湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ベルリオーズ:幻想交響曲

2007年02月06日 | フランス
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/5live

そもそもロマン派を終わらせたきっかけの一人であるリムスキーの時代まで生きた長命の天才とはいえ(招聘したときの話がリムスキーの本に出てくる、指揮者としては凄かったけど基本的に老人だとか書いてあった)私の守備範囲から大きく外れたロマン派も中期までの人である。仕方なく?演奏するとき(とうぜんまったく練習しなかったのでぼろぼろ)参考にしたのは唯一手元にあったバルビローリ・ハレ管のイタリア海賊ライヴ盤だった(今はステレオの正規で出ている)。とうぜんバルビローリなのでただでさえ拍節感がなくハレ管なのでワルツもヘタだ。バルビならワルツくらい・・・と思うのだがついに断頭台の行進から怒りの日、サバトへと雪崩れ込む場面にもぜんぜんノれず、結局(当時はいつもだったんだけど)「あー、面白い曲だったんだなあ」と舞台上で気がつく始末だった。いや、のちに何故かいろいろ増えてきて、今探してみたらここで挙げてないものではミュンシュの前任クーセヴィツキーやらワルター盤数種やらピエルネ抜粋版やらフリートやら新しいところではオッテルロやらムラヴィンスキーやら、とうぜんサイケなジャケットのミュンシュの正規などけっこういろいろ出てきた。たぶん探せばもっと沢山出てくる筈、しかし、この散文的な曲は指揮者の解釈次第なところがあって、やりかたを間違えると単なる組曲になってしまう。しかしだからといって、ミュンシュは定番であるものの、このアプローチが絶対とも言い難いのは、これがやはりイマジネイティブな「表題交響曲」であり、純音楽ではないという点だ。すなわちミュンシュの幻想はベートーヴェンである。首尾一貫した、トスカニーニ的なほどにひたすら高速で押し通していく。だから逆に、私みたいに表題曲や組曲が苦手なタチの人間はとても楽しめるのだが、これでいいのだろうか、という一抹の不安ものこる。もっとイマジネイティブに、分裂的にやるべきではないのか?コンドラシンだったか、終盤の鐘にまるで日本の鐘のようなゴーンという音をブキミに使った人がいたが、この演奏ではけたたましく耳元でガンガンと鳴る。音響効果はある、しかし地獄の響きにしてはいささか児戯じみている。録音のせいもあって更に軽い演奏にきこえる。前半、中間楽章まではダレずに非常にいいのだが(これ以上しっくりくる演奏は聴いたことがない・・・ワルツは賛否あるかもしれないが)、後半楽章がどうも地獄に聞こえないのである。ハスッパなのだ。録音のせいだとは思う。軽くて明るすぎる。エアチェックにしてはすさまじくいい音だがそれがCDのようなデジタル媒体に変換された瞬間にキンキン耳やかましく聞こえるようになる。いや、ミュンシュは類稀なる幻想解釈者だけど、「これが全てではない。」もっといろいろな面を聞きたいという気持ちが残った。もちろんブラヴォの嵐。○。ちょっと録音瞬断あり、あるいは媒体が悪いのかもしれない。

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2 Comments

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標題性を追求した演奏は? (サンセバスチャン)
2007-02-06 09:54:57
こんにちは。
ミュンシュの幻想は、全体の気分を表現したような演奏で、細かく標題を再現したような方向ではないですね。
録音によっては軽すぎ、明るすぎに聴こえてしまう(54年の正規録音)こともあるのは確かです。ですが、地獄に落ちるんだけれど最後は天国へ登るみたいなところがあって、そのある種突き抜けた部分が類まれな幻想の解釈者としているのではないでしょうか。

逆にとことん地獄を極めたような演奏もありかなと思いますが。
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ベートーヴェンと感じたゆえん (岡林)
2007-02-06 14:03:51
>地獄に落ちるんだけれど最後は天国へ登るみたいなところがあって、そのある種突き抜けた部分が類まれな幻想の解釈者としているのではないでしょうか。

ここで多分、私はベートーヴェンと感じたんだと思います。幻想は譜面上けっこう隙の多い曲でそのぶん解釈の余地もおおきく、ワルターなどは幻想とマーラー復活の関連性について一筆書いていたかと思いますが、ああいった本質的に「ロマン派的な勝利を目指す」指揮者ではなく、「純粋に譜面にしたがって」分析的な棒を振る人のほうが「標題性を追求した演奏」ができるのかなあ、とも思いますが


・・・つまらなそうですw
地獄というとシェルヒェンには地獄を感じましたが、録音が悪いだけかもしれません。
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