湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヒンデミット:ピッツバーグ交響曲

2006年07月11日 | ドイツ・オーストリア
ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団(revelation)1965/3/7LIVE・CD

この曲は構造と響きの鉄鋼製品であり、前衛であるヒンデミットの中ではわかりやすいほうとはいえ大半の普通の人は、ショスタコやプロコの一番マイナーなシンフォニーあたりを想起することだろう。激しい管打の耳をつんざく破裂音の連続に最後はクラスタ状にうにょうにょしだす弦楽器など、確かに覚悟して聞けば楽しかろうが、音楽として楽しむにはいささか暴力的に過ぎる、とくにこの演奏は。当惑したようなパラパラ拍手に苦笑。いい録音だけど無印。
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アメリカのための音楽

2006年07月10日 | Weblog
ミヨーは大交響曲を十二書いてのち気まぐれにその名を棄て「~のための音楽」という即物的な題名をつけるようになった。異常な多産の中に著しい数を占める委属作品群(中にはベニー・グッドマンのための「クラリネット協奏曲」のように演奏されなかったものもあったが)、その所産上の性格を逆説的にあらわした題名は当然のことながら抽象的な「交響曲」の内容とは関係なかった。何のきっかけで霊感を受けたかくらいの意味しか、ここにおいては無いのである。ミヨーとアメリカの関係は深く長い。その作品を最もよく演奏し愛好したのはヨーロッパより寧ろアメリカであったかも知れない。二度めの大戦を待たずとも20年代から既にアメリカのどこぞか誰かの委属によるものが目立つ。出版社の男にもう十分です、と言われた以上にボストンで老女に言われた言葉に反省してボストン大学のための委属作に「ボストンのための音楽」とつけてから、「~のための音楽」は交響曲の代名詞になったが、ドライなプロフェッショナルで、自己に忠実な前時代的な作風を堅持した晩年のミヨーに作品を委属しようという人は、最後までやっぱりアメリカに多かったようだ。


~(1920年代の話)私達はアメリカ音楽の開拓者、チャールズ・アイヴズのところで食事をしました。彼は殆ど人と会わず、絶えず仕事をしていました。私を彼のところに連れて行ってくれたシュミッツは、彼の作品をよく知っていました。仔細に研究していました。それは難しいものでした(手稿は殆ど読めません)。しかし極めて強い個性の刻印がありました。

~(サティ再発見から未だ忘れられたままのケクランについて触れ)この控え目で物静かな人物を思い出すのは、私にとって心地よいことです。永年の無関心の後で発見された、チャールズ・アイヴズの場合もそうです。それからヴァレーズも。(ダリウス・ミヨー「幸福だった私の一生」別宮貞雄訳より)
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マーラーの誕生日

2006年07月07日 | Weblog
七夕でしたね。
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きりがないフランセ自作自演

2006年07月07日 | Weblog
ebayでDGのチェロソナタ自演LPを落とし損ねた。DG未CD化盤は元々希少で高値がつくのだが最近のネットオークションでこのようなマニアックな盤が一枚15000円もつくようなことは稀である。中古LP屋ではフランセ自作自演集成(LP)がじつに一枚40000円近くついていた。フランセにこんな値段がつくようになると生前誰が予想したであろうか。フランセ自作自演盤を長年集めてきた私もさすがにここにきて収集を諦めることにした。「初期盤LPブーム」が早く去るのを待っているのだが、コストパフォーマンスの高い初期盤のみを扱う中古屋のスタンスはとうぶん変わりそうにない。


確かに初期盤LPは音が違う、好みだろうがCDの音より疲れないし迫力があることも多いんだけどね。。
Comments (4)
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2006年07月06日 | 北欧・東欧
○ナヴァラ(Vc)ストゥプカ指揮プラハ放送交響楽団(multisonic)live・CD

ナヴァラの長所は何と言っても滑らかなヴィブラートで紡ぐ憂愁の表現であり、この演奏でも憂いのある詠嘆の表現に深く心打たれる。線の細いヴァイオリン的な音で、フレージングが極めて巧く特に高音の旋律表現においてこれほど深層に訴えるものもあるまい。力感と言う点ではロストロ先生などには及ばず、終楽章ではさすがに技術的な綻びもみえるが、旋律を高貴に歌うのがとにかく巧い。演奏スタイルとしてバックオケ含め起伏があり激しいがゆえに終楽章はもっと爆発して欲しかったが、1,2楽章だけでいえば非常に素晴らしい出来と言っていい。録音が極めて悪いのが惜しまれる名演。オケ、とくに弦はやや力不足か。○。
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ヒンデミット:気高き幻想組曲

