山道なのであろう。
 一首の意は「『坂巻にいたる道路』は、現在は『しかばね』を『さらす獣はおらねど』、その昔の『けもの道』である」と、ただ単に場面の説明をしているかのようにも思えるが、川崎帰りの作者にしてみれば、ふるさとの自然を紹介すると共に、その自然の中で生きて行かなければならない、自分自身の覚悟の程と諦観をも述べているのである。
  〔返〕 けものみち逆巻越えの曲がり道汝と我とのいづれ行く道   鳥羽省三
 

④   山上に集落あればたまさかにおばあを積みて降りくる軽トラ

 「山上」の「山」とは、その天辺から、作者の居住集落である<宗川野>を見下ろすことの出来る「山」を指すのであろうが、地元の人間でない評者としては、それを特定することは出来ないし、特定出来ないことは、必ずしもこの作品の解釈や鑑賞に不利益を与えるものでは無い、とも思われる。
 とにもかくにも、「旅人などの目からすれば、この<宗川野>が人里の行き止まりであるように思われるかも知れないが、この『集落』を見下ろす『山上』に、もう一つの『集落』が在るから、ごく『たまさかに』『おばあ』を積んで、山坂を駆け『降り』て来る『軽トラ』がある」というのが、この一首の意であろう。
 年輩の女性を称して「おばあ」と呼ぶ。
 この呼び方は、此処での生活に少しは慣れた作者自身の老女に対する認識であると同時に、この地区の人々の認識でもありましょう。
 「おばあ」という、この語を解説しようとする時、多くの人々は、「『おばあ』という呼び方は、老女を蔑んでの呼び方では無く、むしろ、親しみや尊敬の念を含んでの呼び方」である、などと言って韜晦しようとするに違いないが、そうした解説は必ずしも正しい解説とは思われない。
 何故ならば、ごく一般の成人女性が、老女を指して「おばあ」と言う時は、自分は、年齢的にも境遇的にも「おばあ」と呼ばれる状態になっていないし、また、なりたくも無い、という手前勝手で思い上がった認識が在るからである。
 本作の作者とて、ごく一般の成人女性の範囲に含まれていると思われるから、本作中で、「おばあを積みて降りくる軽トラ」と詠んだ時の彼女の胸中には、それと大差の無い認識があったに違いない。
 かと言って、彼女が、老女を指して「おばあ」と呼ぶ時の彼女の胸中に、そう呼ばれている老女に対する親しみの情が、少しも無かった、などと言いたいのでは無い。





⑤   速歩してあなたあなたと息を継ぐときおり蛇に横切られしが

⑥   泣きたくて泣くのでなくてグミの実の赤きに腕を伸ばせる刹那

⑦   耳たぶの蔓のようにもそよぐ日の 気を遣い過ぎると云われてさみし