臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(11月8日掲載・其のⅢ)

2010年11月13日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]
○ 待ち並ぶ列の乱れて渦の中一目ナダルを見んと背伸びす  (安城市) 藤井啓子

 作中の「ナダル」とは、先般来日したテニスの世界ナンバーワンプレーヤーとか?
 その彼を「一目」「見ん」とて「待ち並ぶ」人の「列の乱れて」、その「渦の中」に在った本作の作者・藤井啓子さんも亦、世間並みの物好きであるから、「一目」「見んと背伸びす」るのである。
 語句の運びがなかなか効率的である。
  〔返〕 待ち並ぶ列の乱れてその隙に開店初日の<ブックオフ>に入る   鳥羽省三
 という訳で、本日の収穫は「セレクション歌人・高橋みすず集」、「同・佐々木六戈集」などの五冊、締めて五百十五円でした。


○ 田舎に住み「田舎暮らし」の本を買ふ夫の田舎は山のあなたに  (埼玉県) 小林淳子

 そういうことはよくありますよ。
 私も「田舎暮らし」をしていた当時は、「本を買ふ」まではしませんでしたが、図書館から借り出して来て、「田舎暮らし」を題材にした「本」をよく読んでいたものでした。
 「田舎」に住んで居ながら、もっともっと奥の方の「田舎」で暮らすので無ければ、本当の「田舎暮らし」をしているのでは無い、と感じていたからなのでしょうか?
 故に、本作の作者・小林淳子さんのお察しの通り、小林淳子さんのご「夫」君の場合に限らず何方にとっても、「田舎」とは常に「山のあなた」の空遠くに在るものなのでしょう。
  〔返〕 駅に五里イオンに三里豆腐屋に二分で行ける田舎暮らしか   鳥羽省三


○ 背広着る堅苦しさは嫌だったでも守られていたと知る今  (佐倉市) 内山明彦
○ 定時制高校卒の経歴が食い込んでくるもう歩けない    (姫路市) 波来谷史代

 世知辛いこの世の中に在っては、「背広」で「守られ」たり、出身校で「守られ」なかったりすることも、間々在り得ましょう。
 しかし、本当の意味で自分を守るのは、裸一貫のご自身の身体だけです。
 したがって、今更、「背広」がどうの、「定時制高校卒の経歴」がどうの、と難しいことは仰らずに、今在る自分と、今在る自分の環境と、自分の身体だけは大事にしましょう。
  〔返〕 紳士服「アオキ」の臨時店員が定時制卒の履歴で悩むか?   鳥羽省三

 
○ オオタカの雛はサシバの餌を食べ親の教える弱肉の味  (鳥取市) 山本憲二郎

 作中の「サシバ(差羽)」は、<タカ目タカ科サシバ属>に分類される鳥であり、中国北部や朝鮮半島や日本などで繁殖し、秋には沖縄・南西諸島を経由して東南アジアやニューギニアで冬を越す。
 日本では四月頃夏鳥として本州、四国、九州に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。
 全長は、雄はおよそ47cmで雌はおよそ51cm。
 両翼を全開すると105cmから115cmにもなるから、決して小型とは言えない猛禽類であるが、その「サシバ」を更に大型の猛禽類・「オオタカ」の親鳥が捕まえて来て、<生き餌>として雛鳥に食べさせるのであろうか?
 それならば、まさしく「親の教える弱肉の味」である。
 本作の表現について申せば、「サシバの餌を食べ」という辺りが舌足らずと言うか、説明不足であり、「親の教える弱肉の味」というのも硬直した表現である。
  〔返〕 <白魚の踊り食ひ>また生き餌にて我ら人類オオタカしずる?   鳥羽省三 


○ 本年度税制改正聞き終えてシャッター通りを自転車で帰る  (静岡市) 堀田 孝

 適切な言い方をすれば、「税制改悪」と言うべきところを、政府は「税制改正」などと言って問題の本質を糊塗するのである。
 その「本年度」の「税制改正」説明会帰りの「シャッター通り」での、「自転車」のペダルの踏み心地は、一体如何なものでございましたでしょうか?
 <自転車操業>などという言葉を思い出しながら、評者はこの一首を鑑賞させていただきました。
 私は、首都圏生活を再開する前には、「シャッター通り」は、北東北の田舎町にだけ現出するものだとばかり思って居りましたが、今や、日本全国至る所に存在しているのですね。
  〔返〕 シャッターが在るだけ幾分増しでせうそれが無ければ風邪引くでせう   鳥羽省三


