昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
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ラジコン 飛行機で青空へ!

2007-05-11 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
 野鳥たちが自由に飛び交う五月晴れの空を眺めていると、「自由に移動できる空間」への憧れが、人間の本能にもあるのかなぁ・・・と思ってしまう。当カフェの常連でいらっしゃる、かめ様より“ラジコン飛行機”の写真をお送りいただきましたので、ご紹介します。

          

 いやぁ~、カッコいいです!  零式艦上戦闘機は、三菱重工が設計・開発した大日本帝国海軍の主力戦闘機。海軍の艦上戦闘機としては実質的な最終型式で、支那事変の半ばから大東亜戦争の終わりまで各地で活躍したことで知られる。大東亜戦争初期に連合国の戦闘機を駆逐したことから、主交戦国のアメリカ軍から「ゼロファイター」「ジーク」の名で恐れられました。
 ちなみに当時の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっており、零戦が制式採用された昭和15年は皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」になったため「零式」という名称になったそうです。

 世界最大の航続距離であり当時の世界一流戦闘機の2~3倍、落下タンクを付ければ5倍もあり、軽量化と高効率エンジン搭載、さらには高運動性能、防御より攻撃性能に重点を置いた設計は、“自己犠牲”を尊ぶ日本人の「大和魂」が凝縮された戦闘機なのだと、店長的には感じる次第です。

          

 かめ様からお送りいただいたメールには次のように紹介いただいています。
「このゼロ戦は、テトラと言うメーカーのバルサキットから組み立てました。エンジンは、斉藤と言うメーカーのFA56で排気量0.56キュービックインチ(約9.2cc)4サイクルの0.9PSです。アメリカの遊びなので、いまだにエンジン排気量はインチで呼んでいます。
正確に組み立てれば、後は重心だけです。キットですから、指定された部品を使えば、重心位置も大きなズレは無いようです。
目で見て大きな狂いが無ければ、後は飛ばしながら、水平にまっすぐ飛ぶように、送信機側でトリムを取ってやれば、大抵はOKです。トリムで調整が出来ないような機体は、目で見ても狂いが分ると思います。
表面は塗装ではなく、フィルム貼りで仕上げています。フィルムにアイロンを当てると糊が柔らかくなって、バルサにくっ付くと共に収縮します。通常塗装よりは軽く仕上がります。それに塗装は普通の家の中では難しいですから・・」

          

かめ様曰く
「最近は飛ばしてないです。一応引き込み脚になっているので、チョッとカッコいいです。本物は右と左が少し時間差を置いて引き込まれるのですが、私のは小さいから同時です。模型でも大型のものは、本物のように時間差をつけて引き込むのもあります。
それから、機体を軽量化(特に後部が軽かった)ためか、エンジンが主翼に近く首が短いので、模型の場合重心を前に寄せるために、頭を重くしなくてはならないのでチョッと工夫が必要でした。当時の戦闘機の模型としては飛ばしやすい機体です。
日本ではR/Cをラジコンと言いますが、アメリカでは、リモートコントロールだそうです。」

          

 お送りいただいた写真を拝見していると、子どもの頃に抱いた「大空」への憧れが甦ります。
先日も、有名な彫刻家の先生と“男たちの隠れ家”的なBARで、ウイスキーグラスを片手に、先生の題材である『誰にでも舞い降りる天使』と『空を自由に駆け巡る電波』の概念と共通性について、二人で4時間以上も熱く語った。
 ラジコン飛行機もまた『空』という自由空間へ、男の思いを巡らせるアプローチの一つだろう。