湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ルーセル:エヴォカシオン

2019年04月04日 | フランス
ロザンタール指揮ORTF他(ina)1962/12/6live

ルーセルが訪問後インドからインスパイアされた曲はいくつかあるが、どれもほとんど録音がない。オペラは代表作とされるものがあるのに私もina配信音源唯一しか持たない。その中でこれは規模が大きく実演には触れられないものの、合唱交響曲として受け入れられており、プラッソン盤はおそらく今度のルーセルボックスにも入っているのではないか。トゥルトゥリエの録音も記憶に新しい。1910-11作品だが20年代改訂された模様。45分かかるが、とても耳馴染みがよく、いかにもインドから直接持ってきたような部分と、ルーセル独自の部分が印象主義音楽の中から形をもって結晶してきたような、春にはぴったりの明るく美しい雰囲気ある曲だ。一楽章はリヒャルト・シュトラウス風だが、冒頭からのたゆたう半音階にはディーリアスが宿っており、これはソメイヨシノによく似合う。印象派にしては明確なメロディと構成感があり、ルーセルののちの志向がわかる。「洞窟に隠れた神々」と象徴主義めいた題がある。サマズイユに献呈されている。二楽章は正直「クモの饗宴」。これは楽しい。後半は雲行きが怪しくなってくるが、十分弱と短い楽章。「薔薇色の町」これまたチョビヒゲな題名だ。三楽章は重々しい出だしから前の楽章の最後の雰囲気を引きずっているが、「聖なる河のほとりで」ガンジスというわけだろう。長渕とは違う神秘的で荘重なひろがりを感じ取ったようだ。前の楽章にもインド風の素材は出てくるが、ここでは合唱がメインとなってロマンティックな歩みをすすめる、そこに添え物のように小さなものが注意深く挿入されるに留まる。25分もあるのでこれはオペラを聴くようにゆっくり聴くに向く。これは印象派と言って差し支えない曖昧模糊なものを含む。じきに雰囲気は上向いてくる。混声合唱も無歌詞部分をふくめオリエンタルな幻想を引き立て、言ってしまえばホルスト「惑星」の終曲みたいな異郷の神々の気配すらしてくる。歌詞のない歌のアジア風舞曲を引き出すようにやっとメゾソプラノ独唱が入ってきて心憎い。あきらかにボロディン風もしくはリムスキー風の盛り上げをしてくるものの(クーチカに近いカルヴォコレシがインドの古い本をテクストにまとめたのだ)、やっぱり横の流れの方が強い。揺蕩うような音の揺らぎのほうが支配的になる。ドラマティックな、芝居めいたはっきりした変化の中で、中欧風の重さのある音楽が積み上げられていく。ちょっと軽いような雰囲気でテノール独唱も来る(ソリストは3人いずれも三曲目のみ)。トランペットとシンバルが煽るなか、神秘とロマンが高々と掲げられる。このような曲には誇大妄想という4文字こそ相応しい。フランスよりドイツで受けそうな、あるいはやっぱりロシアで受けそうなものではある。ロザンタールは派手で、モノラルのやや悪録音にも関わらず音がいちいち瑞々しく明瞭に届く。そのあまり、長い演奏となるとちょっと胃にもたれる感もある。イリヤ・ムーロメッツを聴いた後のような疲れが残った。拍手は盛大だが爆発的ではない。これはinaが各種配信で売っているが、そのデータでは最初にアナウンスとコメントが入るはずが、歌曲が2曲脈絡なく入っている。録音状態から別の機会のものだろう。この曲はしっかり入っているので念の為。
Evocations pour soli: Aux bords du fleuve sacré (chœur & orchestre)
Orchestre de la RTF

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