○ F1の熱戦終わり町静か鈴鹿の空を渡り鳥ゆく  (鈴鹿市) 辻 順子

 鈴鹿サーキットは一時期閉鎖の方針であったのだが、いつの間にか亦、その方針が撤回され、毎年その時期になると、「F1」などの自動車レースで賑わうのでありましょう。
 その「F1の熱戦」が「終わり」、「町」が「静か」になると、「鈴鹿の空を渡り鳥」が飛んで「ゆく」のでありましょうか?
 「F1」レースの騒音と賑わいが静まった「鈴鹿」の「町」の「空を渡り鳥」が飛んで「ゆく」光景は、まさに晩秋そのものである。
 「渡り鳥」たちは、一体何処に飛んで行くのでしょうか?
 鳥たちが渡って行く先は、案外、「F1」の次の開催地なのかも知れません。 
 「F1」の騒音で賑わう「鈴鹿」を選ぶか、「渡り鳥」が飛んで行く静かな「鈴鹿」を選ぶか、鈴鹿市住民としては、正にその本音を問われる場面でありましょうが、その本音は、
  〔返〕 渡り鳥飛び行く時もF1で賑わう時もどっちも素敵   鳥羽省三


○ 百十七人かまれし中に我もいてかみつきザルの捕まりホッとす  (沼津市) 岩城英雄

 題して、『百十七の安堵』乃至は『百十七人の間抜け』というタイトルの安直なドラマが出来そうである。
  〔返〕 噛まれざる二十万余に妻も居てその笑ふこと笑はるること   鳥羽省三



[高野公彦選]
○ 母ガ逝ッタ 私ノ中ノ火ガ消エタ 気ガツカナカッタ 赤イ火ニ  (埼玉県) 今泉由利子

 <カナ書き>や<一字空き>や五句目の<一字欠落>に、どんな意味が在るのでしょうか。
 亦、選者の高野公彦氏は、それにどんな意味を認めて、入選作首席となさったのでありましょうか?
 ここは、作者および選者のご意見を、とっくりと承りたい場面ではある。
  〔返〕 母が逝く母の焔が燃え上がる子たる私の消すすべも無し   鳥羽省三


○ 地底より三十三人生還す硫黄島には無数の遺骨  (岡山市) 光畑勝弘

 ニュース性だけに頼った作品の生命は、せいぜい二週間が限度と知るべし。
 それに、「硫黄島には無数の遺骨」という下の句は、いかにも取って付けたような感じであり、何処として見所の無い駄作と思われる。
  (返) 地底より三十三人生還しさしもの話題も下火となりぬ   鳥羽省三
     作業員三十三人閉じ込めし件の穴は観光コースに       々   


○ 鹿の目は一体どこを見ているの? ぽーっとしてるだけなのね(笑)  (北見市) 平川なつみ

 北見北斗高校からの大挙してのご投稿であれば、選者としても、さすがに無視し難かったのでありましょうか?
 初心者の作品は、先ず、<五句三十一音>の定型を遵守することが第一である。
 <句割れ・句跨り>といった破調や<字余り・字足らず>といった高等技術は、<五句三十一音>の定型を身につけてからのことなのである。
 したがって、それを無視した高校生などの投稿作品は、発想がどんなに優れていても、潔く<没>にするべきである。
 それが選者としての唯一無二の務めと、高野公彦氏は知るべきである。
  〔返〕 エゾシカの空ろなる眼に見惚れ居て期末考査の予習忘れぬ   鳥羽省三


○ 朝の来てひらきて夜のきて閉じる花のようなるまなぶた二枚  (福島市) 美原凍子

 これ亦、評するに足らない駄作と思われる。
 閉じた瞼を花びらに例えた作品は枚挙に暇が無いし、瞼を「まなぶた」と言い変えてもそれは同じことである。
 敢えてそれを題材にするなら、<誰のまなぶた>といったような具体性が欲しいところである。
 最近の美原凍子さん作の低調ぶりは目に余るものがある。
 美原凍子さんは、今や<朝日歌壇>に欠かすことの出来ない詠み手であるが、そうであればこそ、選者は、その快心作ばかりを選んで入選作とするべきである。
 美原凍子さんに限らず、常連クラスの投稿者の斯かる駄作を掲載するくらいなら、初心の投稿者の未完成の作品を、それとことわって掲載する方が、短歌芸術の裾野を広げることにもなり、新聞歌壇存在の趣旨にも合致していると思われる。
  〔返〕 この頃はリラの蕾の如くにていつも閉じてるバーバのまぶた   鳥羽省三


○ 異国にて会話の増えし夕餉なり家族四人で巡る上海  (愛媛県) 河野けいこ

 「異国にて会話の増えし夕餉なり」という上の句には、非日常としての旅先らしい心の弾みが感じられてやや新味が感じられるが、「家族四人で巡る上海」という下の句の存在が、それを台無しにしていると思われる。
 好みの問題もありましょうが、「上海」という地名が特に宜しくない。
 「上海」にしろ「巴里」にしろ、外国の地名に頼るだけの表現には、食傷気味の評者である。
  〔返〕 定番の会話も無しの夕餉来ぬ家族四人の三泊旅行   鳥羽省三


