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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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アメリカのための音楽

2006年07月10日 | Weblog
ミヨーは大交響曲を十二書いてのち気まぐれにその名を棄て「~のための音楽」という即物的な題名をつけるようになった。異常な多産の中に著しい数を占める委属作品群(中にはベニー・グッドマンのための「クラリネット協奏曲」のように演奏されなかったものもあったが)、その所産上の性格を逆説的にあらわした題名は当然のことながら抽象的な「交響曲」の内容とは関係なかった。何のきっかけで霊感を受けたかくらいの意味しか、ここにおいては無いのである。ミヨーとアメリカの関係は深く長い。その作品を最もよく演奏し愛好したのはヨーロッパより寧ろアメリカであったかも知れない。二度めの大戦を待たずとも20年代から既にアメリカのどこぞか誰かの委属によるものが目立つ。出版社の男にもう十分です、と言われた以上にボストンで老女に言われた言葉に反省してボストン大学のための委属作に「ボストンのための音楽」とつけてから、「~のための音楽」は交響曲の代名詞になったが、ドライなプロフェッショナルで、自己に忠実な前時代的な作風を堅持した晩年のミヨーに作品を委属しようという人は、最後までやっぱりアメリカに多かったようだ。


~(1920年代の話)私達はアメリカ音楽の開拓者、チャールズ・アイヴズのところで食事をしました。彼は殆ど人と会わず、絶えず仕事をしていました。私を彼のところに連れて行ってくれたシュミッツは、彼の作品をよく知っていました。仔細に研究していました。それは難しいものでした(手稿は殆ど読めません)。しかし極めて強い個性の刻印がありました。

~(サティ再発見から未だ忘れられたままのケクランについて触れ)この控え目で物静かな人物を思い出すのは、私にとって心地よいことです。永年の無関心の後で発見された、チャールズ・アイヴズの場合もそうです。それからヴァレーズも。(ダリウス・ミヨー「幸福だった私の一生」別宮貞雄訳より)
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