◎ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他、パーカー、ムーディ(vibrato,DA:CD-R)1971/4/3(6?)live
ライヴにしては録音もかなりいいステレオ、とにかくこのアグレッシブさに瞠目せよ、いじりまくりで後半楽章などどこをやってるのかわけがわからなくなるほど錯綜して聞こえる轟音の饗宴、賛否あろうが終演直前の「ストコフスキ・クレッシェンド」(スヴェトラなど寧ろ後塵を拝する立場だったわけで)に間髪入れずの大ブラヴォーにはちょっとワナワナ震えるくらいの恐ろしくスゴイものを聴いたという印象だけが残る。最初これを聴いたとき長々しいけして趣味的に得意ではない復活が、こうも飽きさせずにどんどん聴き進められていいものかどうか戸惑いを覚えるほどだったが・・・じじつとことんアグレッシブな攻撃性を維持しつづけ(実はそれほどでもないのだが)退屈部分カットや楽器追加編曲等原型を感じさせない「ひたすら威圧感動させる姿勢」を貫いた演奏であるわけで・・・いつのまにか終楽章に入り、まあ各声部の近いこと、合唱もブラスも弦もひたすら耳元でがなりつづけ、あけっぴろげに下品に、しかしこういうぶっぱなした音楽こそマーラーだというストコの確信が説得力をもって最後まで私の耳を離してくれない、そういう復活を私は初めて聴いたような気すらしたのだ。もうなんだか最初は、遂にこの曲の決定盤を聴いてしまった、誰も認めないだろうけど俺にとってこの盤は最高の復活だ、と思って忘我としたが、繰り返し聞くうちに冷静になり、けっして正規盤など既出のものから離れた演奏様式ではなく、ただ異様な熱気がダイレクトに伝わってくる、アメリカ交響楽団はこうして最後の頂点に上り詰めた、最晩年になってもまだ攻撃的な姿勢を崩さなかった(ここにおいてはシェルヒェンを凌駕する)ストコとともにあった、ストコそのものの楽団だったのだ、という信頼関係の最も素晴らしい形を聞き取ることができる。ロンドンのオケならこうはいかない。アメリカそのもの、賛歌といってもいいこの強烈な音楽には、しかし何度聴いても最後には自分も歌っている、そういう世界なのである。これこそが真のカリスマである。音だけで圧倒する、ロック魂溢れるマーラーである。◎。vibrato盤は6日表記あり、詳細不明。
ライヴにしては録音もかなりいいステレオ、とにかくこのアグレッシブさに瞠目せよ、いじりまくりで後半楽章などどこをやってるのかわけがわからなくなるほど錯綜して聞こえる轟音の饗宴、賛否あろうが終演直前の「ストコフスキ・クレッシェンド」(スヴェトラなど寧ろ後塵を拝する立場だったわけで)に間髪入れずの大ブラヴォーにはちょっとワナワナ震えるくらいの恐ろしくスゴイものを聴いたという印象だけが残る。最初これを聴いたとき長々しいけして趣味的に得意ではない復活が、こうも飽きさせずにどんどん聴き進められていいものかどうか戸惑いを覚えるほどだったが・・・じじつとことんアグレッシブな攻撃性を維持しつづけ(実はそれほどでもないのだが)退屈部分カットや楽器追加編曲等原型を感じさせない「ひたすら威圧感動させる姿勢」を貫いた演奏であるわけで・・・いつのまにか終楽章に入り、まあ各声部の近いこと、合唱もブラスも弦もひたすら耳元でがなりつづけ、あけっぴろげに下品に、しかしこういうぶっぱなした音楽こそマーラーだというストコの確信が説得力をもって最後まで私の耳を離してくれない、そういう復活を私は初めて聴いたような気すらしたのだ。もうなんだか最初は、遂にこの曲の決定盤を聴いてしまった、誰も認めないだろうけど俺にとってこの盤は最高の復活だ、と思って忘我としたが、繰り返し聞くうちに冷静になり、けっして正規盤など既出のものから離れた演奏様式ではなく、ただ異様な熱気がダイレクトに伝わってくる、アメリカ交響楽団はこうして最後の頂点に上り詰めた、最晩年になってもまだ攻撃的な姿勢を崩さなかった(ここにおいてはシェルヒェンを凌駕する)ストコとともにあった、ストコそのものの楽団だったのだ、という信頼関係の最も素晴らしい形を聞き取ることができる。ロンドンのオケならこうはいかない。アメリカそのもの、賛歌といってもいいこの強烈な音楽には、しかし何度聴いても最後には自分も歌っている、そういう世界なのである。これこそが真のカリスマである。音だけで圧倒する、ロック魂溢れるマーラーである。◎。vibrato盤は6日表記あり、詳細不明。
http://www.classicalconducting.com/
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