○ ちょきはまだできないけれど吾子の手はちゅうりっぷにも羽にもなれる  (高槻市) 有田里絵

 「吾子」の成長を喜ぶママの気持ちを、率直かつユーモラスに表現した作品として称揚すべきでありましょうか?
  〔返〕 パーばかり出す癖のある芽衣とするじゃんけんぽんはグーばかり出す   鳥羽省三


○ こめふさくくりはまあまあポチしんだ電報みたい母の手紙は  (札幌市) 伊藤元彦

 本作を<漢字かな混じり>に記すと、「『米不作栗はまあまあポチ死んだ』電報みたい母の手紙は」となりましょうか。
 老齢に達した親からの手紙の書式は、大抵この程度のものでありましょうし、最近は、母子の間柄でも、用件はケータイで済ませることが多いから、どんな書式や内容であっても、故郷の母から子の元へ手紙が来ること自体、有り難いものと思わなければなりません。
  〔返〕 栗送れ米は買うから要りませんポチの遺骸は剥製にして   鳥羽省三


○ 生きてゐる証に投稿続けゆくくも膜下出血わづらひてより  (匝瑳市) 椎名昭雄

 これからも頑張ってご投稿をお続け下さい。
  〔返〕 歌詠むは息抜きに良しさればとて無理は禁物お身体大事に   鳥羽省三  

○ 公園で栗を見つけたつやつやの1個だけれど栗ごはんにする  (横浜市) 高橋理沙子

 <一個>とせずに「1個」とするなど、思わせ振りの目立つ作品である。
 この程度の作文(さくもん)は、むしろ恋人宛てのケータイのメールに相応しいと思われる。
  〔返〕 栗ごはん炊かんとせしも栗一つだけでは所詮無理とて止めぬ   鳥羽省三    

今日の清水房雄鑑賞(其の4)

2010年11月13日 | 今日の短歌
○  この世代の斯かる団結の意味するもの怖れて思ふときも過ぎたり

 『風谷』所収、昭和四十六年作である。
 詠い出しに「この世代の斯かる団結」とあるが、「この世代」とはどんな「世代」を指し、「斯かる団結」とはどんな「団結」を指すのか、作者と無縁の人間としての私には、それを知る何の手立ても無い。
 しかし、短歌史を紐解いてみると、それまで新しい時代の『アララギ』のエースたらんとしていた近藤芳美(1913生)氏を中心に「未来短歌会」が結成され、その結社誌『未来』が創刊されたのは1951年(昭和26年)の6月であり、その創刊メンバーは、近藤芳美氏と志を共にする岡井隆(1928年生)氏、吉田漱(1922年生)氏、細川謙三(1924年生)氏、後藤直二(1926年生)氏、相良宏(1924年生)氏、田井安曇(193年生)氏・河野愛子(1922年生)氏など、本作の作者・清水房雄氏の一世代後の青年たちであった。
 1913年生まれの近藤芳美氏は、1915年生まれの清水房雄氏とほぼ同世代であるから別としても、近藤芳美氏以外の『未来』の創刊メンバーは、清水房雄氏の次の世代のアララギ派の歌人として大いに嘱望されていた若手歌人であったから、彼ら一同の「アララギ」からの大挙脱退は、彼らを信頼すべき仲間として頼む一方、彼らを密かにライバル視していた清水房雄氏にとっては大きなショックであり、自分に大きなショックを与えた彼らを一括りにして、「この世代」と呼ぶことは大いに在り得ることなのである。
 しかも、彼ら「この世代」の者たちの「アララギ」からの脱退理由が、その頃、東京都世田谷区奥沢の自宅を「アララギ発行所」とされ、その当時の『アララギ』の実質的な責任者とも目されていた、五味保義(1901年生)氏の独裁的なやり方に反発したからであるとの噂も立っていたから、その五味保義氏を先輩として仰ぎ、兄事していた清水房雄氏にとっては、その痛手は決して小さくは無かった筈であり、そうした彼らの挙を「この世代の斯かる団結」という言葉で以って表現することも、大いに考えられ得ることである。
 しかし、本作をお詠みになられた昭和四十六年当時は、清水房雄氏も既に還暦近いご年齢になって居られ、今更、『未来』創刊に掛けた彼らの「団結」を「怖れ」るような心境では無くなっていたものと思われる。
 作者ご自身が自分の年齢を自覚すると共に、その年齢に至る以前に体験した手痛い出来事について、「あの時は本当にびっくりしたなー。本当に身が縮まる思いをしたものだ」などと思うことは、清水房雄氏に限らず、何方にでも在り得ることなのである。 
  〔返〕 鳩山や菅や仙谷世代など怖るに足らずと石原ジュニアー   鳥羽省三