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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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クアドリとプレヴィターリの「松」

2006年06月07日 | Weblog
既に本サイトにアップしている記事だが、この両者を新しいLPプレイヤーで改めて聴きなおして多少印象が変わった。もちろん前者の音の悪さが影響していることもあるが、やはり演奏レベル的には後者のほうがよくできているといわざるをえない。前者は最初から拡散型の解釈のため、ぶわーんとひろがりっぱなしで終わる印象を与える(アッピア)。しかし後者はしっかり設計された音響の松葉に従い巧緻に進められていくため、心の底から揺り動かされるような感動をあたえることに成功しているように聞こえた。中庸という印象にも少々修正を加えなければな、オケの違いも大いに影響している。いずれ、モノラル時代のLONDONの録音は素晴らしいということです。

レスピーギはいろいろ聞いてもやっぱり「ローマの松」に行き着いてしまうのは、ホルストが結局「惑星」に尽きるというのと同じ、いわゆる「一発屋」的な側面があるからだろう。細かく聴けばマニアックな楽しみはいくらでも引き出せる作曲家だと思うが、なにしろ生涯が比較的短かった(カゼッラも同様の悲劇があったが・・・ラヴェルの同窓にして親友、ピアニストとしても作曲家としても評価も高かったのに作風が定まらないまま決定打無しに終わってしまった感がある)ため、今風の「一発屋」という呼び名のそしりは意地悪すぎるかもしれない。ブロッホとかエネスコとか、個性はしっかり持っているのに一発すら出せなかった(マニアックな観点は置いといて、ですよ)人もいるのに、寧ろ幸せだったのかもしれないけど。「泉」のカゼッラとのロール連弾はいいですね。ロールも器械次第でいくらでも「撚れ」を補修できるもんなんだなあ、と昨年復刻されたCDを聞いて思いました。違和感ゼロ。
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