湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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チャイコフスキー:交響曲第5番

2005年02月23日 | チャイコフスキー
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日、大阪フェスティバルホールLIVE・CD

圧倒的に終楽章が聞きもの。これを聞いて感激した人間が多かったのか、やたら売れているのも頷ける。別におかしなことをやっているわけではないのだが、ここに聞かれるものは技術的なものを越えたひとつの芸術の頂点であり、チャイコフスキー5番の演奏史上にある他の歴々に劣らない名匠の成せる技の発露と見ていいだろう。ベストセラーとなっているのもさもありなんだ(2005/01現在)。終演後の壮絶なブラヴォーと拍手はスヴェトラーノフ以降のちょっとおかしなブラヴォー乱発期以前の、ほんとうのブラヴォーであり拍手である。彼らが指揮者個人に向けて叫んだのではなく、今回のこの名演自体に向けて叫んだということはこのタイミングや響きを聞けば瞭然だ。素晴らしい記録が出たものである。基本線は余りテンポを揺らさず自然な流れの上にロシア的な強靭で磊落な響きを載せていくやり方で、ムラヴィンスキーの理知的で個性的なやり方とは異なる所謂メリク・パシャーエフ的なソヴィエト式の典型、といった感じだが、内声部までしっかり整えた上で、その内声自体を磨き上げ必要以上に強く主張させていくことで音楽にボリューム感をあたえている。これがムラヴィンスキーのレニングラード?と思わせるようなミスやキレの悪さを感じるところも少なからずあり、指揮技術的にはムラヴィンスキーより劣ると感じる向きもあるかもしれない。だが、これは揺り戻しなのである。ムラヴィンスキー独特の粘らず直線的に盛り上げる方法、悪く言えばアンサンブルは素晴らしいが淡彩的で一つ一つの演奏が個性に欠け、詰まらない完成されてしまった芸ばかり聞かされるのは正直辛い。レニングラード・フィルとてそうだろう。こういう指揮者が脇にいてこそ彼らもモチベーションを保ちバランスのとれた芸を聞かせられるのだ(と思う)。ヤンソンスも単細胞に無茶苦茶やる指揮者ではない。寧ろ無理なく派手に聞かせるすべを心得ている。だからひとつひとつの楽器を聞いていても他の所謂ロシアロシアした指揮者に比べそんなに変なことはさせていない。弦はレニングラードの力強い弦そのものでそれ以上でもそれ以下でもないし(終楽章は胸のすく演奏を聞かせてくれるが)、ブラスは叫ぶところは叫ぶが(ペットの下品な響きはいかにもロシア流でほほえましい)おしなべて抑制され、特に音符の長さを厳しく制約されている。基本的に短く切り上げる傾向があり、結果発音がとても歯切れ良く、いいリズムが保たれている。ヤンソンスがリズム系の演奏にすぐれていた証左のひとつだろう。面白いのは旋律的な部分になるとグダグダとは言わないまでも自由にリズム取りをまかせているところ。基本的に短く吹かせているのに、突然アクセントの甘い長々しい吹き方をさせているところが面白い。ヘタ、と感じる人もいるかもしれないが解釈である。長々と書いたが、もちろんこれが史上燦然と輝く名演とは言わない。でも、5番のいかにも派手にやりましたよ的な演奏や、いかにもムラヴィンスキーなガチガチの演奏に飽きたら、手を出してみていただきたい。佳演。
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2 Comments

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中に芋の蔓? (pfaelzerwein)
2005-02-24 06:23:41
初めまして。このようなものが録音されていたのですね。この年は恐らくムラヴィンスキー氏の来日がキャンセルされて、ゲストの未だ無名のヤンソンス氏が率いた。カラヤンコンクールで優勝するのは明くる年です。北陸で無名のクレメルが協奏曲を共演して幻の日本デビューをした時と思います。アンサンブルの破綻と云うのが面白いですね。



しかしあのトランペット、中に芋の蔓でもはいているのでしょうか?

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ありがとうございます (r_o_k)
2005-02-24 10:09:39
まさにおっしゃるとおりの演奏記録です。アルヴィッド(アルヴィドと表記されるほうが多いようですが)は本国では既に大御所でしたが、外面的にはムラヴィンスキーのサブ的位置付けのまま結局最後は国外でキャリアを終えてしまいましたね。。教育者としての功績はよく言われることですけどテクニックは確かにあって、ただ、やはりロシア式の磊落さが勝っている部分もあった、それが野暮で奇異な印象も与えるのでしょうね。私の中では結構洗練された人というイメージだったんですがこの演奏は寧ろ意外でした。息子マリスの承認を得て全てのハードルが外され、今後続々と正規録音が入ってくる予定ですので、そちらの評価をもって正当に認められてほしい指揮者ではあります。。全てちゃんと発売できればの話ですが。マリス氏は非常に喜んでいるそうです。
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