2006年07月06日 | ドイツ・オーストリア
○モントゥ指揮フランス国立放送管弦楽団(music&arts)1958/11/8・CD

「世界の調和交響曲」とほぼ同じような構成の平易な作品で私は大好物だ。漂う抒情性、ネオ・ロマンチシズムにひたすら上り詰めるクライマックス、終始目の詰まった対位的な動きにわくわくさせられる。だが、意外と「わくわくしない演奏が多い」。それはヒンデミットを前衛の旗手「であった作曲家」ととらえそこに焦点を当て客観的に整えているからではないか?とこのようなライヴを聴くにつけ思うのだ。モントゥはまるでドイツオケのようにORTFを鳴らし、引き締まったリズムでぐいぐいと曲を進めていく。内声部の見通しも素晴らしくよいのだが、そこに拘泥せず更に抒情味を漂わせる。本質的に旋律やフレーズに内在する抒情性を引き出すのが巧い、と言ったほうが適切か。とにかく最後は偉大なカタルシスを明確なフォルムの中に味あわせてくれている。ブラヴォが出てもいいくらいだがフランスでは期待できないか。これを聴いているとまるでイギリス近代音楽を聴いているような錯覚にも陥る。懇意であったウォルトンへ与えた影響の強さというものを実感させる。「この」ヒンデミットからウォルトンは影響を受けたのか。ヒンデミットはアメリカ的とも言える中空のブラスの鳴らし方をさせることがあるが、そういったところが「ポーツマスポイント序曲」あたりを彷彿とさせるのだ。モントゥの解釈だからそう聞こえるとも言えるのだろうが。リマスター健闘しているものの録音がやはり悪めである。従って最大評価はできないが、「叙情的で感情的なヒンデミット」が好きな向きは楽しめます。○。
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ヒンデミット:ウェーバーの主題による変奏曲

2006年07月05日 | ドイツ・オーストリア
ヨッフム指揮LSO(BBC,IMG)1977/6/23LIVE・CD

落ち着いており(リズムはいい、とくにトゥーランドットや終楽章)内声の見通しもよいが、演奏上の不備を含めやや弛緩気味で、音にもキレがない。オケのせいかもしれない。一楽章では一部ブラスに疑問をいだいたが、木管は全般にやはりそうとう上手く、打楽器弦楽器も十全でとくに三楽章は弦楽器の魅力的な音色が聞ける。四楽章はかなりノっているし、前半はオケが温まってなかったのかな?全般抒情味の感じられる中庸の演奏といったところか。壮麗な四楽章がかなりいいので迷ったが相対的に無印としておく。ブラヴォが凄まじい。
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ロックフェスタ帰りにしっくりくるアイヴズの音響的音楽

2006年07月04日 | Weblog
翻訳ネタをここでも書くようになるとは思わなかったが、ソサエティの記述から興味深い一節を採録てきとう訳しておこう。ストラヴィンスキーとの相互的なかかわりは日本で手に入る代表的な文献では全く知ることができないからね。「メモ」だけでは勝手なメディアやアカデミズムの転用説に憤慨していたとみられかねないアイヴズも、精神的主柱としていた使徒カウエルやラッグルズ他の私的前衛音楽会に顔を出していた亡命作曲家の中でも最大の知名度を誇るストラヴィンスキーとは、確かに「互いに懐疑的側面もあるが」交流をもっていたのであり、興味深い部分もある(シェーンベルクの死後に「アメリカ唯一の孤高の作曲家」と賞賛したメモが遺されていたのは有名な話)。

アイヴズを頻繁に聞くわけではないがあの時代の諸相に非常に興味があるのである。もう長い音楽歴の中で忘れ去っていた知識、その再認識としてココはなかなかに読める。だが・・・参考文献はいずれも入手困難なものばかりだ。エール大学へ行くしかなかろうな。

バイオグラフィより

20世紀二番目の十年間のうちに生まれた二作品は、アイヴズの円熟した技法と完成期を示すものとみなすことができる。祝祭交響曲の第二楽章「戦没者追悼記念日Decoration Day」は、幼少期に現在デコレーション・デイと呼ばれる祝日に目撃した出来事について描写している・・・彼の父のバンドは暗い曲を演奏し町の墓地へ行進していった・・・群集が戦没者のデコレーションされた墓の中に立ったとき、ジョージ・アイヴズは「消音ラッパ」をろうろうと吹いた・・・そしてバンドの行進は戦没者たちの魂を天に送り出す目的で作曲された陽気な曲を演奏しながら町へ引き返していった。その体験からアイヴズは「戦没者追悼記念日」で空前絶後の音楽における"stream of consciousness(心のうつろい)"を作り上げた。そこには革命的な音楽の技法が、深遠な集団記憶を彩るために配されている。

自分の傑作の中で特に選ぶとしたら何を挙げるか、とストラヴィンスキーに尋ねられたとき、彼は「戦没者追悼記念日」と答えた。

--Jan Swafford
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Used by the kind permission of Peermusic Classical.
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プロコフィエフ:交響曲第1番

2006年07月01日 | プロコフィエフ
○モントゥ指揮フランス国営管弦楽団(M&A)1958/5/8LIVE・CD

モノラルだし殆ど僅かにミスがあるがこれほどリズミカルに俊敏な演奏も実は珍しい。ライヴならではかもしれない。きっちりした統率力と指示が無理矢理に整えるではなく内面から行き届いたうえで、楽曲の性向にあった軽く喜遊的なふうで飛ばすさまは慣れに慣れた手だれだけのなせるわざだろうか。弦としては決して弾きたくない極度にピリピリしたピアニスティックに細かい音符や装飾音の列ぶ数学的な譜面だが、アンサンブルというものをわからせるのにはうってつけの構造で、バンスタが啓蒙に使ったのもうなづける曲。しかしNYPは勢いと技巧はわかるが曲本来の古典的愉悦感を引き出せていたのか、隈取りが濃過ぎて声部の組み合わせとしてのアンサンブルだけを鮮やかに聞かせることができていない感がある。こちらはオケの長もあろうが上手い。◎にしたい○。録音良好。
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