臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今日の清水房雄鑑賞(其の8)

2010年11月17日 | 今日の短歌
○  われ一言も言ふことの無く終りたる会議のさまも記しとどめつ

 『風谷』所収、昭和四十六年作である。
 題材となった場は、結社<アララギ>の編集会議でありましょうか?
 それとも、勤務校の職員会議でありましょうか?
 評者は後者と思っているから、その線に沿って鑑賞を進めたい。
 学校の職員会議ほど愚劣なものは無いと評者は思っている。
 県教委からの通達があったりして、何かを決定しようとしている校長等の学校幹部は、事前に落とし処を決めて置きながら、「直面している事態の解決を計るために、ご聡明なる先生方のお知恵を拝借致したいと存じます」などと芝居がかった猫撫で声で口火を切るのであり、そうした幹部に取り入ろうとする平教員は、頃合いを見計らって、幹部等が<落とし処>と思っているらしい線に添った発言をして、<しゃんしゃんしゃん>という運びとなるのである。
 その結論に至る前に何か爆弾発言めいた発言をする元気な教員が居るが、実のところは彼もまた、学校幹部の追従者であり、会議終了後に校長室に立ち寄って、「あの時は、ああいう発言が何方かから出なければ、何か八百長めいた、白けたような雰囲気になりそうだったので、不本意ながらああいう発言をさせていただいたのです。私の苦しい立場と気持ちを、どうぞご理解下さい」などと釈明している始末なのである。
 そうした会議の場では、<沈黙は金なり>とばかりに、一切「口を閉じるに如かず」と、本作の作者・清水房雄氏はお思いになったのでありましょう。
 そして、「われ一言も言ふことの無く終りたる会議のさま」を、帰宅後に日誌に「記しとどめ」たのでありましょう。
  〔返〕 沈黙は銀<否>銅以下かも知れぬ当たって砕けろ揺さぶりかけろ   鳥羽省三



今週の朝日歌壇から(11月14日掲載・其のⅡ)

2010年11月17日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]
○ 疲れたとスーツが言っているような面接試験二十三回  (東京都) 平井節子

 <草臥れた洋服を着て>という言い方はよくする。
 尾羽打ち枯らしたような感じの勤め人の着古した洋服を見てそう言うのである。
 察するに、本作の作者・平井節子さんは未だ学生かと思われる。
 もしそうならば、彼女は未だ<尾羽打ち枯らした勤め人>などである筈は無く、尾はピーンと反り返っていて、時折り電車の中で痴漢の被害に遭うだろうとも思われるし、羽は<鴉の濡れ羽色>というやつでありましょう。
 その<鴉の濡れ羽色>で思い出しましたが、あの<鴉の濡れ羽色>の<就活服>というやつは、若い人の服装としては、何と溌剌として無く、何と不景気で、何と凛々しくも美しくもない服装なんでしょうね。
 あの全身黒尽くめの服装は、かつては<リクルートルック>と呼ばれていた。
 その<リクルートルック>のリクルート社の創業者などの黒い政治家との関わりか何かの事件が発覚してからは、<リクルート>という言葉には常にダーティーなイメージが纏わり着くようになり、その結果として、今では、あれが<就活服>などという硬直した略語で呼ばれるようになり、楽しい盛りの二十代前半の若者たちを全身真っ黒状態に拘束しているのである。
 あれは、彼ら若人男女の服装では無く、我ら古稀を過ぎた爺や婆が、自分より先にあの世に旅立って行った者の焼香に行く際に着て行く<喪服>なのである。
 人生のスタート未満に在る者の着る服と、人生のゴール直前に在る者が着る服とが、全く<同色・同形>という、この矛盾。
 今の我が国には、その矛盾に気づく若者はいないのだろうか?
 もしも、そんな若者が居たとしたら、彼は<不景気・不況>のシンボルのような、あんな服を着るはずも無く、したがって、「面接試験」に「二十三回」も撥ねられて、「スーツ」に「疲れた」などと言わせるようなことは決して無いでありましょう。
  〔返〕 惹かれたと社長が漏らしてしまうような派手な服着て面接に行け   鳥羽省三


○ 秋空に槍投げの槍のまれたり芝の真中に白旗あがる  (新潟市) 花岡修一

 <2009年・世界陸上競技選手権大会>の<男子槍投げ競技>の決勝は、同年8月23日にベルリンで行われ、我が国の村上幸史選手(スズキ)は二投目に82メートル97をマークして、見事銅メダルを獲得したのであった。
 本作の作者・花岡修一さんは、その競技の村上幸史選手の二投目の場面の一部始終を、必要に応じて時間進行の一部をカットして、ここに一首の短歌としてお示しになったのである。
 そこで、それを当日の時間進行通りに、カット無しで示してみると、以下の通りとなる。
 即ち「村上幸史選手の右手から槍が放たれた→ベルリン国立陸上競技場の上空の「秋空に槍投げの槍」が「のまれ」るようにして飛んで行った→ベルリン国立陸上競技場のトラックの真っ青な芝生の82メートル97の地点に、村上幸史選手が放った槍は見事に突き刺さった→村上幸史選手が放った槍が82メートル97の地点に突き刺さるや否や、青い目の記録審判員の一人が早速飛ぶようにして「芝の真中」に走って行って、<セーフ>を示す「白旗」を高々と上げた」の順序である。
 本作の作者・花岡修一さんという方は、よほど記憶力に勝った方と見受けられ、一年以上前のあの日のあの時間のことを克明にご記憶なさっていて、ここに見事にあの感激の場面を活写して、私たち鑑賞者に示して下さったのである。
 ありがとうございます、花岡修一さん。
 そして、本日の見事なるご入選もおめでとうございます。
 あなたのようなご奇特な方がいらっしゃるから、我が国・日本の陸上競技界も先ずは安泰というところなのです。
  〔返〕 神宮の砂場の砂に印されし花岡麻帆の著き靴跡   鳥羽省三
 往年の女子走り幅跳びの名選手・花岡麻帆さんは、本作の作者・花岡修一さんの親類縁者なのでありましょうか?

