湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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オネゲル:交響曲第3番「典礼風」

2008年12月31日 | フランス
◎カラヤン指揮ベルリン・フィル(SARDANA:CD-R)1984/12/12定期live

オネゲルの代表作で、一見「構造主義」的な晦渋さが人好きさせないように見えて、実際には近代オケという大きな楽器の機能をフルに活用したスリリングなアンサンブルがスポーツ的快楽をもたらし、明快簡潔な構造も適度に歌謡的なメロディも(2楽章はヴォーン・ウィリアムズかと思わせる)聴き易く、あざといまでにキャッチーな音楽であることがわかる。いや、それがわからない演奏はこの曲に失礼である(オネゲル自身でさえも)。

この曲をそのように魅力的にきちんと聴かせられる指揮者というのは数少ない。

ましてや現代の大編成オケで鳴らしまくり、軋みや違和感を感じさせない指揮者というのは。

(オネゲル自身小規模な弦楽合奏をオケの基軸と考えている節がある。そこに管楽ソロを加え曲を編成する教科書的な発想が確固としてある。難度が上がるゆえんでもある。)

カラヤンはその一人である。

BPOはカラヤンによってこの曲の「娯楽的価値」を飛躍的に高める「道具」となった。この演奏もライヴだからという点は無くレコードと変わらぬ精度と強度を提示し、3楽章制の比較的短いこの曲を、20世紀初頭までに多かった立派な大交響曲として見違えるように聴かせることに貢献している。技術力にくわえ程よい「古きよき音」もある。今のBPOの音ではなく、かといってフルヴェンの音でもないけれども、確実に両方の音の属性をも備えた幅広い音表現のできる一流オケである、それだけは言い切れる。

テヌート多用とか音の表層だけを磨いたとか、印象だけの評論で先入観を持っているかたがいるとすればこれを聴くといい。テヌートなんて多用しない、分厚い音をスラーでつなげてぐねぐねうねらせる横の音楽を作る指揮者なんて沢山いたが、カラヤンにとっては使い分けている属性の一つにすぎない。2楽章のカンタービレ表現は世俗的でも儀礼的でもない、だからこそ引き込まれる絶妙の手綱さばきだ。RVWの「タリス」を思い出させる、奥底の感傷を引き出されるような暖かい音楽。

素晴らしい演奏であり、典礼風の純粋に音楽的な魅力を引き出した記録である。意味とかイデオロギーとか、そんなものはどうでもいい。歪んだ政治的立場などとも無縁であり、オケとの確執など微塵も表現に出ない、これこそプロの仕事である。

音質も海賊盤としては素晴らしい。録音がいくつかある中でも新しい演奏であり、それでもここまで磨かれ、弛緩もしないというのはカラヤンならではのところでもある。

音の重心が低くブラスも渋く、オネゲルの演奏史における正統とはいえないような気がするし記念碑的なライヴ記録でもないが、満足しうる演奏である。

1957/8/13のザルツライヴが正規化された(orfeo)、但しボックス収録。正規盤はDG(1969/9/23教会での録音)。

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