 
○ 市街地をじゃれて歩きし二十分後射殺されたる羆の親子  (稚内市) 藤林正則

 「市街地をじゃれて歩きし」の具体性が宜しい。
 我が国最北端の街・稚内の「市街地」の殺伐とした様子が目に見えるようである。
  〔返〕 階段をじゃれて降りたら怪我すると妻は私に説教をする   鳥羽省三


○ 菜園のキャベツ野兎に食べられてスーパーに行くマンガのような  (石岡市) 武石達子

 「野兎」は<のうさぎ>と読むのでしょうか、それとも<やと>と読むのでしょうか?
 「菜園のキャベツ」を食べた犯人(犯獣かも)が<鼠>や<熊>や<鹿>では無くて、「野兎」であったところが、五句目の「マンガのような」という感想を導き出したのでしょう。
 特に、「野兎」の「野」が、この一首を傑作たらしめるに欠かすことの出来ない要素かと思われます。
  〔返〕 ベランダのホウレン草を蛞蝓が食べたとしてもマンガにならぬ   鳥羽省三


○ 廃校の鉄棒に来て小猿めが夕陽を蹴りてくるりとまわる  (宮城県) 須郷 柏

 「廃校の鉄棒に来て」「夕陽を蹴りてくるりとまわる」「小猿め」は、今は亡き春日井建氏の短歌に出て来る跳躍の選手みたいだから、本作の作者・須郷柏さんに嫉妬されるのである。
  〔返〕 春日井の命の如き夕焼けを背中に浴びて我は街行く   鳥羽省三


○ イノシシが処かまわず掘り返すそのひもじさを当たり散らすがに  (西海市) 前田一揆

 韻律を損なっての、五句目末尾の「がに」の使用が悔やまれる。
 そもそも、文語調短歌特有の略語たる<とふ><ごと><がに>の中で、最も特異で、最も現代短歌の中での使用に耐えないのは、この「がに」であろうと思われる。
 したがって、本作の「がに」は、単に韻律を乱すのみならず、一首全体が口語で纏まるはずの作中に、「がに」という<お化け葛籠の底>から這い出して来たような、死語同然の語を混ぜることにもなるのである。
 評者は、本作の如く「がに」を使用した短歌に、<がに短歌>という蔑称を奉っているのである。
 本作の場合は、末尾の「がに」を捨てて「イノシシが処かまわず掘り返すそのひもじさを当たり散らすか」としても、「イノシシが処かまわず掘り返すそのひもじさを当たり散らして」としても、一首の趣きにそれほどの変化が無いと思われるのであるが?
  〔返〕 仲人が処かまわず聞き廻る昭和中期の見合い結婚   鳥羽省三


○ うかうかと博物館に棲みついた狸見たさに博物館へ  (大阪市) 灘本忠功

 「博物館」と名の付く社会教育施設の殆んどは、年から年中暇だから、「狸」のような異類が「棲み」つくことにもなるのである。
 そのうちに、「博物館」の庭園の木の洞には<木霊>の類が「棲み」つくようになるかも知れません。
 でも、そうなればそうなったで、益々「博物館」らしき貫禄がついたと言うべきでありましょう。
 <体験学習>は、現在の<初等中等教育>の<目玉商品>のような優れた学習であるが、それも間も無く、文科省幹部官僚の気紛れな方針変化に伴って廃止されると判断される。
 それを廃止する前に、<木霊>の棲みついた「博物館」を使っての<心霊体験学習>を行ったとしたら、それは時代の最先端を行く<体験学習>となり、既に<体験学習>を<学習指導要領>から追放しようとしているらしい、無定見な文部官僚どもを慌てさせることになるに違いありません。
  〔返〕 木の洞に木霊の類の棲み着いて益々味の出た博物館   鳥羽省三


○ 猿が食い猪が荒らして残したる虫食い栗を食うはせつなし  (四万十市) 島村宣暢

 それは本当にせつないことでありましょう。
 人間より草木や鳥獣を大切にするのが、<自然保護>という考え方でありましょうか?
 だとすれば、<日本最後の清流・四万十川>流域での、動植物と一体となった生活も、なかなか切ないことと拝察申し上げます。
  〔返〕 鳥が飛び獣が走る森林を倒す作業を開発と呼ぶ   鳥羽省三


○ 生きるため街に出てゆく熊に似た父を見送る出稼ぎの朝  (佐倉市) 内山明彦

 「出稼ぎ」に「出ていく」「父」の風貌のみならず、「生きるため街に出てゆく」「父」の行為そのものも、「熊」に似ているのでありましょう。
  〔返〕 熊の仔が熊の母親思ふごと佐倉市の児は父を思へり   鳥羽省三